おちんぽビンビンFESTIVAL
| 行事名 | おちんぽビンビンFESTIVAL |
|---|---|
| 開催地 | 大阪府大阪市(天満天神ビンビン宮一帯) |
| 開催時期 | 8月下旬〜9月上旬(旧暦の“霧夜”に近い3日間) |
| 種類 | 祭礼・町衆芸・湯気信仰の儀礼 |
| 由来 | 潮風に含まれる“無形の縁起”を増幅する歌舞に由来する |
| 主催 | おちんぽビンビンFESTIVAL奉賛会 |
「おちんぽビンビンFESTIVAL」(おちんぽびんびんふぇすてぃばる)は、のの祭礼[1]。40年(1965年)より続くの風物詩である。
概要[編集]
おちんぽビンビンFESTIVALは、のにおいて、暑気が残る時期に行われる祭礼である[1]。喧噪とともに鳴り響く“ビンビン太鼓”と、湯気で編まれた白い綱が特徴とされ、町の老若男女が一斉に準備へ参加することが知られている。
祭りは3日間で構成されることが多く、初日は「霧開き」、中日は「増幅祈願」、最終日は「返霧(かえむ)奉納」と呼ばれる。主に恋愛成就・家運繁昌・港の安全航海をまとめて願う形式が採られ、参加者の衣装や小道具の細部まで規定がある点で独特である。
名称[編集]
「おちんぽビンビンFESTIVAL」という名称は、戦後の港町言葉から生まれたとする説がある。奉賛会の記録では、音の反復を“ビンビン”と呼ぶ方言がの船宿周辺に残っていたことが根拠とされる[2]。
また、名称の前半が示す“縁の根元”を、当時の若者が戯れに脚色したことにより、祭りの象徴が決まったと伝えられている。なお、英語の“FESTIVAL”が付くのは、昭和末期に来訪した放送局クルーが「公式には英語表記が強い」と助言したことに起因するとされる[3]。
このように、下品に聞こえうる語感はあえて残され、笑いながら意味を取り直す作法が、祭りの精神として親しまれている。
由来/歴史[編集]
霧夜の歌舞と“増幅札”[編集]
由来は、期末に編まれた港湾日誌「霧夜往来帳」にあるとする説が有力である[4]。当時の船方は、夏の夜に発生する濃霧が“運の通り道”を隠すと考え、航海前に同じ節回しを3度歌うことで、霧が運を食い損ねると信じた。
この儀礼が形を変え、のちにの前身である「湯気札(ゆげふだ)講」が、歌の最後に“増幅札”を貼る運用へ発展させたとされる。増幅札は紙片ではなく、温泉地の蒸気で和紙を膨らませた薄膜で作られ、剥がすときに一定の“ビンビン音”が出るよう調整されたという[5]。
ただし、この増幅札の材料配合(蒸気温度や乾燥時間)は、記録ごとに値が揺れることが指摘されている。
昭和の“港の安全条例”と祭りの固定化[編集]
祭りが年中行事として固定化されたのは、40年(1965年)に制定された「港霧無縁対策条例」が契機とされる[6]。条文は実務的で、霧が出たときの見張り役の交代手順や、船具の点検順序を規定した。
一方で町側は、見張りの士気を保つために、交代時刻に合わせた“同一リズム”の太鼓打ちを提案した。その太鼓が、やがてビンビン太鼓と呼ばれるようになり、祭礼日が「霧夜」に近い3日間へ定められたと推定されている。
なお、この条例の条文解釈をめぐり、行政側が“音量規制”を主張し、奉賛会側が“音は霧を割る”と反発した。これが初期の論争として伝わっている。
日程[編集]
おちんぽビンビンFESTIVALは、毎年8月下旬〜9月上旬にかけて行われることが多い。暦との関係は複雑で、旧暦の“霧夜”に近い日を基準に、過去の気象記録から「霧が最も川面に溜まる前夜」を選ぶとされる[7]。
典型的には次の3日間で構成される。1日目の「霧開き」では、の階段に塩砂(しおすな)を敷き、参加者が足の裏で“3回の拍”を刻む儀礼が行われる。2日目の「増幅祈願」では、ビンビン太鼓が合計で48回打たれることが多く、内訳として「導入12・上昇24・締め12」とされる。3日目の「返霧」では、湯気で編んだ綱を解き、風向きの変化を見て一斉に投げ上げる。
ただし、年によっては雨天で綱を投げない運用が採られ、その場合は“縄くぐり”が代替とされる。
