アルタ・ヴァニヤ祭
| 行事名 | アルタ・ヴァニヤ祭 |
|---|---|
| 開催地 | 北海道函館市・湯倉熊野神社周辺 |
| 開催時期 | 毎年11月第2土曜(前夜祭を含む) |
| 種類 | 神事・芸能・灯火行進・供物競技 |
| 由来 | 海霧封じと“手袋の言い伝え”に由来する |
アルタ・ヴァニヤ祭(よみは あるた・ばにやさい)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
アルタ・ヴァニヤ祭は、において晩秋の海風が強まる時期に行われる総合的な祭礼である。海の霧を“封じる”ための祈りと、町の若衆が競う供物競技、そして灯火行進が一連として親しまれている。
この祭りでは「見えたものだけを数えない」ことが作法として伝わる。具体的には、行進路に置かれた1008個の木札を数えるが、霧が濃くなると札の半数は“見たことにしない”とされる。この奇妙な規律が、他所の祭礼には見られない独自性として知られている。
一方で、近年は観光面の拡大により、木札の数え方が娯楽化しているとの指摘もある。ただし主催側は、単なる目隠しゲームではなく、霧と不確実性を受け入れる共同体の訓練だとして説明している。
名称[編集]
「アルタ・ヴァニヤ」の語は、函館周辺の海運関係者が使っていた港湾合図の一種に由来するとされる。旧来の記録では、冬の氷が“跳ねる(アルタ)”現象を見分ける呪句が「アルタ」、霧の濃度を測る合図が「ヴァニヤ」と記されており、両者を合わせて祭礼名になったと説明される[2]。
また別説として、末期にへ出入りしていた通訳が、ロシア語の音を聞き間違えたまま広めたのが定着したというものがある。実際の発音は「Alta Vaniya」ではなく「Arta Vanya」に近かったとする資料もあり、言語学者のは“祭りの名は誤差を抱えて増殖する”と述べている[3]。
祭りの期間中、町では「アルタ・ヴァニヤ、手袋を返せ」といった短い掛け声が交わされる。これは後述する供物競技に関係し、手袋を“誰のものか分からない状態”にしてから神前へ捧げる手順があるためだとされる。
由来/歴史[編集]
成立伝承:海霧封じの“手袋契約”[編集]
伝承によれば、の宮司が6年の冬、海霧によって港の灯台が誤認され、漁船が2晩連続で同じ岩場へ向かったと記録したことに始まる。翌年、宮司は海霧を“契約不履行”として扱い、霧に向けて供物ではなく「手袋」を捧げることで帳尻を合わせる儀式を考案したとされる[4]。
この儀式では、村人が各自の手袋を1対ずつ持ち寄るのではなく、必ず対にならない状態で集めることが求められた。つまり片方だけ提出し、神職が“返せない約束”を読み上げた後に、祭礼当日の競技で初めて対を完成させる仕組みである。この段取りが「手袋の契約」と呼ばれ、のちにアルタ・ヴァニヤ祭の核として固定された。
さらに、霧封じの効果を測るために、灯火の高さを毎年「7尺3寸(約2.3m)」に揃えるよう命じたとされる。数字の一致に執着する姿勢は、当時の神社経営が海運業の帳簿管理を参考にしていたことに由来すると説明されてきた。
近代の制度化:函館共栄会と機械灯の導入[編集]
期に入ると、祭りは私設団体へ移管されかけた。記録ではが灯火の調達を引き受け、供物競技の審判を“帳面係”として配置したとされる[5]。この頃から、灯火行進が「霧の統計」を意識して組織化された。
ところが、昭和15年には灯火の実験が過剰化し、行進路の照度が上がりすぎて、逆に霧が見えなくなる現象が起きたとされる。主催側は照度の上限を「従来の0.72倍」と定めた。根拠は“目が慣れる速度は個人差がある”という民間療法の計測に求められており、ほかの資料にはほとんど登場しない数字である。
戦後は一度縮小したが、が寄贈を受けた古い札束の写真によって、木札の数が「1008」に戻された。写真の撮影日が「11月13日」であったため、再現性の高い約束数字として採用されたとされる。
日程[編集]
アルタ・ヴァニヤ祭は、毎年第2土曜に合わせて実施される。前夜祭は金曜の19時から開始され、神社境内で灯火の試点検が行われる。
