関西ターラッタ祭り
| 行事名 | 関西ターラッタ祭り |
|---|---|
| 開催地 | 大阪府堺市(大鳥居神社周辺) |
| 開催時期 | 毎年4月第2土曜日・前夜祭(計2日) |
| 種類 | 神事・市中行進・音頭競奏・灯火供養 |
| 由来 | 泉州の“塔楽打(たらった)”と呼ばれた旧時の合図儀礼に由来する |
| 参加主体 | 町会、漁具組合、和太鼓講、学生団(招待制) |
| 見どころ | ターラッタ節の同時合唱と、地下水路からの“潮灯”行列 |
関西ターラッタ祭り(かんさい たーらったまつり)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である[2]。
概要[編集]
関西ターラッタ祭りは、の祭礼として行われる年中行事であり、泉州一帯に春が来たことを告げるものとして親しまれている。祭りの中心は、鳴り物と声で“合図の神”を迎える儀礼であると説明され、なかでもの集団唱和が特徴である。
一方で、単なる音楽祭ではなく、旧来の生活技術と結びついて発展したとされる。特に、雨水の扱いをめぐる共同体の知恵が神事の形に取り込まれ、屋台の出店が許可制になった経緯まで語られている点は、関西圏の観光案内でもたびたび言及されるところである[3]。
名称[編集]
「ターラッタ」という語は、神社周辺の古い方言で「合図して合唱に移る」ことを指したと伝えられている。祭りの初期記録では「塔楽打(たらった)」の表記が見られ、塔とは鐘楼を、楽打とは拍子を打つことを意味したとされる。
また「関西」と名付けられた理由については、19世紀後半にの流行り唄が泉州へ波及し、さらに海運関係者が「関西の勢い」として売り出したからだ、という説がある。ただし、実際には堺に先に定着していたという反論もあり、名称の確定は商社のパンフレット(のちに回収されたもの)によって左右されたと語られることがある[4]。
なお、祭りの略称は「ターラ」あるいは「関タラ」であるとされるが、SNS以前から口承で呼ばれていた呼称は多い。地元の古老は、ターラッタは「言いにくいからこそ覚える」合図だと笑って説明するという[5]。
由来/歴史[編集]
塔楽打の“潮合図”伝説[編集]
伝承によれば、戦国期のでは、夜に港へ灯を点ける順番を誤ると、潮の流れが逆に読まれるという迷信と実務が並存していたとされる。そこでの神職は、鐘楼の下で「塔楽打」と呼ばれる合図を打ち、町人はその“鳴りの数”を数えて応答した。
最初の年は数え間違いが続き、ある記録では合図の回数が本来ののところになったために、翌日の船が予定時刻より遅れたとされる。もっとも、その数字は後年に作られた“語りの帳面”に由来するとも言われ、正確性をめぐっては早くから眉をひそめる人もいたという[6]。
やがて合図と唱和が習慣化し、「打つ者」だけでなく「歌って応える者」が増えたことで、祭りとしての体裁が整ったと説明される。神事の作法に、声の高さを揃える訓練が取り入れられたのもこの頃だとされる。
近世の“地下水路”と灯火供養[編集]
江戸期には、泉州の生活用水を支えた地下水路網が整えられ、年に一度だけ“清めの潮灯”を流す儀礼が生まれたとされる。関西ターラッタ祭りでは、この灯火供養が市中行進に織り込まれたと説明されることが多い。
灯火は、を通して水路へ導かれる。竹籠は地元の職人によっての編み方があるとされるが、神社が許可するのはそのうちのみである。理由は「火の回り方が神の吉凶を左右する」からだとされ、禁制の編み方は“外道の音”として語り継がれてきたという[7]。
なお、灯火供養が発展した背景として、近世に流行した町人文化が“聞かせる神事”を欲したためという説もある。一方で、音を楽しむだけなら祭りではなく芸能として成立したはずだ、という批判が出たため、唱和の中に農暦が織り込まれ、結果として年中行事として固定されたとされる。
日程[編集]
関西ターラッタ祭りは、毎年に本祭が行われ、前夜祭として金曜日の夕刻からで祈願が始まる。前夜祭では、灯火の材料(灯芯の紙片と竹籠の部材)を清め、参列者に「数え唄」の譜面が配布されるとされる。