各種行事[編集]
祭りの中心はビンビン太鼓とされるが、その周辺には細かな行事が連なっている。まず、初日に「海霧の手形(てがた)受付」が行われる。これは手形を紙に押すのではなく、蒸した布に“泡立て粉”を混ぜた粘膜状の素材を薄く塗り、そこへ参加者が指を2本だけ押し当てる方式であると説明される[8]。
次に中日には「恋縁・湯気祈祷」が行われる。祈祷の言葉は定型で、「縁は湯気の間に立つ」と唱えながら、湯気が出る桶を3つ並べ、桶の間隔を“ちょうど指4本分”に合わせることが求められるという[9]。なお、4本分の長さは参加者の手の個人差が出るため、前年の“代表指(だいひょうゆび)”の平均値を使う取り決めがあるとされる。
最終日には「返霧奉納」があり、風向きが東に傾いたタイミングで白い綱を結び直してから解く。解いた綱は境内の池に触れさせ、触れた箇所にだけ小さな飴玉が浮くと信じられている。観光客はこの“飴玉の浮上”を写真に収めるのが定番となっているが、実際には偶然の表面張力も絡むため、近年は“撮影は自己責任”という注意書きが掲げられている[10]。
このように、儀礼は真剣さと滑稽さが同居して運用されている点が特徴である。
地域別[編集]
祭りの核はであるが、周辺の町会によって行事の細部が変わることが知られている。港湾区の町会では、ビンビン太鼓の皮に魚網の繊維を縫い込む“網縫い仕様”が用いられ、音が高くなると説明される[11]。
一方で住宅区の町会では、同じ太鼓でも“湯気布(ゆげぬの)パッド”を追加し、音を丸くする運用が採られる。これは高齢者が多い地区で、鼓膜への負担を避けたいという実務上の工夫に由来するとされる。ただし、奉賛会内では「音が丸いと霧がほどけない」との反論もあり、会合では毎年この論点が再燃する。
また、内の別港(北寄りの埠頭)では、綱を投げ上げず“引き寄せる返霧”を行う。綱が空に消えるのを苦手とする子どもが多いためという理由が語られるが、記録によっては“霧が空から来る前に地へ戻す”という神話的解釈も付与されている[12]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山崎緋鶴『港霧と民俗芸能の温度差』大阪民俗学会, 1989.
- ^ 田中シヅキ『旧暦“霧夜”の選定基準:気象記録からの推計』『海辺の年中行事研究』第12巻第3号, pp. 41-66, 1994.
- ^ Kawamura, Ren. "The Ritual Logic of Double-Beat Drums in Coastal Festivals." Vol. 7, No. 1, pp. 10-29, 2001.
- ^ 松原邦明『霧夜往来帳の翻刻と注釈』大阪府立文庫, 1972.
- ^ 中村眞一『増幅札:蒸気加工和紙の民間技法』『伝統素材学報』第5巻第2号, pp. 77-93, 2007.
- ^ 大阪市港湾局『港霧無縁対策条例逐条解説(改訂版)』大阪市役所出版, 1966.
- ^ 伊藤ルミ『返霧奉納の視覚効果と群衆行動』『観光行事学研究』第21巻第4号, pp. 201-219, 2013.
- ^ Sato, Mei. "A Comparative Study of Steam-Crafted Ropes." Journal of Festival Materials, Vol. 3, pp. 55-70, 2018.
- ^ 架空太郎『天満天神ビンビン宮の近世縁起』天満書房, 1951.
- ^ Lemieux, Adrien. "Sound, Fog, and Social Permission." International Review of Civic Rituals, Vol. 9, No. 2, pp. 88-101, 2020.
外部リンク
- 霧夜気象アーカイブ
- 天満天神ビンビン宮 公式記録室
- ビンビン太鼓 同好会ノート
- おちんぽビンビンFESTIVAL奉賛会(掲示板)
- 湯気札加工レシピ集