超大型戦術輸送機
| 名称 | 超大型戦術輸送機 〈サイレンス・キャテドラル〉 |
|---|---|
| 種類 | 超大型輸送機格納・発着施設 |
| 所在地 | (旧・臨海計画地帯) |
| 設立 | 63年(1988年) |
| 高さ | 105.7メートル(主梁) |
| 構造 | 二重殻複合フレーム+制振スキン |
| 設計者 | 渡辺精一郎(輸送設計局)/E.マルロー(防振工学顧問) |
超大型戦術輸送機(ちょうおおがたせんじゅつゆそうき、英: Super-Heavy Tactical Transport Aircraft)は、にある[1]。現在では、夜間の回送音が「戦術港の潮騒」と呼ばれることで知られている[1]。
概要[編集]
は、兵器ではなく「輸送技術そのもの」を観光資源として誕生させたとされる巨大建造物である[2]。格納庫の内壁は、航空機の代わりに〈戦術荷電ユニット〉と称される大型展示モジュールを収容するために設計され、見学通路からは断面構造が“鳥の骨格”のように観察できると紹介されている[3]。
歴史的には、旧工業港の再開発に際し、地域雇用を確保する目的で「実物輸送機を見せるのは危険」という議論が先行し、代替として“輸送機の形をした施設”が採用された経緯があったと説明されている[4]。この結果、建物自体が「輸送機の代替」として定着し、現在では施設愛称が独り歩きするに至っている[2]。
名称[編集]
施設名は、計画当初に用いられた仮称「超大型戦術輸送機格納棟」が短縮され、一般公募で「サイレンス・キャテドラル」と併記される形に改められたとされる[5]。公募要項では、名称が持つ“沈黙(サイレンス)”を、騒音規制適合の象徴として位置づけていたとされる[5]。
なお、現地案内板では「輸送機(ユソウキ)」を“輸送のための器(うつわ)”とする語源解釈が採られている[6]。一方で、施設側の資料では「戦術」を“地域の戦術(にわか観光導線の攻略)”として使う社内用法だったと記され、言葉の意味が段階的に観光語彙へと変換されたことがうかがわれる[6]。
この命名は、のちにの広報部が「軍事技術のローカル化」という見出しで推進したことと結び付けて語られがちである[7]。もっとも、用語の使用には市民団体から“誤解を招く”との指摘があり、施策担当者が「観光であって訓練ではない」旨を再三強調した経緯がある[7]。
沿革/歴史[編集]
計画の発火:『沈黙の滑走路』構想[編集]
計画の発端は、の交通騒音実測プロジェクト「沈黙の滑走路」に求められるとされる[8]。同プロジェクトは、当時の局地的な風向が原因で騒音が増幅される現象を“音の戦術”と表現したことから、住民説明会での合意形成が進んだと記録されている[8]。
市民向け報告書では、回送音を減らすための技術として「音響バッフルを二重にする」「共鳴周波数を 19.6Hz から 19.4Hz にずらす」など、やけに具体的な数値が提示された[9]。これに対し反対派は「航空機を隠すための言い訳だ」と主張したが、最終的には“音を建物で制御する”方針が採用されたと説明されている[9]。
その結果として、輸送機そのものではなく、輸送機を収容する“沈黙の容器”として本施設が位置づけられたとされる。ところが、当初の予算書には「完成後に展示用“外形レプリカ”を設置」としか記載がなく、後年になって「レプリカを展示していたときに市がそれを輸送機と誤記した」などの逸話が市史編纂部から漏れたとも言われる[10]。
設計と施工:二重殻の『骨格美術』[編集]
設計は渡辺精一郎が率いると、E.マルローが関与した防振工学顧問チームによって進められたとされる[11]。渡辺は「梁を骨、膜を皮膚」と比喩し、内部に設けられた制振スキンを“骨格美術”と呼んだと記録されている[11]。
構造の核は、二重殻複合フレームにより荷重を“逃がす”のではなく“吸い込む”設計思想であったと説明される[12]。施工の現場では、主梁の高さを 105.7メートルに合わせるため、最終調整を 3回の夜間締結で行ったとされ、作業の終了時刻だけがやけに正確に残っている(午前0時12分)[12]。
また、建物内部の展示モジュール軌道には、車輪ではなく「滑走用の低摩擦カート」を採用したことで、展示の移動が“飛んでいるように見える”演出が可能になったとされる[13]。この演出が口コミで広まり、のちに“超大型戦術輸送機”という言い回しが観光パンフレットに定着したとされる[13]。ただし、資料の一部には「実物の輸送機が収容された」かのような文言が混在しており、編集の段階で意図的に比喩表現が補強されたのではないかとする見方もある[14]。
施設[編集]
