遠アーベル人類学
| 分野 | 人類学・民族誌学・情報人類学 |
|---|---|
| 提唱時期 | 19世紀末から20世紀初頭とされる |
| 中心概念 | 距離の擬似因果(distant pseudo-causality) |
| 主な方法 | 遠隔聞き取り・時間遅延記述・類似儀礼の統計照合 |
| 関連領域 | 言語地理学・音響民族誌・地図学 |
| 特徴 | “遠いほど正確”という逆説的主張が多い |
| 論争点 | 資料の保管経路と出典の追跡 |
| 略称 | DAA(学会内呼称) |
遠アーベル人類学(とおあーべるじんるいがく)は、遠隔地の民族誌を「距離そのものが文化を作る」として扱う人類学的枠組みである。通信網の発達以前から口承の調律を研究対象にしていたとされ、学際的な手法である点が特徴とされる[1]。ただし、その語の系譜には研究者間で異説があり[2]、特に初期文献の出どころがたびたび争点となっている。
概要[編集]
遠アーベル人類学は、の一派として扱われることが多いが、実際には「民族誌資料の距離」を分析単位に据える立場である。すなわち、同じ儀礼や語彙であっても、話者と記録者の間にある地理的・時間的隔たりが、内容そのものを作り変えるという仮説が採用される。
この枠組みでは、調査地と研究者のあいだの移動時間が、単なる背景変数ではなく、社会関係を再設計する“因子”とされる。たとえば、往復郵便が東京からまで平均で「3週間以上」かかる地域では、儀礼の説明が「手順書」へと変質しやすい、といった傾向が、後年のメタ分析により語られた[3]。なお、この傾向を最初に“体系化”したのは、ベルリン在住の編集者集団であったとする説明もある。
一方で、遠アーベル人類学の語は、学会によって解釈が揺れている。ある系統は「距離を畳み込む推論(distant folding inference)」を意味するとし、別の系統は「アーベル」という姓を持つ校訂者の蔵書目録に由来すると説明する。このため、同じ“遠アーベル”という呼称が、同じでない手続きを指す場合があるとされる[4]。
成立と研究計画[編集]
呼称「遠アーベル」の発生経路[編集]
遠アーベル人類学の成立は、19世紀末の欧州で流行した「距離補正つき翻訳」から始まったと説明されることが多い。具体的には、が導入した遅延率(当時の統計では遅延を“分刻み”で記録する慣行があったとされる)を、民族誌の校訂作業に流用する提案があったとされる[5]。この作業を請け負ったのが、編集者アーカイブ局の(実名は資料により揺れるが、少なくとも“硬貨の肖像が好きだった”という逸話は共通している)であるとする説が有力である。
ただし、最初期の草稿には「遠=D、アーベル=A」として、調査項目がA案/B案に分岐していた痕跡があるとされる。ある編集者は、分類が先行して理論が後から来たと回想したと報じられ[6]、別の回顧では「理論は郵便局より先に発明された」と主張される。この二重の主張が後の混乱を生み、結果として“遠アーベル人類学”という呼称が複数の系統を束ねるタグとして機能した、と整理されることが多い。
さらに、語の最初の登場は学会誌ではなく、関連の別冊付録だったという指摘もある。付録には「距離の測定単位が変われば、文化の見え方も変わる」旨の短文が掲載されたとされるが、現物が見つからないため、書誌学的証拠は弱いとされている。にもかかわらず、講義では“その付録が出典だ”と断言されることが多いのが、この分野の妙味である[7]。
研究会と“実験”の段取り[編集]
遠アーベル人類学では、理論だけでなく調査の段取りが重視された。とくに有名なのが「三段階遅延聞き取り(tri-lag elicitation)」である。これは、話者に同じ質問を三回投げるのではなく、質問文の“滞留”の長さを操作する手続きである。具体的には、質問文をロンドンから経由で発送し、最初の到着までを“短遅延”、次を“中遅延”、最後を“長遅延”として分類するという、いかにも実務的な設定が採用されたとされる[8]。
また、儀礼の記述に対して、秒単位の時間割を当てる「音響民族誌の折り返し」も併用された。ここで用いられるのは、儀礼の間奏(歌が止む瞬間)を「合図の空白」とみなす考えである。報告書によれば、空白が12拍より短い場合は“親族規則”、13〜17拍は“供物交換”、18拍以上は“階層の承認”に対応しうる、という推定式が提示された[9]。
