黒澤サファイア
| 名称 | 黒澤サファイア |
|---|---|
| 読み | くろさわさふぁいあ |
| 分類 | 人工宝石・選別技法 |
| 起源 | 1958年頃、東京都中央区銀座 |
| 提唱者 | 黒澤鉱一郎、長谷部ミツ子ほか |
| 主用途 | 映画用小道具、装飾品、鑑別教育 |
| 特徴 | 斜光下で黒味を帯びる濃青色とされる |
| 関連組織 | 日本鉱物学会、東京宝石工業協同組合 |
| 異名 | 銀座の夜色 |
黒澤サファイア(くろさわサファイア、英: Kurosawa Sapphire)は、の宝飾市場と映像産業の境界で成立したとされる、濃青色の人工宝石およびその選別技法である。にの小規模研磨工房で概念が固まったとされ、のちにやの周辺で半ば伝説化した[1]。
概要[編集]
黒澤サファイアは、サファイアの一種を装う人工石ではなく、むしろ「写り込みを制御するための色の規格」として始まったとされる。通常の青色宝石よりもやや暗く、映画照明の下でだけ縁に鈍い白線が出るよう調整される点が特色である。
一部資料では、の撮影現場で偶然生じた照明反射を宝石鑑別に転用したのが始まりとされるが、別の説ではの宝石問屋が海外向け輸出品の差別化のために捏造した名称であるとされる。いずれにせよ、末のにおいて、「暗いのに高価に見える石」として異常な人気を得た[2]。
成立史[編集]
起源として最もよく引用されるのは、夏に三丁目の研磨工房「黒澤貴石研究所」(後の黒澤工藝)で行われた試験である。工房主の黒澤鉱一郎は、産のコランダム片を20個まとめて研磨し、うち3個だけが「鉛筆の芯を濃くしたような青」に仕上がったことから、この色相を一つの型として記録したという。
当時の記録帳には、9月14日の項目として「照明30度、露出1/60、石面に映画的沈黙あり」と書かれており、後年の研究者からは「宝石工房の記録としては妙に演出過剰である」と指摘されている。ただし、同じページに鉱工業局の押印があるため、完全な私文書とも言い切れないとされる。
にはの地方例会で「Kurosawa-type sapphire」の名が報告され、ここで初めて学術用語として定着したとされる。一方で、同時期の宝飾広告では「黒澤サファイアは夜のに最も似合う石」とだけ宣伝され、定義はむしろ曖昧化した。なお、当時の広告代理店の担当者は、のちに「本当は紫外線で黒く見えるだけだった」と証言したが、裏付けはない。
技法[編集]
選別法[編集]
黒澤サファイアの中核は、石そのものよりも選別法にあるとされる。原石をのショーケース照明に当て、正面から見た青ではなく、斜め45度で「ほとんど黒、だが完全な黒ではない」層が一瞬だけ出る個体を拾う。この現象は「黒澤返し」と呼ばれ、熟練者は1時間に平均17石しか判定できないとされた[要出典]。
判定には白手袋ではなく灰色の布が用いられることが多く、これは宝石の色が手元の色温度に引きずられないようにするためである。もっとも、黒澤工藝の古い職人の間では「灰色の布は気分の問題である」とも言われていた。
研磨と染色[編集]
製造工程は、研磨後に低温の染色槽へ12分間浸す方法と、染色を行わず研磨角度だけで同等の視覚効果を得る方法の二系統に分かれる。前者は量産向き、後者は「舞台用」とされ、の前後に急増した。
染色液の主成分にはコバルト塩と茶渋抽出液が含まれるという説が広く流布したが、実際には関係者の多くが成分を説明できず、工房によっては味噌汁の冷ましたものを混ぜていたという証言まである。こうした混合の曖昧さが、かえって「本物らしさ」を増したと評価されている。
社会的影響[編集]
後半、黒澤サファイアはだけでなく映画装飾、舞台衣装、さらには高級自動車のダッシュボード意匠にまで応用され、いわゆる「暗青色ブーム」を引き起こした。特にの映画館街では、上映前のロビー照明が黒澤サファイア色に統一される店舗が増え、観客が「作品が始まる前にもう少し疲れる」と苦情を述べた記録が残る。
には、の教材として採用され、学生が100個の模造石を使って色差判定を行う実習が始まった。この教育プログラムは表向きは鑑別技術の向上を目的としていたが、実際には「青と黒の境界で迷う訓練」に近く、卒業生の半数が最終試験で無言になるという副作用があった。
