ホバトヌンタッタ
| 行事名 | ホバトヌンタッタ |
|---|---|
| 開催地 | 北海道函館市 八幡山神社 |
| 開催時期 | 1月第3土曜(前夜祭は金曜) |
| 種類 | 神事・火入れ行事・町内競走 |
| 由来 | 津軽海峡の“霜時計”を鎮める口伝に由来するとされる |
ホバトヌンタッタ(ほばとぬんたった)は、のの祭礼[1]。以来とされるのの風物詩である。
概要[編集]
は、厳寒期に行われるのの祭礼であり、参拝者が「霜の時刻」を誤作動させないための手順を共同で行うとされる行事である[1]。
本祭では、中央鳥居前に組まれた低い棚へ“霜塩(しもしお)”と呼ばれる白い粉を撒き、次いで火を分ける「分火(ぶんぴ)」が行われる。分火は単なる点火ではなく、着火順の暗唱とあわせて初期の点火失敗を神前へ「報告」する習わしとして伝わっている[2]。
また、町内ごとに走者が定められ、鐘楼の下で「3回鳴らし→2回沈黙→1回合図」を守りながら駆け抜ける競走が、祭りの“言葉の音”として定着しているとされる。地元ではこれらの所作が、通称「ヌンタッタ式」と呼ばれている[3]。
名称[編集]
名称の「ホバトヌンタッタ」は、アイヌ語起源説と、漁場方言の音写説が並立している。祭具台帳(通称「神社台」)に残る最古の記録では、濁点を省いた表記で「ホバトンンタタ」とされ、後世に現在の「ホバトヌンタッタ」へ統一されたと伝えられる[4]。
地元の説明では、最初の「ホバト」が“凍った扉(とざされた戸)”を、次の「ヌンタッタ」が“時間が跳ねる音”を意味する、と口伝されている[5]。ただし神社側の解釈では、言語学的な厳密性よりも「唱えるほど霜が緩む」という実感を重視してきた経緯があるとされる。
なお、祭り当日には子どもたちが「言い間違いカード」を配布され、誤って叫んだ言葉を“霜の誤差”として神官へ提出する儀礼がある。これにより、名称が単なる呼称ではなく、行為の制御装置として機能してきたと見る向きもある[6]。
由来/歴史[編集]
“霜時計”伝承と八幡山神社の選定[編集]
伝承では、津軽海峡を渡る風が特定の夜だけ時計の針を曇らせ、港の見回り隊が「いつ見張ったか分からない」状態に陥ったとされる。そこでの神職・(明治期の観測係として記録される)が、霜が最初に厚くなる地点を“霜時計の盤面”と名づけ、祭礼の中心に据えたとされている[7]。
史料としては、神社文書「冬夜手順書(とうやてじゅんしょ)」第2章に、分火の着火順が「北→東→南→西、ただし各方向で粉量は“指1本分”に統一」と書かれている。もっとも、粉量が“指1本分”では検証しにくいとされ、昭和後期には計量器の導入が試みられたが、祭りの没個性を恐れて一度は撤回されたという[8]。
この経緯から、ホバトヌンタッタは「霜が人の記憶を上書きする」現象への、共同の対処儀礼として育ったと説明されることが多い。
都市化と“ヌンタッタ式”の制度化[編集]
函館は港湾工業の拡大により、冬季でも夜間稼働が増えたとされる。大正末、の衛生課が「火種管理の統一」を求め、祭りの分火を“火災予防講習”に転用する提案がなされた[9]。
しかし現場では、講習だけでは祭りの“言葉の音”が欠落し、結果として指導者間で唱和のタイミングがずれたと報告された。この混乱の収拾として、鐘楼下の所作が定型化され、唱和回数が「3回鳴らし→2回沈黙→1回合図」に固定されたとされる[10]。
当時の議事録には、所作の遵守率が「初年度は62.4%(127/203名)であった」と記されている一方、翌年には「91.1%(206/226名)」へ改善したとされている。数字がやけに細かいことから、実際には調査票の集計誤差が混ざっているのではないか、という慎重な指摘もある[11]。
日程[編集]
祭りは第3土曜に本祭が行われる。前夜祭は金曜の18時30分から開始し、神社境内の積雪を「三層に割る」作業が公開される[12]。
当日は、早朝の清め(午前7時)から始まり、9時に粉撒き(霜塩の散布)が行われる。その後、12時に一度全員が「沈黙の輪」に入るとされ、13時15分に鐘楼下の唱和が開始される。細かな理由として、過去に13時ちょうどの鐘が湿り、霜が走者の呼気へ貼りついたことがあった、と説明されている[13]。
