都市伝説番組千原ジュニアの木曜ナイト
| 正式タイトル | 都市伝説番組千原ジュニアの木曜ナイト |
|---|---|
| 略称 | 木曜ナイト |
| ジャンル | 都市伝説・検証バラエティ |
| 司会 | 千原ジュニア |
| 放送局 | 関西都市文化放送(KUC) |
| 放送期間 | 1999年4月1日 - 2008年9月25日 |
| 放送時間 | 毎週木曜 23:58 - 24:28 |
| 制作 | KUC制作局 第三企画班 |
| 収録地 | 大阪市北区・堂島深夜スタジオ |
都市伝説番組千原ジュニアの木曜ナイトは、の民間伝承研究と深夜バラエティの境界に位置づけられるである。毎週の深夜に放送され、視聴者から寄せられた怪異談や未確認情報を、司会のが半ば学術的、半ば茶化し気味に検証する形式で知られている[1]。
概要[編集]
『都市伝説番組千原ジュニアの木曜ナイト』は、末の深夜帯に成立した、いわゆる“語り聞かせ型”の検証番組である。視聴者投稿、街頭聞き取り、古いラジオ雑誌の切り抜きなどを材料に、が独特の間合いで都市伝説を解体・再構成する番組として定着した[1]。
番組は当初、の編成局が「低予算で済み、なおかつ投稿ハガキが増える番組」を求めたことから始まったとされる。だが実際には、放送開始前にの喫茶店で行われた三者会談において、編成担当の、構成作家の、および霊能監修を名乗るの三名が、“都市伝説を毎週一つだけ真面目に扱うと逆に怖い”という判断に至ったことが起源とされている[2]。
成立の背景[編集]
制作史の研究では、本番組はの阪神圏深夜ラジオにおける怪談投稿ブームと、の匿名掲示板文化の拡大を受けて生まれた“放送と伝聞の中間形式”と位置づけられている。特に初期スタッフは、ネット掲示板で流通する断片的な噂を、テレビの権威と笑いで一度だけ“公式っぽく”固定する手法を試みたという[3]。
また、局内には当初、オカルト色が強すぎるとして反対意見も多かった。これに対し千原ジュニアは、試作収録の席で「ほんまに怖い話は、説明しようとした時点でだいたい負けや」と発言したとされ、この一言が現在まで引用される番組の編集方針“過剰説明の回避”を決定づけたという。なお、この発言は後年の資料館で公開されたラフ台本にのみ記載されており、真偽は確定していない[要出典]。
番組構成[編集]
基本構成[編集]
番組は、冒頭の“今夜の都市伝説”紹介、投稿検証、再現VTR、そして最後の「結局、誰が得したんや」という総括で構成されていた。再現VTRでは内の空きビルや、の埠頭、の旧宿坊が頻繁に使用され、視聴者の間では“地名の時点でだいたい嘘っぽいのに妙に本格的”と評された[4]。
投稿採用の基準[編集]
採用された投稿は、真偽よりも“会話の立ち上がりやすさ”が重視された。制作陣は毎週約1,200通の封書と、最盛期には1日平均320件のファクスを受け取っていたとされるが、そのうち実際に番組で扱われたのは平均で4件前後にすぎなかった。残りは、番組スタッフが“家族に見せられないが番組には向く”と分類したという[5]。
検証役の特徴[編集]
千原ジュニアは、検証を装いながらも完全には否定しない進行で知られた。たとえば“夜の国道で逆光に立つバス停の女”の回では、地図上の位置関係を指摘する一方で、最後に「でも、あれが見えた夜はだいたい帰ったほうがええ」と結んだため、視聴者の間で番組がむしろ怪異の保存装置として機能していると指摘された[6]。
放送内容[編集]
初期の代表回[編集]
初回放送で扱われたのは、の商店街に現れる“午前2時だけ値札が一斉に半分になる自動販売機”の伝承である。番組では実際に現地調査が行われたが、対象の自販機は収録前日に撤去されており、代わりに同型機が近くの駐車場から運ばれてきたため、現場の空気だけが本物っぽくなったと記録されている[7]。
中期の社会現象[編集]
頃からは、番組で取り上げられた都市伝説が翌週には学校や職場で“確認済みの話”として流通する現象が目立った。とくに「沿線のトンネルでは、終電後に自転車のブレーキ音だけが三回鳴る」という回は、放送翌日に沿線各駅へ問い合わせが集中し、駅員向けの応対マニュアルが暫定的に改訂されたという[8]。
晩期の変質[編集]
晩期には、伝承の検証よりも“伝承が流通する過程そのもの”を扱う実験的な回が増えた。たとえばの「出典のない怪談が、三日で七つの新聞折込チラシに拡散するまで」を追跡した回は、放送倫理委員会で議論になったが、結果的に番組史上もっとも教育番組に近い内容だったとも評されている[9]。
