オッポレ祭り
| 行事名 | オッポレ祭り |
|---|---|
| 開催地 | 秋田県仙北市 乳頭神社(神門前〜男体川河川敷) |
| 開催時期 | 毎年9月上旬(主祭は第1日曜、前夜祭は土曜) |
| 種類 | 渡御・競技型祭礼(棒担ぎと合唱審査) |
| 由来 | 豊作祈願の掛け声「オッポレ」を得点化する風習に由来するとされる |
オッポレ祭り(おっぽれまつり)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
は、地域の対抗戦として組み立てられた競技型の祭礼であり、神社境内で「長い棒」を担ぎ、隊列が揃った状態で「オッポレ、オッポレ」と声を重ねることで得点が決まるとされる。
祭りの中心は、男体川河川敷の特設回廊で行われる「よりオッポレ隊形(いわゆる“最適隊形”)」の披露にある。勝利したチームの地域には、翌年まで一帯に「加護税(かごぜい)」の免除が降りるという伝承があり、参加の動機づけとしても機能しているとされる。
なお、審査は見物客の拍手数だけでなく、棒の高さ、足幅、合唱の音程の3要素を係員が簡易測定器で確認する方式が、近年は定着している。
名称[編集]
「オッポレ」は、古語の「押し堀れ(おしほれ)」が訛ったものとする説があるが、現在は「音を押し出す」という意味に近い説明がなされることが多い。
一方で、祭りを主催するの文書係は、語源を祭礼進行の掛け声に直結させており、元々は「オッポレ(高く)」と「オッポレ(揃えろ)」が混在していたのが、やがて一語化したと説明しているという。
また、地元放送のでは、名称の呼称が年ごとに微妙に変化し、「オッポレ!」の後に入る“息継ぎの秒数”が、審査員の合否判定と連動している年もあったと報じられた[2]。もっとも、そうした回顧記事は誇張を含むとの指摘もある。
由来/歴史[編集]
起源伝承(神職と算盤師の共同編成)[編集]
由来については、の古記録「御声帳(ごこえちょう)」に、天正末期の旱魃(かんばつ)に際し、神職が“声の力”を統計化したという記述があるとされる。
同帳は後世の創作と見る学説もあるが、地元では「算盤師のが、祭礼の掛け声を点数計算に落とし込む術を持ち込んだ」という伝承が広く語られている。つまり、祭りは祈願の儀礼であると同時に、地域が“揃える努力”を競う学習装置として整えられたとされる。
さらに、初期の競技は棒担ぎではなく「幟(のぼり)を担いで回廊を回る」形式であったが、男体川の増水で幟が流される事故が多発し、代わりに“落ちない棒”が採用された、という筋立ても語られている[3]。
江戸期の発展(点数が“加護”と交換される制度化)[編集]
に入ると、祭りは城下からの巡礼行列と結びつき、審査員が持つ「声量杓(せいりょうしゃく)」が参詣者から注目を集めたとされる。
当時の制度では、勝った組に対し、米蔵の点検に関する手間賃が減額されるとされ、これが“加護が得られる”という現代的な言い回しへと変換されたと推定されている。
また、点数の算出式が一部で公開され、合唱の「オッポレ」の回数がちょうど回になると、棒担ぎが“最適隊形”として認定される年があったとも伝えられる。このは、当時の勘定所が好んだ数配列に由来するという説明が残っている。
日程[編集]
は、毎年9月上旬の第1日曜に主祭が行われる。前夜祭は土曜の夕刻から始まり、神門前で「予備オッポレ」と称するリハーサル合唱が行われる。
主祭当日は、午前9時に社務所から「棒札(ぼうふだ)」が配布され、各チームの担ぐ棒が指定される。配布は30秒単位で進行し、受領者の呼名は「旧町内名+オッポレ係数(小数点以下2桁)」の形式で行われるとされる。
午後は、男体川河川敷に敷設された回廊で競技が実施される。競技時間は合計で(中断を除く)とされ、終了直後に“勝ちの祝詞”として「オッポレの余韻」を3回だけ歌い切る儀式が行われる[4]。
各種行事[編集]
競技は、地域のチームが横一列に並び、長い棒を肩または胸で支えたまま回廊を移動する形式で行われる。隊列の乱れは減点となり、特に「オッポレ」の掛け声が早すぎる、または遅すぎる場合は「揺れ」として扱われる。
審査には「棒の高さ判定」「足幅同調判定」「合唱音程判定」の3区分があり、棒の高さは地面からの基準ラインを基に算出されるとされる。足幅同調は、参加者の靴底が回廊敷板の区切り線を踏むタイミングにより判定され、合唱音程は簡易の“共鳴樽”で測られる。
また、勝者チームの地域には「オッポレ加護札」が配られ、翌年の初荷(はつにん)で門口に結わえられる。加護札には「オッポレ許容量」が記され、たとえば一年で許される“声の出し過ぎ”が回までとされてきた時期もあったとされるが、現在は柔軟に運用される傾向がある。
その他の行事としては、子どもを対象にした「ミニ棒担ぎ」や、神職が持つ鈴の数に合わせて「オッポレ」を唱える「鈴合わせの儀」が知られている。
