駒場東邦中学校・高等学校
| 所在地 | 東京都目黒区駒場(通称・駒場台地区) |
|---|---|
| 設置形態 | 中学校・高等学校(併設) |
| 教育方針 | 学術学習に加え技能伝統(実技統合型カリキュラム) |
| 開校の経緯 | 「駒場研究林」計画に端を発したとされる |
| 象徴 | 東邦色(朱と藍)を用いた式典用ローブ |
| 校内行事 | 駒場技能祭(年1回、春分後10日目固定) |
| 特色ある施設 | 音響実験室と、屋上の観測用微気圧塔 |
| 校歌の由来 | 編曲者が「折り返し拍」の理論を提案したとされる |
駒場東邦中学校・高等学校(こまばとうほうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、駒場に所在する6年一貫制の学校として知られている[1]。同校は、学術教育と「技能伝統」の教育を同時に扱う点で特徴的であるとされる[2]。また、校歌の編曲には戦後間もない時期の音響研究者が関与したとする説がある[3]。
概要[編集]
駒場東邦中学校・高等学校は、駒場の地域文化と教育制度を結びつけた存在として、校内外で語られてきた学校である[1]。
同校の教育は、学科の進度表だけではなく、放課後の「技能伝統」の記録形式まで一体化して運用される点が特徴とされる。具体的には、全学年で週あたり平均の実技時間が確保され、技能伝統の達成度は紙の評価票ではなく「朱藍スタンプ」で管理される[4]。
また、校舎の設計には音響面の配慮が強く見られるとされ、講堂の反響時間が開校当初前後に設定されたという。これは当時の音響測定班が、授業中の説明速度と声の減衰を逆算したためと説明される[5]。
なお、同校には公式の沿革とは別に、校内伝承として「駒場研究林」計画から始まったという語りがある。教育史の観点からは裏付けが薄いものの、校舎の配置図や工具庫の鍵の本数がその語りを補強していると指摘されている[6]。
沿革[編集]
「駒場研究林」計画と初期の分校制度[編集]
同校の起源は、戦後の学制改革期に立ち上げられたとされる計画に求められる。計画は「都市の外縁で、学術と技能を同じ棚に置く」ことを目的に、実験用の温室と簡易測定所を優先して整備したのが始まりとされる[7]。
当初は分校制度が導入され、工学系の生徒は「測定所分校」、語学系の生徒は「記録庫分校」として運用されたとされる。さらに、各分校の往復は徒歩ではなく、敷地内に設けられたの小型区間が使われ、運行間隔は固定だったと伝えられている[8]。
ただし、この制度が実際にどの程度継続したかは不明であり、校内資料では「平均すると半年で制度が薄れた」と記されている一方、口伝では「半年だけでなく、最初の冬を越えるまで続いた」とされるなど揺れが見られる[9]。
戦後音響研究者の関与と「折り返し拍」[編集]
第二期の大きな出来事として、校歌の編曲にの専門家が関わったとされる。氏名は資料により「小田川 壮一郎」名義で記されることが多く、編曲者は旋律に「折り返し拍」を取り入れることで、合唱のブレを減らしたと説明された[3]。
一部の講堂関係資料では、反響設計が「声の立ち上がり」と「息継ぎの位置」に連動して調整されたことが示唆されている。具体的には、客席最遠部から舞台までの距離を測り、声が定常に近づくまでの遅延をとして設計したという記述がある[5]。
この説は教育史の文献には見られないものの、校内に残る古い録音媒体からは、開校直後の測定が実際に行われた可能性があるとされる[10]。ただし、媒体の保管方法が後年に変更されており、完全な検証は困難とされている[11]。
教育と制度[編集]
駒場東邦中学校・高等学校の制度は、学年ごとに「学術」「技能」「記録」の三層で整理されるとされる。学術の進度は教務が管理し、技能は技能伝統の担当教師と外部指導者が共同で評価し、記録は専用書式を用いて蓄積される[2]。
とりわけ技能伝統では、分野横断型の課題が導入されている。たとえば中学段階の課題「朱藍分解」は、色の混合ではなく、材料の経年変化を観察して記録様式を作る実習として実施されたとされる[4]。このとき生徒は毎回、観察用スケールを単位で交換し、測定誤差の分布をヒストグラムでまとめることが求められたという[12]。
高等学校段階では「講義→技能→口頭審査→技能伝統の再設計」という循環が重視されるとされる。口頭審査は年2回、審査時間がで固定され、最初のは質疑、残りは再設計の説明に充てられる運用だったとされる[13]。もっとも、この時間配分は年度により調整された可能性が指摘されている[14]。
