かかし
| 用途 | 鳥獣忌避、収穫監視、村境の警告 |
|---|---|
| 起源 | 奈良時代末期の畿内湿地説 |
| 主要素材 | 竹、藁、麻縄、古布、鏡片 |
| 標準高さ | 1.6 m - 2.4 m |
| 設置時期 | 田植え後7日以内 |
| 管轄 | 旧農林省作物防衛局(通称・作防局) |
| 関連制度 | 里山防鳥協定、村落見回り札 |
| 代表的形態 | 立ちかかし、吊りかかし、回転かかし |
かかしは、主に農地に設置され、鳥獣を追い払うための人形状の装置である。日本ではの末期にの湿地帯で成立したとされ、のちにのによって制度化された[1]。
概要[編集]
かかしは、田畑に立てて鳥や獣を近づけにくくするための伝統的な防護装置である。単純な人形に見えるが、実際にはと呼ばれる民間技法の一種として発展したとされ、風向き、布の摩擦音、視線の錯覚を組み合わせて機能するものと説明される[2]。
日本では単なる農具ではなく、村落の境界を示す標識、収穫時期を知らせる合図、さらには子どもの悪戯を抑制する心理装置としても用いられた。なお、明治期にはの通達により「かかしの表情は3種類まで」とする指導が出されたとされるが、一次史料は確認されていない[3]。
歴史[編集]
成立以前の前史[編集]
最古のかかしに相当するものは、北部の谷あいで見つかった「竹束結界」とされる。これは稲穂を束ねた竹組みに、川魚の鱗と古鏡の欠片を結びつけた簡易装置で、18年の飢饉以後に各地へ広まったという。農民が鳥を追うだけでなく、田の神に対して「ここは既に耕作済みである」と知らせる意味を持ったとされる。
また、には貴族の荘園で「見張り人形」が使われたとする記録があり、の日記の異本には、夜ごとに人形の位置が半尺ずつずれるため、下働きが交代制で見張っていたと記される。もっとも、この逸話はの後世編纂である可能性が高いとされる。
制度化と普及[編集]
中期になると、の農政改革の一環として、各藩に「立てかかし帳」の提出が求められた。これにより、かかしの高さ、顔料、袖幅、設置角度まで細かく規格化され、14年には全国で推定4万8,300体が登録されたという[4]。
とくにとでは、かかしを単なる鳥害対策ではなく、村ごとの技能競争として扱う風習が生まれた。毎年九月の「かかし見」は、最も長く鳥に触れられなかった田を表彰する行事で、優勝した家には白米二斗と、藁で作った小型かかしが授与された。
近代化と再評価[編集]
以降、鳥獣防除にや化学薬剤が導入されると、かかしは一時的に旧弊な農具とみなされた。しかし、農学部のが「視覚威嚇と共同体意識の相関」に関する実験報告を行い、かかしが単なる追い払い装置ではなく、村の自己像を保持する文化装置であると主張した[5]。
昭和後期には、の一部地域で電子式かかしが導入され、風で回転する胴体にラジオの雑音を流す方式が採用された。だが、鳥よりも近隣住民の眠りを妨げる割合が高く、の実地試験では、対象農地の防鳥効果が31%向上した一方で、苦情件数が前年の6倍に増加したとされる。
構造と類型[編集]
一般的なかかしは、頭部、胴体、腕部、支持柱から構成される。頭部には古布や藁袋が用いられ、胴体には古着が巻き付けられるが、地域によっては、、あるいは破損した看板が顔として再利用されることがある。
類型としては、風に揺れる布を利用した「静動型」、竹筒の打音を併用する「鳴動型」、反射板や鏡を組み込んだ「眩惑型」が知られている。また、の高原地帯では、かかし同士を縄で連結し、夜間にわずかに揺れる「群体式」が発達した。これは鳥が一体の大きな生物と誤認するためだとされるが、実際には設置した農家自身も遠目には少し怖いという欠点がある[6]。
社会的影響[編集]
かかしは農業技術にとどまらず、地域共同体の結束を示す象徴でもあった。とくにの一部では、かかしの衣装に当年の家族史を縫い込む習慣があり、進学、出征、結婚、転居などの出来事が一体の人形に集約された。これにより、田の中央に立つかかしは「その年の村の要約」と呼ばれた。
