近大福山工業地帯
| 所在地 | 広島県福山市、笠岡市周辺 |
|---|---|
| 成立 | 1958年ごろ(通説) |
| 主導機関 | 近畿大学臨海工学連絡委員会 |
| 主要産業 | 鉄鋼、化学、農業試験加工、港湾機械 |
| 別称 | 福山学術臨海帯 |
| 特徴 | 大学キャンパスと工場群が同じ送電網で結ばれたこと |
| 象徴施設 | 第七試験岸壁、黒板式煙突 |
| 面積 | 約41.8平方キロメートル |
| 最盛期従業者数 | 約3万4200人 |
近大福山工業地帯(きんだいふくやまこうぎょうちたい)は、福山市を中心に、近畿大学系の研究施設と沿岸工業を結びつけるために整備されたとされる工業地帯である。高度経済成長期における「学術主導型の臨海開発」の代表例として知られている[1]。
概要[編集]
近大福山工業地帯は、瀬戸内海沿岸の埋立地と大学附属研究所群を一体運用する構想から生まれたとされる工業地帯である。一般には昭和30年代後半の地方工業再編の一環とみなされているが、実際には近畿大学農学部の海藻肥料研究が先行し、その副産物として重工業が誘致されたという逆転した経緯が語られる[2]。
この地域では、工場の排熱を実験用温室に回す「熱循環協定」が採用され、港湾のクレーンと講義棟の換気塔が同じ設計図面で管理されたことが特徴である。また、初期の立地審査においては、騒音よりも「講義に支障のない蒸気笛の音域」が重視されたとされ、後年まで工場の汽笛が音叉に近い周波数へ調律されていたという奇妙な慣行が残った[3]。
歴史[編集]
構想の起点[編集]
起源は、大阪府の近畿大学旧理工館で開かれた「沿岸実習改善懇談会」にさかのぼるとされる。ここで水産化学の担当教授だったが、試験海水を運ぶための鉄道貨車をそのまま製塩設備に転用する案を提示し、同席していた福山市の港湾担当技師がこれに強い関心を示したことが、後の地帯形成の端緒となった。
にはと大学側の間で、研究用岸壁と一般貨物岸壁を兼用する「半学半工協定」が結ばれたとされる。協定書の末尾には、なぜか学位論文の提出期限に関する注記があり、これが後に「工業地帯の設計に大学暦が混入した最初の例」として引用されることになった[4]。
整備と拡張[編集]
1958年からにかけて、福山湾岸では第1次埋立が進められ、全長2.7キロメートルの「共同実験護岸」が造成された。護岸は一見すると通常の防波堤であるが、内部に標本保管庫、試薬倉庫、魚類解剖室が交互に設けられていたため、潮位が高い日は海水とホルマリンの匂いが混ざる独特の環境になったという。
この時期、系の技術者と近大側の土木研究班が共同で、スラグを再焼成して作る「学術レンガ」を開発した。これは通常の赤煉瓦よりもやや軽く、黒板にチョークで書いた式が一部だけ浮き彫りになる性質があるとされ、工場事務所や実験棟の外壁に多用された[5]。
最盛期と衰退[編集]
の第一次オイルショック後、近大福山工業地帯は石油化学中心から省エネ研究型の工業地帯へ転換した。とりわけ1976年に設置された「夜間回転炉」は、深夜帯にのみ稼働させることで電力単価を抑える仕組みであったが、同時に周辺大学寮の門限をほぼ毎晩鳴り響く回転音で知らせてしまい、学生からは半ば時報のように扱われた。
1980年代に入ると、工場群の多くは自動化された一方で、大学側の実習科目が増えたため、かえって人手は増加した。1987年の記録では、稼働中の機械よりも見学バスの台数の方が多かった日が年に14日あったとされ、これが「工業地帯が教育施設に飲み込まれた稀有な例」として研究対象になっている[6]。
施設と機能[編集]
中心施設として知られるのは、第七試験岸壁、黒板式煙突、臨海分析塔の三つである。第七試験岸壁は、荷役作業の合間にができるよう床面に目盛りが刻まれており、荷役クレーンの影が日照角度の計算に利用された。
黒板式煙突は、外壁が耐熱塗装ではなく黒板塗料で仕上げられていたため、作業員が安全標語や反省文を書き込めるようになっていた。現存写真の一部には、深夜勤務者がチョークで「本日の蒸気圧 4.2」と書いたまま翌朝まで残っていたものがあり、のちに地方紙の連載で紹介されている。なお、臨海分析塔には時点で高さ38メートルの回転測風器が設置されていたが、実際には風向よりも学生のレポート締切の時刻を観察するために使われていたという指摘がある。
社会的影響[編集]
近大福山工業地帯の成立は、福山市周辺の雇用構造を大きく変えたとされる。地元では「工場に入るか、講義に入るか」の二択が子どもの将来像として語られ、1965年の市内進学説明会では、普通高校よりも工業地帯の夜間講習への志願者が多かったという記録が残る。
一方で、この地域では研究と生産が密接に結びつきすぎたため、会議の議事録に実験結果が混入する事例が相次いだ。とくに1971年の安全委員会では、転倒防止策の欄に「イカの記憶保持時間」といった記述があり、後年の公文書公開時に大きな話題となった。これにより、学術都市でもあり工業都市でもあるという独特のイメージが定着した[7]。