土曜当日は、朝の霧祈祷から始まり、10時に供物競技の下見が行われる。競技は14時から始まり、終盤で参加者が“見えない対”を完成させる。17時に灯火行進が始まり、行進は約1時間半で折り返す。
なお、翌日の日曜には後片付けではなく「札の棚卸し」が行われる。棚卸しでは全員が札を数えるが、霧で見失った札の分だけ、名前ではなく“手の温度”で申告する慣習が残されている。これは体感の記録であり、温度計は使わないとされる。
各種行事[編集]
供物競技は祭りの中核であり、「手袋対合わせ競走」として説明されることが多い。参加者は木札の番号で手袋の断片を受け取り、神職の読み上げが終わるまで対を揃えてはならない。揃えた瞬間に“帳簿が閉じる”とされ、失格になると伝えられる[6]。
灯火行進では、参加者が7尺3寸の灯を運ぶ。行進中は掛け声として「アルタ・ヴァニヤ、霧よ黙れ」が推奨され、沈黙が最も評価される年があったとされる。評価基準は、音量計ではなく、境内に置かれた鈴の振れ幅で算出されたという逸話が残っている。
ほかに、海霧封じのための“霧の箱”が用意される。箱の中には、海水ではなく凍った砂が入れられ、祈祷後に砂が溶けた速さで当年の豊漁が占われる。砂が溶け切らない年には、翌年の灯の高さを「7尺2寸」に調整すると申し合わせが行われる。
地域の子ども向けには「札の虫干し」もあり、木札を日の当たる場所に並べて観察する。大人は“見えた事実だけでなく、見えなかった可能性”を話すよう促されるため、家庭の会話が増える行事としても知られている。
地域別[編集]
函館市内では、海側の地区と山側の地区で、所作がわずかに異なる。湯倉地区では灯火行進の先頭が必ず“濡れていない手袋”を持つのに対し、日吉地区では先頭が“霧で湿った手袋”であることが求められる。
また、隣接するの内浦方面から参加する家々は、「札の虫干し」の並べ方を変える。内浦では木札を円形に並べ、中心に小さな水鉢を置くという。これは古い船宿の作法に由来するという説明がされているが、出典は主に口承であり、文献での裏取りは少ないとされる。
一方で、函館港を越えて同名の呼び名が広がった例もある。例えばでは独自に“アルタ・ヴァニヤの語呂合わせ”を祭りの歌詞へ採用し、競技の手袋を布ではなく紙に置き換える運用が行われたことがある。これについては主催側から「紙では契約が軽くなる」との注意が出たと伝えられ、翌年には布へ戻されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 湯倉熊野神社編『霧封じの手袋記録』湯倉熊野神社出版部, 1932.
- ^ 平沼義晴『祭礼語彙の誤差論:アルタ・ヴァニヤの場合』北海道方言研究会, 1978.
- ^ 田中咲良『函館港の帳面文化と年中行事』函館市立中央図書館, 1986.
- ^ Catherine R. McNair『Port Choirs and Lantern Contracts』University of Hokkaido Press, 1994.
- ^ 【要出典】北海史料調査班『海霧封じ灯度の決定要因:従来の0.72倍の再検証』北海史研究, 第12巻第3号, pp. 41-58, 2001.
- ^ 佐藤博志『木札1008の社会史』青灯社, 2009.
- ^ Ivan Petrov『The Unseen Pair: Maritime Ritual Accounting』Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, Maritime Folklore Studies, 2011.
- ^ 函館市文化部『晩秋の灯火行進と共同体の沈黙』函館市文化報告書, 第5号, pp. 1-22, 2016.
- ^ 谷本明人『霧が見せるもの/見せないもの』霧文化学会誌, 第9巻第1号, pp. 77-96, 2020.
外部リンク
- 湯倉熊野神社公式アーカイブ
- 函館共栄会 年中行事データベース
- アルタ・ヴァニヤ祭 灯火記録館
- 木札1008 研究メモ
- 霧棚卸し 保存会