施設は大きく分けて、外殻格納リング、内殻静音通路、展示換装区画から構成されている[15]。外殻格納リングは幅 68.2メートルの門型アーチを持ち、夜間には内部照明が“滑走灯の残像”のように点滅する仕様であるとされる[15]。
内殻静音通路は、歩行者が振動を感じないよう、床面の微小段差を 2.1ミリ単位で調整したと説明されている[16]。また、換装区画では、展示モジュールの差し替えを 18分間で完了させる“観光版整備手順”が公開されており、見学者が「整備見学をした気分になる」仕組みとして人気となっている[16]。
一方、施設の天井には、滑走路の代替として“虹彩ルーバー”が配されている。これは風と光の流れを可視化する装置であると同時に、消防設備の水噴霧が当たる位置を分かりやすくするための工夫だったとされる[17]。なお、初期の設計では装置名が不明瞭だったため、資料によっては「虹彩ルーバー」が「慣性補正ルーバー」と誤記された版が存在するとも報じられている[17]。
交通アクセス[編集]
の施設は、の架空モジュール線「北区トンネルラッシュ線」の終点から徒歩 9分に所在するとされる[18]。実際の案内では、地下導線を通って外殻格納リングの西側入口へ至る動線が推奨されている[18]。
自動車の場合は、方面から「北区環状テーパー自動車道」を利用し、最初の信号で左折することで“騒音の谷”へ入れると説明される[19]。この説明は俗説的に扱われがちであるが、施設側は「建物の遮音性能が最大になる角度を再現している」として公式に言及している[19]。
また、遠方からの来訪には「ナイト・キャテドラル号」と呼ばれる貸切シャトルが運行される場合があるとされる[20]。その運行時間は季節ごとに 17分単位で変動すると記載されており、なぜか運賃表の脚がきれいに揃っている点まで含めて、古参ガイドが細部のこだわりを語ることが多い[20]。
文化財[編集]
本施設は、地域の景観保全の枠組みのなかでの「準・文化財(技術景観)」として登録されているとされる[21]。登録理由としては、軍事的イメージの強い語彙を観光施設の意味へ転換した“言葉の設計”が評価された点が挙げられている[21]。
また、構造計画は「二重殻の静音建築」として、同種の建築群と比較するための参照事例として扱われることがある[22]。ただし、文化財審査の議事録には「高さの測定基準点が 104.8メートルとする文書も存在する」といった注記が残っており、同じ建造物でも数値の記録が揺れたことが示唆されている[22]。
建物の外周には、〈沈黙の滑走路〉の碑があり、そこに刻まれた年号は63年とされるが、同じ碑文の写真を複数年代で比較すると、数字の一部が微妙に削れていると指摘されている[23]。このことから、現地では“刻みは後から補われた”という噂が定着している[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 兵庫県『沈黙の滑走路 実測報告(地域騒音と観光導線)』兵庫県庁, 1989年。
- ^ 渡辺精一郎『二重殻静音構造の設計手順』輸送設計局出版局, 1991年。
- ^ E.マルロー『Vibration Absorption in Dual-Shell Galleries』Proceedings of Quiet Architecture, Vol.12 No.4, pp.201-233, 1990.
- ^ 神戸市企画局『北区観光インフラ再編史(第二稿)』神戸市, 1998年。
- ^ 市民団体「港の声」『戦術語彙のローカル化に関する意見書』港の声事務局, 1987年。
- ^ 佐伯真琴『技術景観としての“格納”論』日本建築雑誌, 第58巻第1号, pp.33-49, 2002年。
- ^ K. Tanaka, R. Mueller 『Acoustic Resonance Tuning and Visitor Perception』Journal of Urban Sound, Vol.7 No.2, pp.77-95, 2005.
- ^ 神戸電鉄『架空モジュール線 運行資料(参考編)』神戸電鉄総合企画部, 2010年。
- ^ 櫻井文雄『言葉の建築:軍事を観光へ翻訳する編集技法』編集工学叢書, pp.10-41, 2015年。
- ^ 日本語版の要約に誤差が見られるとして知られる資料:M. J. Hart『Cultural Catenary of Tactical Naming』Vol.3 No.1, pp.1-12, 1999(要旨の表記のみ)
外部リンク
- サイレンス・キャテドラル公式ガイド
- 北区静音建築データベース
- 神戸市観光導線アーカイブ
- 輸送設計局 技術史コーナー
- 港の声 資料閲覧ページ