うまぴょい祭
| 行事名 | うまぴょい祭 |
|---|---|
| 開催地 | 茨城県水戸市(千波川上神社・偕楽園周辺) |
| 開催時期 | 毎年6月の第2土曜日(前夜祭は金曜日) |
| 種類 | 神事・大衆芸能・競走擬態儀礼 |
| 由来 | 『跳躍祓い』と称される馬形の厄払いに由来するとされる |
| 公式キャッチ | “ぴょい、で災いを出す” |
うまぴょい祭(うまぴょいさい)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
は、で行われる祭礼として、地域の初夏の観光資源になっている行事である[1]。
神事の要素と大衆芸能の要素が同時に重ねられており、特に「ぴょい」の掛け声と、馬形の木札(通称:ぴょい札)を掲げる行列が特徴であるとされる[2]。
各年の規模は年ごとに増減するものの、境内の立ち見が発生するほど人が集まり、祭りの経済効果は推計で年間約1.8億円に及ぶと試算されている[3]。
名称[編集]
名称は、祭り当日に唱和される「ぴょい」から採られたと説明されることが多い[4]。
一方で、神社側の古文書として閲覧される「千波川上神社旧記」では、語源が「鞍(くら)を置き、厄(えき)を跳ね出す」ことにあると記されているとされる[5]。
このため、外部研究者の中には名称を音響民俗の観点から捉え、「跳ね上げの反復が災厄の“居着き”を阻止する」儀礼技法であるとも主張する者がいる[6]。ただし、祭り関係者はこの解釈を「だいたい合ってる」とだけ述べるのが通例とされる。
由来/歴史[編集]
“跳躍祓い”の誕生譚[編集]
うまぴょい祭の起源は、の旱魃に際して行われた「跳躍祓い」にあると語り継がれている[7]。
伝承によれば、当時の水戸藩の御用馬役が、干上がった千波川の底を歩く代わりに「馬に似せた影(かげ)を跳ばす」ことで水脈の再開を願ったことが、祭りの原型だとされる[8]。
さらに、祭り関係者が大切に保管するとされる“跳躍祓いの札帳”では、最初の儀礼が「全16回の跳躍」を要し、そのうち3回が不発(跳ね上がらず地面に“ぴょり”と落ちた)として記録されているという[9]。この数字の細かさが、現在のぴょい札の「1枚=ぴょり1回」を補強する根拠として扱われている。
水戸の“ぴょい”制度化[編集]
制度化は末期、交通安全の意識が高まった時期に、神社が「祭りの群衆動線を馬追い風に整流する」方針を採ったことに由来するとされる[10]。
当初、群衆は神社の参道で渋滞し、事故が起きかねない状況だったため、神官の(仮名として記録される)は「ぴょい」の掛け声を合図に歩行速度を揃えることを提案したとされる[11]。
この提案は、翌年の自治体会議で“掛声統制案”として審議され、最終的に「ぴょいの回数は午前と午後で各9回、合計18回まで」という“参加者の安全目安”が採択されたと伝えられている[12]。なお、現在の公式プログラムでも、全体の掛声が18回で設計されているため、制度化の記憶が残っていると説明されることが多い。
戦後再興と令和の改変[編集]
戦後は一時中断されたとされるが、40年代に「地域の連帯を再建する祭礼」が必要になったことから、が再興を決めたとされる[13]。
当時の実務担当とされるの出張職員(公的には名簿外とされる)は、祭りを観光向けに整える際、馬形の木札を増産するために工房契約を結んだと語られている[14]。
そしてに入ってからは、祭りの目玉が「擬態競走」へと拡張された。具体的には、走者の代わりに“跳躍祓いの札”を持つ子どもが順番に合流し、ゴールをの東門付近とする形に改められたとされる[15]。この改変は賛否を呼びつつも、現在の来訪者数を押し上げた要因だと考えられている。
日程[編集]
日程は、毎年6月の第2土曜日に主祭が置かれ、前夜祭は金曜日に実施される[1]。
初日は、千波川上神社の境内で「ぴょい灯(びょいび)」と呼ばれる灯籠の点灯が行われ、点灯数は年ごとに増減するが、目標として“毎回777基”が掲げられている[16]。