もっとも、これらの推定がどの程度再現可能だったかは疑問視されている。ある反対派は、音響の測定精度が調査船のエンジン音に左右されるため、拍数の閾値が地理ではなく機械に依存した可能性を指摘した[10]。ただし、遠アーベル人類学側は「機械の音すら距離で変質する」と反論したとされる。こうして“実験”が研究者の語りの中で強化され、やがて学術的儀礼となった。
主要な概念と実践[編集]
距離の擬似因果と「遠隔翻訳の気分」[編集]
遠アーベル人類学の中心概念として、が挙げられる。これは「距離が文化を生む」という主張で、研究者の比喩としては“擬似”が付く。つまり因果は物理的に証明されるのではなく、資料の並び替え(たとえば聞き間違い・書き間違い・再校訂の癖)を通じて、そう見えてしまうメカニズムとして説明される。
この分野では、遠隔翻訳の結果を「気分(mood)」として記述する慣行があったとされる。報告書の表では、翻訳者の気分を「温度」「封蝋の匂い」「旧友からの手紙の有無」などでスコア化していたとされる。たとえば、の翻訳者が書いたとされる記録では、封蝋が乾燥しているかどうかで“叙事詩調か手順調か”が決まった、という実務的な推測が書かれている[11]。
また、「距離により語が短くなる」現象を、単なる言語変化ではなく“管理のための縮約”と解釈した点が特徴とされる。結果として、遠アーベル人類学では、単語の長さではなく“欠落の仕方”が注目されるようになった。ある学派では、欠落が1箇所なら祈祷の順序、2箇所なら供物の種類、3箇所なら婚姻の承認条件、といった雑な対応表を作ったとされる[12]。当然ながら再現性に乏しいと批判されるが、同時に“民族誌が生き物として振る舞う”という美学を生んだと評価されることもある。
儀礼統計「N=13」をめぐる伝説[編集]
遠アーベル人類学の実践では、儀礼の構成要素を数え上げる統計が好まれた。その象徴が「N=13伝説」である。これは、どの地域でも儀礼の“核”は13要素で再構成できるはずだ、という半ば信仰のような仮説である[13]。
伝説の起点は、新潟県の沿岸部に関する“誤配便”事件だとされる。記録者が現地へ赴く前に、調査依頼書が誤って内陸の倉庫へ届き、その結果、依頼者が到着するまでの数日間、聞き取り対象が限定されてしまった。ところが、報告者はその限定資料から儀礼要素を数えたところ、偶然にも「13」が出たため、“必ず13になる”理論へと飛躍した、と語られる[14]。
ただし、その後の追試では地域差が大きかったとされる。にもかかわらず、遠アーベル人類学では「13を外すと“距離の補正係数”が足りない」として理論を修正した。係数は、郵便の遅延分を分単位で割り、さらに海流の“気まぐれ係数”を掛けるという、数学なのか祈祷なのか分からない計算が採用されたとされる。ここで使われた係数の初期値が「0.742」と記された文書があり、後年の研究者が“覚えやすい数字だからだ”と嘲笑した逸話が残っている[15]。
歴史[編集]
拡張期:通信網と港湾機関の連携[編集]
遠アーベル人類学は、1920年代以降に急速に広まったとされる。背景には、や横浜の港湾機関が、学術向けに“遅延の記録”を提供したことがあると説明される。港湾機関の内部文書では、船の到着差(Arrival Variance)が文化資料の校訂に役立つと明記されていた、と後の回顧で語られた[16]。
この時期、研究者たちは郵送記録を「距離のセンサー」とみなし、聞き取りの再調整に利用した。特に、外務省の関連部署が関わり、国際書簡の許可手続きが整備されたことで、遠隔調査の自由度が増したとされる。ただし、その実態は学術より官僚の手続きに引きずられた可能性があるという指摘もある[17]。
また、遠アーベル人類学は音響機材の普及と結びつき、港の風切り音を“距離の前触れ”として記述する流行を生んだ。研究報告には、録音の環境を「風向が北北西から3.2度ずれた」といった値で記すものがあり、当時の記録者が風向計を非常に信頼していたことが読み取れる。こうした細密さが、のちに“それって本当に測ったの?”という笑いを生んだのである。
停滞期:アーカイブ紛失と“要出典の系譜”[編集]
遠アーベル人類学の停滞は、資料の保管経路をめぐる混乱と結びついて語られる。第二次世界大戦期に関連書簡が疎開し、その後の返還が遅れたことが原因とされるが、さらに“第三者が編集を挟んだ疑い”が追い打ちをかけたとされる[18]。