制作体制[編集]
制作スタッフは総勢17名とされるが、うち5名は毎回クレジットが揺れていた。これは、深夜帯の低予算制作ゆえに役割が固定されず、同じ人物が週によって“構成”“調査”“霊感補助”を兼務していたためである。
特筆すべきは、番組独自の“怪異整理棚”である。これはの旧倉庫に設置された高さ2.1メートルのスチール棚で、投稿原稿、神社の由緒書、深夜タクシーの運転日報などが年代順に保管されていた。棚の最上段には、視聴者から送られた“未採用だが妙に整っている話”が分類され、スタッフの間で「上段のほうが怖い」と言われていた[10]。
社会的影響[編集]
本番組は、関西圏における都市伝説の“標準語化”に寄与したとされる。放送以前は地域ごとに細部が異なっていた話が、番組を介して「木曜ナイト版」として統一され、以後は学校、飲食店、さらには鉄道ファンの間でも定型句として流通した。
また、生活安全部の内部資料では、2002年から2004年にかけて、深夜の立入苦情の一部に番組名が明記されていたことが確認されている。これは視聴者が“見に行く言い訳”として番組の再現ロケ地を用いた結果であり、文化現象としては成功、治安上はやや不都合であったとまとめられている[11]。
批判と論争[編集]
一部の教育関係者は、本番組が若年層に“話の真偽より話し方の巧さ”を優先させたとして批判した。これに対し制作側は、そもそも都市伝説は真偽の問題ではなく、共同体が不安を分配する仕組みであると反論している。
もっとも論争が大きかったのは、の「深夜の公衆電話は、最初の一コールだけ未来から届く」という回であった。放送後、関東地方の複数局に“今さっき自分の声が聞こえた”という抗議が寄せられたが、番組側は「再生装置の不具合ではないか」と回答し、議論をさらに拡大させた。なお、当該回の視聴率は深夜帯としては異例の9.8%を記録したとされるが、集計表の一部が紛失しており、正確性には疑問が残る[要出典]。
評価[編集]
研究者の間では、本番組は単なるバラエティではなく、都市伝説の民俗学的保存装置として評価されている。特にのは、番組が“信じる・信じない”の二分法を避け、笑いと不安の中間に視聴者を留めた点を高く評価した。
一方で、番組の編集はしばしば“怖さを残すために説明を削る”方針を取ったため、後年の研究では、残された沈黙部分こそが番組の本体であると論じられている。ある論文では、放送音声の無音区間を解析した結果、平均で1分42秒相当の“語られなかった怪談”が毎回存在したとされ、学術界に小さな波紋を呼んだ[12]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 岡本千里『深夜放送における怪異言説の編集』関西メディア研究会, 2006.
- ^ 藤原澄子「都市伝説のテレビ化と共同体記憶」『民俗情報学報』Vol. 18, No. 2, 2009, pp. 41-67.
- ^ 木村隆二『木曜深夜番組の制作実務』堂島出版, 2004.
- ^ 中井霧子「霊能監修という職能の成立」『日本放送文化紀要』第12巻第1号, 2003, pp. 15-39.
- ^ Harold M. Bennett, Urban Myths After Midnight, Seika Press, 2011, pp. 88-114.
- ^ 千原ジュニア『笑いと不安の境界線』KUCブックス, 2008.
- ^ 山口真弓「投稿ファクスの流通と番組内選別」『放送史研究』第27巻第4号, 2010, pp. 203-229.
- ^ Aiko Sato, Thursday Fright and Public Memory, East River Academic, 2013, pp. 9-35.
- ^ 大阪府立放送資料館編『関西都市文化放送史料目録 1997-2008』, 2015.
- ^ 渡辺精一郎『夜間メディアと都市怪談』港湾社, 2007.
- ^ S. K. Morita, The Archive of Almost-Believed Stories, Vol. 3, No. 1, 2012, pp. 5-19.
- ^ 岡本千里「木曜の深夜にだけ起こる編集事故について」『番組研究ノート』第5号, 2008, pp. 1-14.
外部リンク
- 関西都市文化放送アーカイブ
- 堂島深夜放送資料室
- 都市伝説番組研究会
- 木曜ナイト公式年表
- 民間伝承テレビ番組データベース