主祭当日は午前に神事(跳躍祓いの所作)が、午後に行列(ぴょい札の掲出と唱和)が組み合わされ、夕刻に“擬態競走”の決着が行われるとされる[17]。
なお荒天時には、競走部分が中止になり、代替として「ぴょい札の総唱和」が行われる運用になっていると説明されている[18]。
各種行事[編集]
主な行事としては、跳躍祓い、ぴょい札行列、擬態競走、そして奉納踊りが挙げられる[2]。
まず跳躍祓いでは、馬形の木柵(もっさく)が一周し、参加者はその内側で「ぴょい」を3拍ずつ唱えるとされる[19]。このとき木柵は“高さが七寸(約21cm)を超えない”ことが神社の内規により定められているとされるが、実測した人の証言では年により誤差があるとも指摘されている[20]。
次にぴょい札行列では、参加者がぴょい札を掲げて参道を進む。札には「ぴょり1回」「ぴょり2回」といった刻印があり、合計18回の唱和に合わせて札を順番に上げ下げする仕組みだと説明される[12]。
擬態競走では、走者に見立てた子どもが3列で整列し、合図の鐘が鳴ると“跳ねる代わりに札を掲げて移動する”。この方法は安全上の配慮とされつつ、なぜか毎年「勝ったチームの子が将来、馬具職人になる」という言い伝えが語られている[21]。
さらに奉納踊りとして「千波の蹄(ひづめ)踊り」が披露され、太鼓の回数は「春の余り打ち」として、午前は101回、午後は99回とされる[22]。ただし、太鼓方の一人は「数字は“気分”で調整する」と語ったともされ、数字の確かさは揺れているとされる[23]。
地域別[編集]
うまぴょい祭は水戸市中心で知られているが、周辺の自治体でも「ぴょい札巡行」として派生行事が行われることがある[24]。
では、海風の影響で紙札が傷みやすいため、代替として金属製の“ぴょいボルト”を掲げる運用が採られるとされる[25]。このため、同市の参加者は「跳ねないのにぴょいが勝つ」と冗談めいて言うことがある。
の一部では、跳躍祓いの所作を“太鼓の前奏”として取り入れ、踊り手が先に打面へ向かう形に変化したと説明される[26]。
一方での派生団体では、唱和の回数が18回ではなく「19回に増やした」と主張する資料が存在するともされるが、神社側は「それは祭りの“迷子数”で、参加者を増やすための営業資料だったのでは」と曖昧に否定しているとされる[27]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 千波川上神社編『千波川上神社旧記と周辺祭礼』千波川上神社史料室, 1987.
- ^ 渡辺精一郎『跳躍祓いの所作研究』水戸学研究会, 1922.
- ^ 田所鶴吉「祭礼における掛声統制の試案」『茨城地方自治年報』第12巻第3号, pp. 41-55, 1948.
- ^ 鈴木楓「音響民俗における“ぴょい”の反復効果」『民俗音声学紀要』Vol.7 No.1, pp. 12-29, 2006.
- ^ Katherine W. Harrow『Ritual Synchrony in Modern Japan』University of Tsukuba Press, 2013.
- ^ 松浦涼太『偕楽園周縁の祭礼経済と動線設計』筑波都市文化研究所, 第5版, 2019.
- ^ 村瀬真央「木札文化の保存と計測誤差(ケース:ぴょい札)」『保存科学通信』第22巻第2号, pp. 88-101, 2021.
- ^ 『関東祭礼データ集(非公式)』関東観光統計協会, 2020.
- ^ David L. Bent『Festival Motion: Sound, Crowd, and Safety』Routledge, 2016.
- ^ 水戸市教育委員会『初夏の風物詩—祭礼プログラム調査』水戸市役所, 2024.
- ^ 中島祐介『統計で読む祭りの勝敗』講談社インターナショナル, 2018.
外部リンク
- 千波川上神社公式アーカイブ
- うまぴょい祭デジタル講談資料室
- 水戸観光ぴょいレポート
- ぴょい札保存プロジェクト
- 関東祭礼動線データベース