00会
| 分類 | 会員制団体(儀礼的社交組織) |
|---|---|
| 活動領域 | 地域文化講座・“数字礼法”の普及 |
| 設立とされる時期 | 明確な創設年はないが、1967年頃に原型が成立したとされる |
| 拠点 | 東京都千代田区の旧地下講堂(と称される場所) |
| 会員の条件 | 初回入会時に「00」を含む暗唱文を提出 |
| 機関紙 | 『ゼロゼロ通信』 |
| 象徴 | 黒地に白抜きの「00」円形バッジ |
| 注目点 | 数字の反復が“運気”と“対人摩耗”を抑えるとされる |
00会(ぜろぜろかい)は、会員制の社交団体として始まったとされる「数字礼法」をめぐる準宗教的組織である。表向きは地域の文化講座の運営を担う一方で、内部では「00」の反復による儀礼が行われていたと伝えられる[1]。
概要[編集]
00会は、表向きには生涯学習の受講支援を目的とする会員組織として説明されている。一方で内部では「00」を起点とする儀礼が発達し、会の自己完結的な物語が増幅されたとされる。
語源については複数の説がある。数字「0」を「出発点」と見なす解釈が早い時期から広まり、さらに「0と0は鏡である」という比喩が加わったことで、団体名が儀礼の中心語として固定化したと指摘されている。なお、団体の公式文書はしばしば「00の呼吸」といった表現を用いるが、その意味は会員ごとに微妙に異なるとされる[2]。
成り立ちと選定基準[編集]
「00」が選ばれた理由[編集]
「00」が採用されたのは、会の運営側が“手続きの迷子”を減らすためと説明した経緯がある。具体的には、講座申込の受付番号が初期は1桁で揺れ、会計係が入力ミスを起こしたことから、番号体系を「00〜99」へ二桁固定したという逸話が残っている[3]。
この二桁化は単なる事務改善にとどまらず、事務局が「入力の安定=心の安定」と読み替えたことで儀礼へ転化したとされる。さらに、会の創設メンバーの一部が「二桁のうち最初の二つは“やり直しの権利”である」と語った結果、「00=やり直し=救済」という連想が強化されたとされる。ただし、当時の議事録は散逸しており、解釈の根拠は要出典とされることが多い[4]。
歴史[編集]
原型:河岸の地下講堂(1967年頃)[編集]
00会の原型は、東京都千代田区にあったとされる旧地下講堂で、地域の事業者向けの“読み合わせ会”として発足したという。発起人には、印刷会社の若手校正者だった渡辺精一郎(仮名)や、税務実務の嘱託を務めていたが関与したと伝えられている[6]。
当時、講堂の予約はの近隣施設を転用する形で行われ、利用時間が毎月±17分ほど変動したという。その不規則さを調律するため、受付係が「次回は00に戻す」と宣言したことが、団体名の前身語になったとされる。なお、当該講堂の所在地を巡っては、永田町側説と側説が対立しており、資料の欠落が指摘されている。
拡張:ゼロゼロ通信と会計番号の儀式化(1978年〜1985年)[編集]
1978年に機関紙『』が創刊され、会の内部規約が“読み物”として整えられたとされる。初号は部数が1,200部とされ、配布先は「会員の住所」と「会員の記憶の中の住所」の二系統があると書かれたという。
さらに1981年、会計番号の決定に「00を含む口座名義」が好ましいという運用が始まった。具体例として、の分室で“口座番号が00から始まる顧客”だけを優先するという規則が一時期採用されたとされる。もっとも、その規則が実在したかは資料が乏しく、回想録では「紙上のルールだけが存在した」とも記されている[7]。
1985年には、講座の閉会式で「00の拍手」を実施したとされる。拍手は左右交互に2×2回、合計4回であり、会員は最初の1回目だけ“息を吐かず”に行うよう指示されたという。細かさゆえに儀礼が定着し、他地域の同種団体へ伝播したとされる。
論争期:番号礼法による“対人摩耗”説(1991年〜2003年)[編集]
1991年、会員向け講演で「対人摩耗(ねじれ感情)を数値で抑える」という説が提示されたとされる。要点は、会合での発言回数が1回でも“00で終わる”と、その日の会話が他者に残りにくくなる、というものである[8]。
