過去
| 分類 | 時間論、記録学、行政語彙 |
|---|---|
| 成立 | 紀元前3世紀頃(伝承) |
| 再定義 | 1887年(明治20年) |
| 主な提唱者 | 井上玄庵、Margaret A. Thornton |
| 管轄 | 内閣文書局 時相整理課 |
| 関連制度 | 前歴台帳、過去証明、時限封印 |
| 影響 | 教育、戸籍、新聞、都市計画 |
| 代表的施設 | 過去博物館(東京都千代田区) |
過去(かこ、英: Past)は、現在よりも前に成立した出来事・状態・記録の総体を指す概念である。一般には時間の不可逆性を説明する語として知られているが、近代以降の標準化にはとの共同作業が深く関与したとされる[1]。
概要[編集]
過去は、現在から見て前方に退いた事象の集積であり、・・の三系統によって把握される概念である。一般には不可逆な時間の層を指すが、明治期の文献では「すでに整理された事実群」として扱われ、未整理の出来事は過去に含めないとする運用がしばしば見られた。
このため、過去は単なる時間区分ではなく、行政・教育・出版・家族制度を横断する「編集された時間」として発展したとされる。なお、のは、過去を「国民が共同で所有する最初の倉庫」と表現しており、この比喩は後のに大きな影響を与えた[2]。
成立史[編集]
古代の前史[編集]
過去という語の原型は、頃の周辺で用いられた「かこり」に求められるとする説がある。これは本来、収穫後に倉へ納める籠を指したが、やがて「終わった出来事を入れておく場所」という比喩に転じたとされる。考古学者のは、近郊の木簡に「かこりは火に近づけるな」と記された断片を見いだし、これを過去概念の萌芽と位置づけたが、異論も多い[3]。
さらに、から伝来した暦法との輪廻観が混交したことで、「前にあったものを切り分けて保存する」という発想が強まったという。とくに系の文書管理においては、焼損した記録の写しを「戻り文」と呼び、これが後の過去復元技術の遠因となった。
明治期の制度化[編集]
現在知られる意味での過去は、に時相整理課の職員であったが『過去定義試案』を提出したことで制度化されたとされる。井上は、全国の記録が地方ごとに勝手な順序で保存されている状況を問題視し、「過去の順序は国家が保証すべきである」と主張した。
この試案は、で講じられていたの比較時間論と接続され、には文部省告示第17号として一部が採用された。告示では、新聞記事・私信・遺言・卒業証書を「過去の基礎資料」と認定し、家庭内で口頭のみで継承された出来事は「準過去」に留めると定められた。
過去証明制度[編集]
には、転居・婚姻・就職の際に「過去証明」を添付する制度が一部の府県で導入された。これは、本人が主張する過去と、役所に保存された過去が一致するかを確認するためのもので、最大での添付書類を要した地域もあったとされる。
東京市では、証明の精度を上げる目的で「過去照合印」が用いられ、印影が薄い場合はその出来事自体が曖昧とみなされた。これにより、学生の欠席や商店の開店日までも再編される事例が続出し、新聞各紙は「過去の官僚化」として批判したが、一方で戸籍の整備には寄与したと評価する向きもある。
理論的展開[編集]
時相整理学の成立[編集]
の後、散逸した文書を復元する必要から、のらが「時相整理学」を提唱した。これは、過去を単なる前方時間ではなく、編集・圧縮・再配列可能な情報層として扱う学問である。佐伯は、被災地の聞き取り調査で、同じ家族が三世代分の出来事を一枚の紙にまとめていたことに着目し、「過去は長さではなく密度で測るべきである」と述べた。
この理論は初期の教育現場に影響し、小学校の国史では年表を直線ではなく「段状」に書かせる方式が採用された。段ごとに過去の重みが異なるとする考え方は支持と反発を呼んだが、少なくとも生徒の記憶定着率が上がったとする内報が残っている。
量的過去論[編集]
、英米圏ではが『Quantized Past and the Social Archive』を発表し、過去には最小単位があると主張した。トーントンによれば、個人が保持できる過去の解像度は平均でであり、それを超えると記憶は「既視の再編」に変質するという。
