いちご5年目
| 分類 | 果菜栽培・育種用語 |
|---|---|
| 初出 | 1978年ごろ |
| 発祥地 | 静岡県磐田郡周辺 |
| 主な用途 | 苗の更新目安、品質評価、販売等級の説明 |
| 関連作物 | イチゴ、ラズベリー、温室メロン |
| 提唱者 | 県農試果樹温室班の複数研究者 |
| 特徴 | 5年目の株が最も味の伸びと香りの複雑さを見せるとされた |
| 異説 | 土壌疲弊の警告語が誤ってブランド化したとする説 |
いちご5年目(いちごごねんめ)は、栽培開始からに入った株に生じる、果実の糖度・香気・房成りの安定化現象を指す農業用語である。もとはの育種現場で使われた内部符牒であったが、のちに品質等級や苗更新周期を巡る議論の中で広まったとされる[1]。
概要[編集]
いちご5年目は、の株が定植からに達した時期の呼び名であり、特に温室栽培において「若さの尖り」と「老化の深み」が同時に現れる状態を指すとされる。一般には苗は数年で更新されるが、いちご5年目の株は、枝数ではなく“気配”で実が決まるとして、一部の生産者の間で半ば神話化した[2]。
この語は学術用語というより、の報告書草稿に記された「5年目株の官能評価」が民間に漏れ、の選果会議を経て定着したものであるとされる。ただし、初期の記録は手書きの赤字訂正が多く、どこまでが現場の冗談でどこからが制度化であるかは判然としない[3]。
歴史[編集]
起源と用語の成立[編集]
最初の用例は、近郊の大型温室で行われた試験栽培の記録に見えるとされる。その年、担当技師の渡辺精一郎は、同一株を長期維持した区画で果実の揮発成分が増えたと報告し、欄外に「五年目で突然、香りが丸くなる」と走り書きしたと伝えられている[4]。
翌、県の品評会では、通常は市場出荷されないはずの古株の果実が、審査員の間で「やけに後味が長い」と話題になった。これを聞いた市場関係者が「新品より五年目のほうが売れる」と言い出したことから、内部符牒であったはずの表現が半ば標語化したという。なお、この逸話には要出典が付くことが多い。
制度化と標準化[編集]
には農林水産省の外郭研究会で、いちご5年目の定義が「定植後48〜60か月のうち、果房の平均重が前年同期比で7%以上持続的に上振れした株」と仮置きされた。もっとも、この数値は後年の編集で付け足された可能性があり、議事録の版によっては9%や12%とばらつきがある[5]。
千葉県と栃木県の共同実証では、5年目株の実が甘いというより、収穫担当者が株に話しかける時間が増え、結果として作業精度が上がったのではないかという逆説的な結論も示された。一方で、神奈川県の卸売現場では「5年目は輸送に弱い」とされ、同語は品質賛美と流通警戒の両義語になった。
ブームと衰退[編集]
前半には、首都圏の高級菓子店が「五年目株のみ使用」と記したタルトを販売し、銀座で一時的な流行を生んだ。これにより、通常なら廃棄される古株を維持するための専用ベンチや保温布が追加購入され、の維持費増が問題化したとされる[6]。
しかしに入ると、連作障害への警戒と「言葉だけが先行したブランド化」への反発が強まり、現場では「三年目で見切るほうが安全」とする現実路線が主流となった。それでも一部の愛好家は、代に至るまで「いちご5年目は思想である」と主張しており、農業と修辞の境界を曖昧にしたまま現在に至っている。
特徴[編集]
いちご5年目とされる株には、果皮の赤みが均一になりすぎず、わずかに白い縁が残ること、へたの反りが弱くなること、そして香りにの三層が現れることが特徴とされる。とくに、朝7時台の収穫では香気が立ちやすいとして、の一部農家ではその時間帯を「五年目の声が最も聞こえる時刻」と呼んだという。
また、果実そのものよりも、同じ株から採れた二番果以降の形の崩れ方に評価が分かれる点が独特である。品評会では、重量がからの範囲に入る個体より、むしろやや小ぶりな前後の果実が高く扱われたことがあり、この基準はのちに「見込み値が先に味へ届く」として語られた。
社会的影響[編集]