この見解は一部で支持されたが、別の会員は「発言のタイミングを規格化すること自体が摩耗を増やす」と反論した。さらに1998年には、警視庁の広報で“番号を合図にした集まり”が注意喚起されたとされるが、当該文書は「00会とは無関係」とする見方もあり、真偽は確定していない[9]。ただし、少なくとも社会の側に「数字を使う団体」への警戒が生じたことは、間接的に裏付けられている。
00会の慣行と逸話(代表的なもの)[編集]
00会では、会合の冒頭で「いまは00で始める」と宣言し、続いて各会員が“過去の失敗を二重の手順で消す”と称する儀礼を行うとされる。このとき、消去のための紙は白無地で統一され、破棄ではなく“封入”が推奨されたという。
会合の途中には「二分割の沈黙」が設けられることが多いとされる。沈黙は計2回で、前半はちょうど41秒、後半は17秒とされるが、これは「沈黙は短すぎても長すぎても会話を汚す」という運営者の経験則から来たと説明される[10]。もっとも、沈黙の秒数が実際に測定されていたかについては証言が割れており、時計係を“暗唱文の語数”で選んだと語る会員もいる。
また、地域奉仕活動では“00の書類整頓”が行われ、書類の束は必ず二つに分けてから揃えるという。これにより、束の片側が片づき、もう片側が「未整理の自分」を象徴するため、心の再配置が進むという説明がなされたとされる[11]。この説明は説得力を持った一方で、外部の参加者には「宗教っぽい」と受け取られることもあり、以後、広報文では表現が徐々に婉曲化された。
批判と論争[編集]
批判の中心は、00会が“数字を条件にした心理誘導”を行っているのではないかという点にある。会員の中には、儀礼が終わるまで退席できない運用だと感じた者がいたとされ、結果として自由参加が形骏化したのではないかという指摘がある[12]。
一方で、擁護側は「数字礼法は事務改善の比喩にすぎず、強制力はなかった」と主張した。とくに、会合での暗唱文は任意であり、提出できない者には別の“ゼロ地点の表明”が用意されていたという。しかし、実際に代替手続きが配布されていたかは、会員間で認識が一致していない。
また、2000年代初頭には、00会が地域のイベント助成金に関与したのではないかという噂も広まった。噂の根拠として「申請書の添付番号が00会の会計番号と一致していた」という話が挙げられたが、行政側は「一致は偶然」と説明したとされる。もっとも、この“偶然”の主張が説得的だったかどうかは別問題であり、当時の関係者の間では今も温度差が残っているとされる。
脚注[編集]
脚注
- ^ 山田緑『ゼロゼロ通信と数字共同体:00会の記号論』青鷲書房, 1996.
- ^ Margaret A. Thornton『Numbers as Ritual: The Case of “00” Societies』Springfield Academic Press, 2001, pp. 41-63.
- ^ 渡辺精一郎『再起の作法:二桁受付の神話的転回』風見堂出版, 1989, pp. 12-29.
- ^ 富田香織『対人摩耗の測定と誤差:会員回想の統計整理』日本心理事務学会誌, 第7巻第3号, 1994, pp. 77-95.
- ^ 李承宇『The Quiet Handclaps: Silence Protocols in Urban Clubs』Vol. 3, No. 1, 2003, pp. 201-218.
- ^ 田中春人『旧地下講堂の記録学:千代田区周辺の講堂史料』東京史料研究会, 2006, pp. 88-101.
- ^ 東京都地域文化課『生涯学習団体の運営ガイドライン(番号表現に関する留意)』東京都, 2000, pp. 5-9.
- ^ Klaus Richter『Administrative Mythologies in Postwar Japan』University of Eastbridge Press, 2010, pp. 140-162.
- ^ 内藤サチ『“00で終わる発言”の心理効果:実地観察の報告』会報心理学会, 第12巻第2号, 1998, pp. 33-52.
- ^ (参考)『ゼロの環:宗教性の境界線』不定期刊行物編集部, 1972, pp. 1-6.
外部リンク
- ゼロゼロ資料館
- 数字礼法研究フォーラム
- 対人摩耗アーカイブ
- 千代田地下講堂跡調査サイト
- 会員回想データバンク