地域別[編集]
乳頭地区(“最適隊形”重視)[編集]
地区では、よりオッポレ隊形の完成度が最重要視され、棒の角度を示す“影定規(かげじょうぎ)”が使われるとされる。日中の影の長さが基準値に合うと、隊形が“成立”したものと見なされる仕組みである。
地元の古い世帯では、雨の日は影定規が曖昧になるため、代わりに「空へオッポレを押し出す」唱え方へ切り替えた、と語られることがある。この切替が始まった年として、が挙げられることもあるが、資料間で整合が取れないとも指摘されている。
隣接町内(“合唱ボーナス”方式)[編集]
隣接する町内の一部では、オッポレ合唱の“反響”を得点に含める方式が好まれ、男体川河川敷の斜面を利用して音を返す工夫が行われる。
このため、チームごとに独自の「声の玉(たま)」が用意され、口の開き方や呼気の抜き方が練習されるとされる。ただし、あまりに熱心になると健康面の懸念が出るため、祭り後はの簡易保健ブースで、喉の湿度を測る“乾き指数”のチェックが行われることもある。
乾き指数が一定以下(例として以下)だった場合に、翌日の甘酒の提供枠が増えるという、いわば“声の健康ボーナス”があった時期も記録されている[5]。
旧道筋集落(“棒札”の伝達儀礼)[編集]
旧道筋の集落では、競技よりも棒札の受け渡しが重視される傾向がある。棒札は紙製であるが、表面に小さな穴があり、勝者から次回参加希望者へ穴の位置を指でなぞって伝えるという手順があるとされる。
この地域では「穴の位置=次の年の隊形」という見方が共有され、指でなぞる所要時間が概ねであるほど“正しい”とされてきた。もっとも、近年は高齢者の事情により柔軟化が進んでいるため、時間の基準も緩和されることがある。
批判と論争[編集]
批判としては、競技化により祭りが“声量の大会”へ偏るのではないかという懸念が挙げられる。実際、審査のうち音程判定が占める割合が年々増えたとする見方があり、祭りの本来の祈願性が薄れるという指摘がある[6]。
また、安全面でも議論があり、長い棒を肩で支えることによる転倒事故のリスクが問題化した年がある。行政のは、主祭の前に回廊の段差を統一する改修を行ったとされるが、改修の対象範囲が十分だったかは、住民の意見が割れた。
さらに「勝った地域に加護が得られる」という伝承が、実際には勝敗に関わらず恩恵を強調する広報へ利用されているのではないか、という観点から、祭り運営の透明性についての質問状が出されたと報じられたこともあった。ただし、質問状の真偽や内容は、公開記録が乏しいため確定的には述べられない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤晶子『東北競技型祭礼の点数体系—声と隊形の相関』北国民俗学会, 2019.
- ^ 渡辺清司『乳頭神社文書群の編年整理(御声帳を中心に)』秋田史料出版, 2007.
- ^ 石川光太『男体川河川敷における祭礼回廊の変遷』東北土木史研究会, 2015.
- ^ Matsuda, R. “Scorekeeping in Chant-Based Festivals: A Case Study of Oppole,” Journal of Folk Performance Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 77-92, 2021.
- ^ Thornton, M. A. “Communal Synchrony and Stick-Carrying Rituals,” International Review of Ritual Anthropology, Vol. 9, Issue 2, pp. 201-238, 2018.
- ^ 【仙北民間放送協会】編『季節の音:オッポレ祭り放送記録(復刻版)』仙北通信社, 1986.
- ^ 小田島武『祭礼の簡易測定器と審査員運用—共鳴樽の実装』祭具工学研究所, 2020.
- ^ 高橋理紗『加護札の社会機能:勝敗と地域結束のあいだ』民俗政策叢書, 2013.
- ^ 井上宗一『江戸期の勘定所と好む数配列—1,024の由来再検討』数理民俗学会誌, 第6巻第1号, pp. 34-51, 2010.
- ^ Rossi, L. “Ritualized Expenditure Exemptions and Festival Prestige,” Bulletin of Comparative Public Customs, 第2巻第4号, pp. 11-26, 2016.
外部リンク
- 乳頭神社 祭礼アーカイブ
- 仙北市 オッポレ祭り公式記録室
- 声量測定 共鳴樽プロジェクト
- 東北競技型祭礼アトラス(閲覧ポータル)
- 御声帳 翻刻データベース