本祭の終了は15時20分である。これは明治初期の記録に「15時20分が最も風向が落ち着く」とされることに由来するとされるが、気象学的根拠よりも“祭りの節目がずれない”ことが優先されてきたとされる[14]。
各種行事[編集]
ホバトヌンタッタでは、いくつもの行事が組み合わされるとされる。代表的なものとして、(1)分火(ぶんぴ)、(2)霜塩散布、(3)沈黙の輪、(4)町内競走(ヌンタッタ走)、(5)返詞(へんし)――の5つが挙げられる[15]。
分火は、参拝者が火種を受け渡しする前に「北へ一歩、東へ一歩、南へ一歩、そして西へ“言い直す”」と唱える。言い直しは、前の人が誤って唱えた語尾を、次の人が正しく繋ぎ直す所作として伝わる。この仕組みが、伝承上“時間の跳ね”を収束させるとされる[16]。
町内競走は、走者がゴールを横切る際に、白旗(布)を地面へ一度だけ触れる。触れ方が「指先で触れる」「掌で触れる」で違うとされ、審判が紙片の穴数(3穴か5穴か)で判断するといった、やや遊戯的な運用が残っている[17]。
返詞は、祭りの最後に各町内が“霜の願い”を短歌ではなく二行の口上で奉納する行事である。口上の長さは「8拍×2行」を目安とし、余った拍は笑いとして神官に引き取られると伝えられる[18]。このため、初見の観光客が戸惑う一方で、地元では「不完全さも供物になる」という考え方が根づいているとされる。
地域別[編集]
ホバトヌンタッタは以外にも伝播したとされ、道南の小規模な集落で「分火の省略型」が行われている。省略型では、霜塩散布を“家ごとの小皿”に置き換えることで、境内混雑を避ける工夫がなされたとされる[19]。
また、同じ内でも、日本海側に近い地域では“返詞”が長くなり、代わりに沈黙の輪が短縮される傾向があると指摘されている。これは風向の違いに対応して、霜の貼りつきが強い時間帯を避けるためだと説明される[20]。
一方で、函館の旧市街に近いほど町内競走が厳密で、ゴール付近のテープが毎年「7回ずつ新調される」と言われている。実際の数え方は地区ごとに異なるが、神社が配布する“交換札”の数が年によって微妙に変動するため、観察者の間では「それが本当の審査になっている」と半ば冗談で語られる[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『冬夜手順書(神社文書)』八幡山神社史料室, 1889年, pp.12-19.
- ^ 函館市役所衛生課『夜間火種管理と民俗儀礼』函館市役所, 1924年, pp.3-7.
- ^ 佐藤妙香『霜の時刻と共同記憶』北海民俗研究会, 1976年, pp.44-61.
- ^ Margaret A. Thornton『Ritual Timing and Frost Phenomena』Northern Japan Folklore Review, Vol.12, No.2, 1989, pp.101-118.
- ^ 高橋信吾『港町の神事運用(増補版)』函館港湾教育社, 1998年, 第2巻第1号, pp.73-92.
- ^ 鈴木藍『“ヌンタッタ式”の言語運用』日本音声民俗学会誌, 第15巻第3号, 2007年, pp.205-219.
- ^ 八幡山神社『神社台帳(祭具台)復元報告』八幡山神社, 1933年, pp.1-33.
- ^ Eiko Nakamura『Coordinated Silence in Winter Festivals』Journal of Arctic Social Practices, Vol.6, 2012, pp.55-70.
- ^ 大石礼子『北海道の年中行事:観光化と再編』道央文化出版, 2016年, pp.88-104.
- ^ Karel Jensen『Fires, Bells, and “Jumping Time”』Proceedings of the North Pacific Ethnoarchaeology Society, Vol.3, 2009, pp.210-233.
外部リンク
- 八幡山神社 祭礼案内
- 函館冬季民俗アーカイブ
- 霜時計研究サマリー
- ヌンタッタ走 記録保管庫
- 北海民俗映像アーカイブ