いちご5年目は、農業技術というより「更新を急ぐべきか、育て切るべきか」という経営判断の象徴として受け取られた。これにより、の若手職員向け研修では、苗更新の説明資料に「5年目神話への依存を避けること」という注意書きが加えられ、半ば教材化した[7]。
文化面では、の菓子職人がこの語を借りて、熟成期間の長いジャムやフィリングに「五年目仕込み」と名付けたことがある。もっとも、実際の熟成期間は3週間であり、表示との落差が大きかったため、地元紙で小さく話題になった。逆にその話題性が売上を押し上げたため、広報担当は「誤解もまた熟成である」とコメントしたとされる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、いちご5年目が観察現象なのか、単なる販促語なのかが曖昧である点にあった。特にの東京農業大学シンポジウムでは、ある教授が「五年目というのは株の年齢ではなく、栽培者の執念の年齢ではないか」と述べ、会場が静まり返ったという。
また、古株維持による病害リスク増大を無視して神秘化したとする批判も強い。これに対し推進派は「病気が出るのは株が悪いのではなく、神話の解像度が高すぎるからだ」と反論したが、議論はかえって拡散し、要出典の語を量産しただけに終わった。
現在の扱い[編集]
現在、いちご5年目は農業試験場の正式用語としてはほぼ使用されないが、地方の直売所や観光農園では、あえて古風な売り文句として残っている。とくに栃木県の一部施設では、年に一度の「五年目デー」が開催され、実際には2年目の株を「気分だけ五年目」として提供する催しまで行われている[8]。
このように、用語としては曖昧である一方、農業経営の継続性や“育てること自体の価値”を象徴する言葉として生き残っている。もっとも、現場では今でも「5年目の前に3年目で終わる」という冷静な反論が根強く、語の運命は常に収穫期の天候のように揺れている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『温室果菜における五年目株の香気変化』静岡県立農事試験場紀要 Vol. 12, pp. 44-59, 1979.
- ^ 田所美千代『いちご5年目現象の流通経済学的考察』日本園芸学会誌 第34巻第2号, pp. 88-101, 1984.
- ^ Margaret A. Thornton, "Five-Year Strawberry Cycles and the Aroma Plateau", Journal of Horticultural Systems, Vol. 18, No. 3, pp. 211-227, 1987.
- ^ 佐伯俊夫『果房老成論とその市場化』農業経営研究 第21巻第4号, pp. 13-29, 1991.
- ^ Hiroshi M. Kanda, "The Myth of Fifth-Year Berries in Greenhouse Cultivation", Pacific Agronomy Review, Vol. 7, No. 1, pp. 5-19, 1995.
- ^ 静岡県立農業技術センター編『いちご栽培の更新周期と品質評価』農政統計資料 第8号, pp. 102-140, 2002.
- ^ 小林由紀子『五年目デーの観光利用と地域ブランド』地域農業と消費 Vol. 9, 第1号, pp. 66-79, 2011.
- ^ Edward J. Pritchard, "When the Plant Learns Its Own Biography", Annals of Applied Botany, Vol. 41, pp. 301-318, 2016.
- ^ 中園志津『五年目の株における糖度分布の再評価』果樹温室研究 第27巻第3号, pp. 120-133, 2018.
- ^ 静岡県農業会議資料編集室『五年目と呼ばれたものの記録』地方農政叢書 第5巻, pp. 1-77, 2021.
外部リンク
- 静岡県園芸史アーカイブ
- 農業用語年表データベース
- 温室果菜研究会便り
- 地域ブランド農産物資料室
- 五年目株保存協会