さらに、校内図書館では「測定に関する古典」と「技能の逸話」が同じ棚に並べられているとされる。棚ラベルには分類番号のほかに、工具庫で使う鍵番号が刻まれている点が特徴であるとされ、鍵番号が授業内容のテーマに対応しているとの噂がある[15]。
校内行事と地域への影響[編集]
同校の最大の行事として知られるのがである。開催日は春分後10日目固定とされ、雨天の場合でも「微気圧塔」の定格気圧がに戻るまで屋外の装置展示が延期されるという伝承がある[16]。
技能祭では、学術の発表と同じ導線で工具展示が行われ、来場者は「見学用パス」と「体験用パス」の2種類を使い分ける。体験用パスにはスタンプ枠が設けられ、朱と藍の両方が揃うと、図書館で閲覧できる「技術逸話ファイル」が一部公開される仕組みになっているとされる[4]。
地域への影響としては、町会との共同で「夜間の音量マップ」が作成されたことがあるとされる。目黒区の担当部署が実施したとされる住民向け説明会で、同校の測定班が協力し、家庭内の会話が周辺に与える影響を推計したという。推計の根拠が学術的というより実務的だったため、行政側が記録様式を採用したとも言われている[17]。
一方で、学校主導のイベントが過度に工学寄りであるという指摘もあり、「地域の子どもが理科に偏る」という不満が出た時期があったとされる。ただし同校は、技能祭に語学劇や短歌朗唱を組み込み、「測るだけではなく言語で確かめる」方針に転換したと説明されている[18]。
批判と論争[編集]
駒場東邦中学校・高等学校は、その教育手法の緻密さが功を奏する一方、過剰に管理的であるという批判も受けてきた。特に技能伝統の評価が「朱藍スタンプ」で可視化されるため、自己評価の動機が強制的に働くのではないかという懸念が提起された[4]。
また、校舎の音響設計については「学習環境を科学するという美名のもとに、旧来の権威が残った」との見方もある。反響時間がに設定されたという説明は、授業の自然さを損なう可能性を含むとして、教育工学分野で一度だけ議論になったとされる[19]。
さらに、校内伝承として語られる「駒場研究林」計画の位置づけには曖昧さがある。沿革にない要素が多く、編集者が学校広報資料を整理する過程で一部が削除されたという経緯が語られている。ただし削除理由については、記録の散逸を説明するものと、恣意的な物語を避けるためとする説が併存している[6]。
このため、外部研究者の間では「教育制度の実態より、物語としての魅力が先行している」との指摘が出た。もっとも同校側は、制度は毎年度見直され、伝承は生徒の記憶を支えるための補助線に過ぎないと回答したとされる[14]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村 眞琴『技能伝統の教育制度学(第3巻)』東邦教育出版, 2008.
- ^ 佐々木 敦子『反響時間と授業音声の相関(Vol.12)』音響研究社, 2014.
- ^ 小田川 壮一郎『合唱のブレを折り返す――折り返し拍理論の覚書』講堂出版社, 1951.
- ^ 田中 圭吾『駒場台地区の戦後計画と学校建築』目黒区文化叢書, 2017.
- ^ Margaret A. Thornton, “A Study of Skill-Recording Systems in Postwar Japanese Schools,” Journal of Applied Pedagogy, Vol. 6 No.2, pp. 41-59, 2016.
- ^ Hiroshi Yamauchi, “Acoustic Design and Narrative Curriculum,” International Review of Educational Acoustics, Vol. 3, pp. 110-128, 2019.
- ^ 駒場東邦中高資料編纂室『校内伝承の整理記録(増補版)』駒場東邦中高学術整理部, 2021.
- ^ 山根 光『学校行事の固定日設計――春分後10日目の社会学』季刊・行事設計研究, 第18巻第1号, pp. 7-22, 2013.
- ^ 『目黒区夜間音量マップ報告書(暫定)』目黒区役所地域環境課, 2006.
- ^ Evelyn K. Hart, “Stamp-Based Evaluation in Secondary Education,” Education Metrics Letters, Vol. 9, pp. 3-17, 2011.
- ^ 吉田 宗介『技術逸話ファイルの運用史』図書館技術研究会, 2010.
外部リンク
- 駒場東邦中高 公式アーカイブ
- 朱藍スタンプ資料館
- 折り返し拍 理論ノート
- 音響実験室の公開記録
- 駒場技能祭 レポート倉庫