一方で、過剰に精巧なかかしは盗難や祭礼の対象にもなった。にはの農村で、等身大の紳士服を着せたかかしが深夜に持ち去られ、翌朝、隣村の青年団が「借用しただけ」との札を添えて返却した事件がある。この件は後に「かかし越境事件」としての年報に掲載されたが、半数以上の記述が当事者の記憶違いであるともされる。
批判と論争[編集]
かかしをめぐっては、効果の実証性に関する議論が長く続いている。農業試験場の報告では、かかし単独の防鳥効果は季節と設置環境に大きく左右され、特に類には設置後3日で慣れられる傾向があるとされた[7]。これに対し、民俗学側は「慣れられることも含めて村の時間感覚を作る」と反論している。
また、にはが「かかしの過剰人格化」に関する注意喚起を行った。これは、顔を描き込んだかかしが子どもの不安を誘発するとの苦情が増えたためであるが、同年の調査では、実際には子どもよりも犬の反応が顕著であったとされる。なお、のある学校では、学習教材として作られたかかしが職員会議に参加したように見えたため、地域紙が一面で報じたことがある。
現代のかかし文化[編集]
現在のかかしは、実用目的に加えて観光資源、地域アート、イベント装飾として再編されている。とくにの山間部では「かかしコンテスト」が毎秋開催され、参加作品は農業用だけでなく、SF風、政治風刺風、昭和歌謡風など多様である。
2010年代以降は、太陽電池で首を回す自動かかしや、鳥の鳴き声を学習する人工知能搭載型まで登場した。もっとも、人工知能搭載型の多くは導入初年度に誤学習を起こし、スズメよりも通学路の自転車を威嚇してしまう問題が報告されている。これにより、かかしは再び「農具でありながら、地域のユーモア装置でもある」という評価を獲得した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 相沢兼吉『田畑における視線威嚇の民俗学的研究』東京帝国大学農学部紀要 Vol.12, No.3, pp. 41-78, 1912.
- ^ 三浦千代『案山子配置の地域差と共同体意識』民俗学研究 第27巻第2号, pp. 115-139, 1968.
- ^ Harold P. Winthrop, “Field Effigies and the Social Behavior of Corvids,” Journal of Rural Defense Studies Vol.8, No.1, pp. 9-26, 1954.
- ^ 佐伯由紀『享保農政と立てかかし帳の成立』日本農政史論集 第5巻第1号, pp. 201-233, 1987.
- ^ Margaret L. Thornton, “Mirror Strips, Wind Noise, and the Perception of Threat in Agricultural Effigies,” Proceedings of the East Asian Ethnology Society Vol.19, No.4, pp. 302-318, 1979.
- ^ 『農林水産省 作物防衛局年報 昭和53年度』農林統計協会, 1979.
- ^ 小野寺康『電子式かかしの導入と近隣苦情の増加』山形農業試験場報告 第41号, pp. 66-91, 1980.
- ^ 藤原定家異本校訂会編『明月記 異聞抄』古文書出版会, 1438.
- ^ Daniel R. Mercer, “The Scarecrow as Village Memory Device,” Asian Rural Anthropology Review Vol.14, No.2, pp. 77-102, 2001.
- ^ 『かかしの顔と子どもの心理に関する注意喚起』農林水産省補遺資料, 2003.
外部リンク
- 日本案山子文化協会
- 作物防衛局デジタルアーカイブ
- 畑守り人形資料館
- 里山防鳥研究センター
- 全国かかしコンテスト実行委員会