カンツォーネの変
| 分野 | 音楽史・文化制度 |
|---|---|
| 発生地域 | 主にローマ周辺(波及先:北イタリア各州) |
| 時期 | 〜を中心とする |
| 関係組織 | 、地方、複数劇場運営委員会 |
| 争点 | 民謡の旋律採譜と演奏許諾の標準化 |
| 結果 | 「旋律登録制度」と「歌唱教育規程」の創設につながったとされる |
| 特徴 | “変(へん)”は旋律の改訂だけでなく言葉遣いの規範も含むと説明されることがある |
| 別名 | カンツォーネ旋律規格事件、三和音義務化騒動 |
カンツォーネの変(かんつぉーねのへん)は、イタリアの民謡文化をめぐって発生したとされる一連の音楽制度改変事件である。19世紀末の一時期に各地のや劇場運営体制に波及し、のちに「歌の正統性」をめぐる議論の象徴として言及されることがある[1]。
概要[編集]
カンツォーネの変は、民謡として親しまれていたが、行政的な「記譜の統一」と「演奏許諾の合理化」を目的として再編された過程を、当時の新聞・劇場日報では「変」として扱ったものである。
とくに1890年代半ば、ローマの複数劇場で同一曲でも方言差が理由に演奏差し止めとなった事例が連鎖し、旋律の正統性が「耳」ではなく「書面」によって決まる時代へ移ったとされる。なお、事件の核心は旋律そのものより、旋律に付随する語尾・語勢(歌い出しの子音の扱い)を含む規範化にあったと説明されることがある。
当時の関係者は、制度設計を「市民の歌を保存するため」と述べたが、現場では練習場ごとに微妙に異なる発音の許容範囲が縮められたため、不満が噴出したとされる。このため後年、カンツォーネの変は「文化が制度に回収される瞬間」として引用されるようになった[2]。
用語の「変」の意味[編集]
「変」は、旋律の改訂だけを指すのではなく、歌詞の語尾(たとえば語末の伸ばし)や、伴奏に入るタイミングの規定までも含む概念として用いられたとされる。とはいえ、当時の説明書には“変=改良”とも“変=統制”とも書かれており、読者が首をかしげる余地が意図的に残されていたとの指摘がある[3]。
伝承される象徴的な逸話[編集]
一部の回顧録では、ローマのある劇場で「3小節目からの三和音のみ許可」という掲示が出たとされる。もっとも、この掲示の原本は現存せず、後代の編者が引用文献から“3”を補った可能性があるとも述べられている[4]。
歴史[編集]
成立の経緯:楽譜より先に“規格”が決まった日[編集]
事件の発端は、にが主催した「旋律採譜監査会議」だとされる。この会議では、地方のが提出した採譜が「平均誤差0.7度以内」であるかを審査する指標案が示されたが、基準が先に走りすぎたため現場が混乱したと記録されている[5]。
また、会議資料では“音程”の定義が曖昧にされており、「調律の基準音Aを何ヘルツにするか」が討論の中心になったとされる。興味深いことに、提案書ではAをではなく“夜間測定の平均値”としてと書き込んでいたとされる。のちに訂正文ではに直されたが、なぜか訂正文の印影が元資料より大きかったと語られている[6]。
進行:ローマの劇場が次々“同一曲別物”扱いされた[編集]
制度が試行されたからにかけて、ローマの主要劇場では「同一カンツォーネでも語尾の子音が一致しない場合、別録扱い」とする運用が広がった。地方紙には、役人が舞台袖で筆記具を構え、歌い手の発声を“採譜補助観察”として扱ったと報じるものもある[7]。
この運用の副作用として、協会は楽譜だけでなく、歌詞の“詠唱マニュアル”まで提出させられるようになった。マニュアルには、語尾の伸ばしが「二拍まで」なのか「三拍まで」なのか、さらに喉の開き具合を表す絵図まで付ける必要があったとされる。ただし、当時の絵図はなぜかバロメータと共通の書式で印刷されており、歌唱教育と気象観測の境界が曖昧になったとも指摘されている[8]。
一方で、この制度は“歌を残す”効果もあったと評価される側面もある。保存された記録が後の復刻公演の資料になったとされ、の回顧録では「曖昧な歌が、突然子ども向け教本に生まれ変わった」と述べられたとされる[9]。ただし同回顧録の発行年は、編者によってとに分かれており、史料の扱いには揺れがある。
波及と帰結:旋律登録制度と“歌唱教育規程”[編集]
最終局面では、に「旋律登録制度」が整備され、地方の協会は登録済みの旋律番号を舞台の帳簿に記入する義務を負った。番号は登録順ではなく、“語尾の母音の並び”で振られたとされ、たとえば“ア・エ・オ”の連鎖は連番ではなく飛び番号になることがあったという[10]。
また、同時期に「歌唱教育規程」が制定され、学校や教会付属の音楽教室では、授業の毎月目標が「新規三曲のうち少なくとも二曲は登録旋律」と定められた。さらに規程には、講師が授業前に“聴き手の年齢帯”を申告する欄があり、教室によっては申告書がのテンプレートに分岐したとされる[11]。
こうしてカンツォーネの変は、制度化された“正しい歌い方”を社会に導入した一方、現場では「民謡が民謡でなくなる」不安が残ったとされる。とはいえ、当時の制度担当官の声明では「正統化は保存のためである」と繰り返され、反対派の嘆願書は郵送遅延として処理されたとも伝えられている[12]。
社会的影響[編集]
カンツォーネの変以降、民謡の価値は“歌われる場”から“登録される形式”へと移行したと説明されることが多い。劇場では、同じ題名の公演でも登録番号が違えば別プログラムとして扱われ、チケットの印字が変わったとされる。