ある研究者の回想では、疎開先の倉庫が秋田県の内陸部に移され、鍵の番号が「13-0-7」と記録されていたという。奇妙な鍵番号がと結びつき、偶然か意図か分からない神話が再生産された、と嘲笑されることがある。ただし、鍵番号は後から付記された可能性があると指摘されている[19]。
停滞の象徴は、脚注が増えすぎて本文が薄くなる“脚注過多期”である。遠アーベル人類学の議論では出典が重要視されたが、同時に出典が見つからない場合でも「ある」ことにされがちだったとされる。実際、学会資料には「出典不詳だが正しいと信じられている」と記された箇所があると報告されている。ここに至り、研究としての精度と、語りとしての説得力がせめぎ合い、批判と支持の両方が強まった。
批判と論争[編集]
遠アーベル人類学は、方法論の派手さに反して、検証可能性が弱いと批判されてきた。とくに、が“説明のための免罪符”として用いられているのではないか、という指摘がある。たとえば、ある儀礼が別の地域で再現できなかった場合でも「距離補正係数が不十分だった」として結論が守られるため、反証が難しいとされる[20]。
また、N=13伝説のような“収束の美しさ”が、統計の恣意性を隠しているのではないかという論調もある。反論側は、収束が偶然にしては強いと主張するが、査読では「偶然でも語りは強くなる」点が問題視されたという。学会討論の議事録では、誰かが「13って都合が良すぎません?」と発言したと記されているが、その発言者名が空欄になっているため、真偽は不明とされる[21]。
さらに、資料の所在が不透明なことも争点である。初期の草稿はベルリンの編集者アーカイブ局に保管されていたはずだが、目録だけが残り現物が見つからないとされる。一方で、別ルートで長野県の個人蔵書に現物があるという噂もある。こうした情報の非対称性は、遠アーベル人類学が“学術”である以前に“物語の構造”として評価されることにつながった。結果として、支持者は読解の快楽を語り、批判者は再現性の欠如を嘆いた、と整理されることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ J. Friedrich『遅延補正としての民族誌:遠アーベル回路の試作』ベルリン学術出版, 1931.
- ^ Marta E. Kwon『Distant Pseudo-Causality and Archive Drift』Journal of Unstable Anthropology, Vol.12 No.4, 1978, pp.114-167.
- ^ 高橋瑞穂『港湾機関と書簡管理:距離が語りを変える技術』海事史叢書, 2004, pp.33-58.
- ^ H. Abel『遠アーベル人類学の校訂メモランダム(仮題)』編集者アーカイブ局, 1906.
- ^ E. Lautrec『Tri-lag Elicitation in Maritime Contexts』International Review of Field Methods, Vol.3 No.1, 1962, pp.1-29.
- ^ S. Ndlovu『mood-based translation scoring among remote informants』African Linguistic Field Studies, Vol.7 No.2, 1999, pp.201-244.
- ^ 青柳健人『儀礼統計 N=13 の生成と崩壊:誤配便からの数理的逸話』中央民族誌研究所紀要, 第18巻第2号, 2011, pp.77-105.
- ^ C. R. Thompson『On the “Distance Factor” in Ethnographic Serialization』Anthropology & Letters, Vol.21 No.3, 1986, pp.65-92.
- ^ 佐倉みどり『要出典の美学:脚注過多期の読ませ方』文献編集研究会, 2016, pp.9-41.
- ^ L. Park『The Key of 13-0-7: a bibliographic fable』Proceedings of the Map-and-Archivists Society, Vol.5, 1973, pp.301-319.
外部リンク
- 遠アーベル人類学資料館
- 距離補正翻訳研究フォーラム
- 港湾遅延アーカイブ・プロジェクト
- N=13伝説検証部会
- 音響民族誌・折り返しノート