また、の老舗宝飾店では、黒澤サファイアを購入した客にだけ黒い封筒が渡される慣習があり、封筒内には保証書ではなく「この石は昼に見るな」と書かれていた。こうした過剰な演出が、商品価値を支えるブランド神話として機能したとされる。
批判と論争[編集]
黒澤サファイアをめぐっては、そもそも独立した鉱物名ではなく、に宝飾業界が作った販促用語ではないかという批判が根強い。特にの鑑定団体は、同一個体でも観察条件によって黒青色が大きく変化することから、「石の性質よりも部屋の暗さが価値を決めている」と指摘した。
一方で、黒澤工藝の旧帳簿には、黒澤サファイアの在庫が年ごとに微妙に増減し、1963年だけ異様に29個少ないことが確認されている。この欠損については、試作品が映画撮影に貸し出されたとする説と、工房の猫が箱を転がしたとする説があり、現在も決着していない。
以降は、模造石の流通とともに市場が拡大したが、「本物の黒澤サファイアはカメラの露出補正で見分けるべきだ」とする派閥が現れ、鑑別現場を混乱させた。なお、の1987年報告では、同派閥の講習会参加者41名のうち38名が、帰宅後に自宅の照明をすべて交換したとされる。
歴史[編集]
輸出品としての拡張[編集]
初頭、黒澤サファイアは経由でやへ輸出され、「Japanese Midnight Blue」として販売された。商社の記録によれば、箱1つにつき説明書が4枚同梱され、うち2枚は石の扱い方、1枚は返品条件、残り1枚はなぜかの詩であった。
この詩が海外の顧客に好評だったため、輸出業者は説明書の末尾に短歌欄を設け、購入者が感想を書き込めるようにしたという。結果として、宝石よりも包装紙の方が高く評価される事例が相次いだ。
研究対象化[編集]
に入ると、工学部の一部研究者が、黒澤サファイアの視覚印象を「文化的に形成された暗青色」として分析し始めた。被験者160名に対し、昼・夕方・雨天の3条件で見せたところ、に似ていると答えた者が最多だったという。
ただし、この研究は採光条件の再現が極端に難しく、2回目の実験では被験者が全員「ただの紺ではないか」と言い出したため、学術雑誌では短報扱いとなった。にもかかわらず、同論文は後に色彩心理学の古典として参照されるようになった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒澤鉱一郎『暗青色研磨誌』黒澤工藝出版部, 1962.
- ^ 長谷部ミツ子「黒澤サファイアの視認角と照明条件」『日本宝石学会誌』Vol. 14, No. 2, pp. 33-49, 1968.
- ^ Richard P. Weller, "The Kurosawa-Type Sapphire and Urban Light", Journal of Applied Gemology, Vol. 7, No. 1, pp. 11-28, 1973.
- ^ 佐伯正人『東京色彩工業史』中央新報社, 1979.
- ^ M. A. Thornton, "Midnight Blue as a Marketing Category", The London Review of Decorative Minerals, Vol. 3, No. 4, pp. 102-117, 1981.
- ^ 日本宝石科学研究所編『模造石と本石のあいだ』技報堂, 1987.
- ^ 田代晴彦「黒澤返しに関する一考察」『鉱物選別学報』第9巻第3号, pp. 5-19, 1991.
- ^ Yoshiko Arai, "Color Drift in showroom sapphires", Proceedings of the Pacific Mineral Society, Vol. 22, No. 3, pp. 201-219, 1998.
- ^ 黒澤工藝百年史編纂委員会『黒澤工藝百年史』黒澤工藝, 2004.
- ^ 松岡奈緒『暗い宝石はなぜ売れるのか』日本経済評論社, 2011.
- ^ E. K. Hargrove, "A Cat and 29 Missing Stones", Asian Ornamental Studies, Vol. 12, No. 2, pp. 44-52, 2016.
外部リンク
- 黒澤工藝資料室
- 日本暗青色協会
- 東京宝飾アーカイブ
- 銀座色彩博物館
- 映像小道具技法研究会