本祭当日は、午前中に神職と町会代表によるの再演が行われ、そののち市中行進へ移る。行進のルートは原則としての旧港筋から方面へ向かい、最後は神社へ戻る構成とされる。
詳細な時刻は「鐘の音で決まる」とされ、公式掲示では“目安”としてしか書かれないことが多い。ただし地元新聞の年次記事では、過去の計測として「塔楽打の本数は、合唱の転調はに相当する」といった、やけに具体的な数字が見られることがある[8]。
各種行事[編集]
各種行事は、神事・音頭・灯火供養・奉納市の四つに大別されるとされる。特に「ターラッタ節 同時合唱」は、会場全体を円形に区切り、参列者が互いの声の遅れを“手拍子”で修正する作法で知られる。
そのほか、境内ではと呼ばれる小さな鈴の配布が行われる。鈴は参加者の手のひらの数だけ鳴らすとされ、実際の数え方については「左手、右手」の合計が推奨される。しかし、翌年の子ども会では「左手2回でも泣く子はいない」という噂が広まり、数え唄が揺らいだ年もあったとされる[9]。
夜になると、地下水路から灯火が立ち上がる「潮灯行列」が行われる。行列の最後に、漁具組合が“潮の道具”を奉納し、和太鼓講が拍子を合わせて締める。太鼓の調律は、竹籠の編み目数に合わせるという説明がなされることがあり、音の理屈よりも儀礼の整合性が優先されてきたと考えられている[10]。
地域別[編集]
関西ターラッタ祭りは、開催地であるだけで完結するのではなく、周辺の旧地名単位で“参加の色”が異なると説明される。とりわけ泉州側では、灯火供養に比重が置かれ、内陸側では合唱の訓練が重視される。
堺の中心部では、行進の途中で子どもが「声の差」を埋めるゲーム形式の調律練習をする習慣があるとされる。対して同じ大阪府でも海寄りの集落では、竹籠の編み方が伝統的で、編み目を数える“沈黙の時間”が長いとされる。
また、転入者の増えた年には、遠方の参加者向けにの短縮版が配布されることがある。ただし短縮版には、昔の鐘楼が失われた場合の“代替合図”が含まれるとされ、保守的な一部からは「音が軽くなる」と指摘されてきた。こうした地域差が、祭りを毎年同じ形に固定しすぎない調整として働いているとも考えられている[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村里穂『泉州の年中行事と鐘楼の合図』堺民俗文化局, 2012.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton「Acoustic Signaling in Pre-Modern Urban Rituals」『Journal of Kansai Folklore』Vol. 18, No. 2, pp. 41-63, 2009.
- ^ 山本啓太『地下水路と灯火供養の社会史』大阪学術出版, 2016.
- ^ 清水義郎「塔楽打(たらった)の成立過程」『民俗芸能研究』第34巻第1号, pp. 112-139, 2003.
- ^ 佐々木眞紀『消えた鐘楼、残った唱和』泉州文庫, 2020.
- ^ 林田和則『春の合唱儀礼:ターラッタの音律』神社史叢書, 2014.
- ^ Aiko Valente「Turtle-Tech Nets and Festival Craft—A Comparative Note」『Ethnography of Craft and Song』Vol. 6, No. 4, pp. 201-219, 2018.
- ^ 『堺年報(嘘ではない版)』堺市役所調査課, 1957.
- ^ 藤原誠也『祭礼許可制の運用実態』近畿自治叢書, 1999.
- ^ R. H. Kintaro「Festival Timing and Miscount Errors」『Proceedings of the Fictional Society for Cultural Chronometry』Vol. 3, pp. 9-25, 1977.
外部リンク
- 関西ターラッタ祭り公式案内(堺観光)
- 大鳥居神社 祭礼記録アーカイブ
- ターラッタ節 研究ノート(非公開講習)
- 泉州地下水路と潮灯資料室
- 堺市民俗文化デジタル展示