この変化は、学習のスタイルにも影響した。協会は即興よりも採譜に強い講師を優遇するようになり、結果として合唱練習は長い“無言の口慣らし”から始まるようになったと語られている。ある地方紙では、練習の初動が平均短縮されたと報じられたが、同紙がいつから17分を数えたかは不明である[13]。
さらに制度の波及は商業にも到達した。楽器店では「登録旋律に適合する譜面台角度」を売り文句にした商品が並び、家具調達の予算が増えたという。中には、譜面台の角度を“歌詞の抑揚に合う”としてと保証する広告が残されているが、音響工学的には根拠が薄いとして後年批判されたとされる[14]。
このように、カンツォーネの変は音楽そのものだけでなく、関連産業、教育現場、出版流通の設計にまで影響を与えたとまとめられている。一方で、制度が固定化することで地域の微差が失われるという副作用も同時に語られている[15]。
公共放送の“語尾点検”[編集]
後年の研究では、初頭の一部のラジオ前身(劇場内の拡声装置)で、語尾の発音を点検する役が置かれたとされる。点検は音程よりも子音の一致に重きを置き、合格基準が“検査用レコード一枚につき聴取者10名のうち8名が同意”とされていたと記載された資料がある[16]。
批判と論争[編集]
カンツォーネの変をめぐっては、文化人類学的観点から「民謡の多様性が制度によって削られた」とする批判がある。とくに反対派は、登録制度が旋律を固定するだけでなく、方言の個性を“誤差”として扱った点を問題視したとされる。
他方で支持派は、採譜監査がなければ後世に残る資料が統一されず、復刻が困難になると主張した。劇場側の帳簿では、未登録曲の上演が増えるほど観客のクレームが減ったことが示されているとする報告があるが、これは帳簿の分類が途中で変わったため単純比較が難しいという反論もある[17]。
また、論争の中核には“誰が正しい歌を決めるのか”という問題があった。制度担当官の発言として「耳は主観、規格は公正」といった趣旨が引用されるが、同じ発言を別資料では「耳は公正、規格は保護」としており、言葉の向きが変わっている。つまり、発言の転記が複数の編集者によって調整されている可能性が指摘されている[18]。
この点で最も有名なのが「夜間測定のA=437.2Hz事件」である。反対派は“夜間測定”という曖昧さを利用した策略だと主張し、支持派は“当時の劇場には照明の熱で音が揺れるため”と説明した。いずれにせよ、この数字だけが独り歩きして民謡研究の入門書にも掲載されてしまったとされ、結果として議論の中心が制度設計そのものから逸れたとも言われている[19]。
未解決の疑問点(要出典になりがちな部分)[編集]
一部の回顧録では、改訂後の旋律が「全国で同一の拍子になった」とされるが、当時の記録には拍子の揺れを示す注記が散見される。したがって、“全国で完全一致”の主張は誇張である可能性があるとされる。ただし、注記を書いた筆者名の記載が欠けているため、真偽の確定が難しいという[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ルカ・ベッローニ『旋律登録制度の誕生:ローマ1890年代の記譜監査』ローマ音楽史学会, 1931.
- ^ M. A. Thornton『Copyright Arithmetic and the Folk Melody in Late Nineteenth-Century Italy』Journal of European Musical Administration, Vol.12 No.3, 1978, pp.114-141.
- ^ ジャンニ・モンタニ『劇場帳簿が語るカンツォーネの変』ミラノ出版社, 1942, pp.33-79.
- ^ Sofia Bianchi『Vowels, Consonants, and the Politics of “Correct” Singing』The International Review of Ethnomusic Practice, Vol.7 No.1, 2005, pp.9-38.
- ^ エンリコ・カラッツォ『三和音義務化騒動の周辺資料:掲示文の比較』ヴェネツィア民俗研究所, 1960, pp.201-233.
- ^ Bernardo Salvani『回顧録:子ども向け教本になった民謡』ローマ文芸局, 1902, pp.5-22.
- ^ Caterina De Luca『The 437.2 Hz Controversy: Night Calibration and Cultural Policy』Acoustic and Cultural Standards, Vol.4 No.2, 1994, pp.58-73.
- ^ A. R. McGowan『Public Address and Pronunciation Compliance in Early Italy』Proceedings of the Institute for Sound Governance, Vol.19 No.7, 1989, pp.401-415.
- ^ 藤堂恵子『音楽制度史の論点:旋律と教育の交点』東京・学術出版, 2012, pp.77-105.
- ^ (要検証)カンツォーネの変編纂委員会『ローマ劇場日報集(1894-1897年)』国立劇場資料館, 1906, pp.1-120.
外部リンク
- Canzone変アーカイブ
- ローマ旋律監査資料室
- 437.2Hz討論の記録集
- 合唱協会規程データバンク
- 音程標準と文化政策の展覧会