批判と論争[編集]
近大福山工業地帯には、早くから「大学主導を装った港湾利権ではないか」とする批判があった。とくに、一部の市民団体が、研究名目で導入された巨大冷却塔が実際には鯉の養殖にも使われていたと指摘し、用途の二重性が問題視された。
また、工業地帯の一部施設では、帳簿上の稼働時間と実際の生産時間に毎月12分前後のずれが生じていたとされる。これについては「潮汐補正による自然誤差」と説明されたが、現場の元事務長は回想録で「実際には教授会の開始時刻に合わせて止めていただけである」と述べており、真相は定かではない[8]。
年表[編集]
- 構想の端緒となる懇談会が東大阪で開かれる。
- 近畿大学と広島県の間で半学半工協定が結ばれる。
1958年 - 第1次埋立が始まり、共同実験護岸が整備される。
- 学術レンガの量産が始まる。
- オイルショックを受け、省エネ型工業地帯へ転換する。
- 見学バスの台数が稼働機械数を上回る日が記録される。
- 臨海分析塔の一部が教育資料館へ転用される。
2008年 - 地元研究会が「近大福山工業地帯遺構」として調査を開始する。
脚注[編集]
[1] 福山港湾史編纂委員会『瀬戸内臨海学術工業の成立』福山港湾出版会, 1998年.
[2] 佐伯俊一『大学と埋立地: 近代臨海開発の裏面史』岩波書店, 2004年.
[3] Margaret A. Thornton, "Tonal Regulation in University-Industrial Port Zones", Journal of Coastal Studies, Vol. 18, No. 2, pp. 41-67, 2011.
[4] 橋爪宗一『半学半工協定覚書』広島臨海資料センター, 1960年.
[5] 木村直樹「学術レンガの熱伝導と記号性」『日本土木学会論文集』第44巻第3号, pp. 122-139, 1972年.
[6] Kenjiro Watanabe, "Tour Bus Dominance in Late-Industrial Educational Districts", Asian Industrial Geography Review, Vol. 7, No. 1, pp. 88-103, 1989.
[7] 『福山市公文書公開資料集 第12集』福山市総務部文書課, 2001年.
[8] 高瀬恒男『止まっていた十二分: ある工業地帯事務長の回想』地方経済評論社, 1999年.
[9] 小林美佐子「臨海分析塔の観測機能に関する再検討」『瀬戸内工学研究』第21巻第4号, pp. 201-219, 2015年.
[10] Andrew P. Selwyn, "Shared Smokestacks and Shared Curricula", Bulletin of Maritime Industrial History, Vol. 12, No. 4, pp. 5-29, 2007年.
脚注
- ^ 福山港湾史編纂委員会『瀬戸内臨海学術工業の成立』福山港湾出版会, 1998年.
- ^ 佐伯俊一『大学と埋立地: 近代臨海開発の裏面史』岩波書店, 2004年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Tonal Regulation in University-Industrial Port Zones", Journal of Coastal Studies, Vol. 18, No. 2, pp. 41-67, 2011.
- ^ 橋爪宗一『半学半工協定覚書』広島臨海資料センター, 1960年.
- ^ 木村直樹「学術レンガの熱伝導と記号性」『日本土木学会論文集』第44巻第3号, pp. 122-139, 1972年.
- ^ Kenjiro Watanabe, "Tour Bus Dominance in Late-Industrial Educational Districts", Asian Industrial Geography Review, Vol. 7, No. 1, pp. 88-103, 1989.
- ^ 『福山市公文書公開資料集 第12集』福山市総務部文書課, 2001年.
- ^ 高瀬恒男『止まっていた十二分: ある工業地帯事務長の回想』地方経済評論社, 1999年.
- ^ 小林美佐子「臨海分析塔の観測機能に関する再検討」『瀬戸内工学研究』第21巻第4号, pp. 201-219, 2015年.
- ^ Andrew P. Selwyn, "Shared Smokestacks and Shared Curricula", Bulletin of Maritime Industrial History, Vol. 12, No. 4, pp. 5-29, 2007年.
外部リンク
- 福山臨海資料アーカイブ
- 近大福山工業地帯保存会
- 瀬戸内産学連携年報
- 黒板煙突デジタル博物館
- 広島近代港湾研究ネット