日本ではこの説がの研究会に輸入され、昭和30年代後半の資料保存政策に採用された。とくにの東京オリンピック準備に際しては、工事記録が「未来に残る過去」として特別に保存され、完成前の段階写真にまで整理番号が振られた。なお、ある研究者は過去の粒子を「回想子」と呼んだが、物理学界からはほぼ相手にされなかった。
家庭内過去と私的編集[編集]
戦後になると、過去は国家よりも家庭内で編集される対象として広がった。アルバム、卒業文集、年賀状の束は「私的過去三種」と呼ばれ、時点で全国の一般家庭のが何らかの過去収納箱を保有していたとする調査がある[4]。
ただし、同調査では「祖父の若い頃の写真が妙に多い家ほど、実際の過去が少なく感じられる」との注記が付されており、これは後に扱いとなった。過去は多いほど安定するという通念はこのころまでに定着したが、同時に「思い出しやすい過去ほど改変されやすい」という逆説も一般化した。
社会的影響[編集]
過去の制度化は、教育・司法・広告に広範な影響を及ぼした。たとえばの求人広告では「過去不問」「過去丁寧に整理済み」などの表現が用いられ、前歴を簡略化した履歴書様式が複数の企業で採用された。
また、地方自治体では災害復興の際に「過去復元班」が設置され、失われた町並みを写真・証言・納税記録から再構成する事業が進められた。の一部地区では、復元された店名の看板が元の建物より先に完成したため、住民の一部は「看板が先に過去を持った」と表現したという。
一方で、過去の保存は排除も生んだ。非正規雇用者や移住者の過去が薄く扱われる傾向が指摘され、の報告書は、過去の厚みが社会的信用とほぼ比例することを示したとして議論を呼んだ。
批判と論争[編集]
過去概念への批判は、主に「誰が過去を記録するのか」という権力問題に集中した。とくにのでは、編集者のが「過去は事実ではなく、役所にとって都合のよい順序である」と主張し、これに対して文書行政側は「順序のない過去は公共財ではない」と応じた。
また、宗教界からは、過去を過度に固定化すると救済や改悛の余地が失われるとの反発があった。浄土系の一部僧侶は、過去証明の提示を拒否するために「無記録供養」を行い、寺院で焼かれた過去帳の灰を川へ流す儀礼を復活させた。これに対しは、文化財保護の観点から過去帳の完全焼却を慎むよう通達を出している。
なお、には一部のSNS上で「過去は保存容量の不足で圧縮される」とする説が拡散したが、専門家はこれを「経験則としては半分正しい」とだけコメントしている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 井上玄庵『過去定義試案』内閣文書局刊, 1887.
- ^ 渡瀬宗一『古代籠形語彙と時間概念』東京帝国大学史学会, 第12巻第3号, 1931, pp. 44-61.
- ^ Margaret A. Thornton, "Quantized Past and the Social Archive," Journal of Temporal Studies, Vol. 8, No. 2, 1956, pp. 119-148.
- ^ 佐伯ミツ『時相整理学入門』横浜高等文庫出版部, 1926.
- ^ 文部省『過去証明制度実施要領』官報別冊, 1908.
- ^ 北沢良平『新宿過去論争の記録』青灯社, 1973.
- ^ 朝日過去研究会『家庭内過去の保存実態調査報告』朝日選書, 1979.
- ^ 文化庁文化財部『無記録供養に関する通達』文化庁資料第41号, 1984.
- ^ H. Whitcombe, "The Bureaucratic Past in Meiji Japan," Asian Administrative Review, Vol. 14, No. 1, 1968, pp. 7-33.
- ^ 高橋久美子『過去の厚みと社会信用』社会記録出版, 第4巻第1号, 2004, pp. 2-19.
外部リンク
- 過去博物館公式アーカイブ
- 時相整理学会デジタル年報
- 内閣文書局旧蔵資料閲覧室
- 朝日過去研究会公開目録
- 無記録供養保存協議会