ガイガイ音頭
| 別名 | ガイ音頭、外々節 |
|---|---|
| 発祥 | 静岡県駿河湾沿岸 |
| 成立時期 | 1928年頃と推定 |
| 様式 | 盆踊り、漁師唄、掛け声唄 |
| 拍子 | 2/4拍子を基調とする |
| 主な唱和語 | ガイ、ガイ、ヨイヨイ |
| 普及地域 | 静岡県、愛知県、三重県の沿岸部 |
| 保護団体 | 全国ガイガイ音頭保存連盟 |
| 代表的な祭礼 | 駿河湾ガイガイ祭り |
| 備考 | 昭和40年代の録音資料が複数残る |
ガイガイ音頭(ガイガイおんど)は、初期にの沿岸部で成立したとされる、漁業安全祈願を主題とする形式のである。低い拍子に合わせて「ガイ」「ガイ」と掛け声を返すことからこの名で呼ばれ、のちにの夏祭りを中心に広まったとされる[1]。
概要[編集]
ガイガイ音頭は、沿岸の漁師町で夜明け前の出漁前に歌われた労働歌を起源とする民謡であるとされる。特にやでは、網の絡まりをほどく所作と掛け声が一体化した踊りとして定着し、後に盆踊りの曲目へ転用されたという。
名称の「ガイガイ」は、網木具を打ち鳴らす音を模した擬音とする説、あるいは「外へ出よ」の古い方言形が転じたとする説がある。ただしの未整理資料には、最初期の呼称が「ガイガイ節」であったとする手書きメモがあり、成立経緯にはなお異説が多い[2]。
起源[編集]
漁村の共同作業歌としての成立[編集]
もっとも古い伝承では、の大時化の翌朝、沿岸ので発生した網の損壊事故の際、作業の焦りを鎮めるためにという網元が即興で唄わせたのが始まりとされる。喜三郎は「ガイ、ガイ」と二拍ごとに指示を出し、これが作業合図として定着したとされるが、同時代の新聞には一切掲載がなく、口承にのみ依存している。
1931年にはが沿岸の安全講習会でこの掛け声を採用し、網の持ち方を教える補助教材として踊りの型を整理したとされる。ここで初めて現在の「四方払い」の所作が導入され、右手で空を払う動作は「海霧を切る」意味を持つと解釈された。
盆踊り化と都市部への流入[編集]
になると、の旅館街が観光用に曲の編成を求め、にがガイガイ音頭を夏祭りの目玉として再編集した。ここで拍数がそれまでの速い口拍子から、一般客でも踊りやすい中速テンポへ改められ、浴衣姿の踊り手を想定した手振りが追加されたという。
なお、の百貨店屋上で行われた巡回盆踊りでは、曲名を聞いた来場者の約38%が「新しい清掃用品の宣伝かと思った」と回答したという調査結果が残る[3]。この誤解が逆に話題を呼び、以後はポスターに大きく「踊り」と書く慣行が生まれた。
復興期の再編と保存運動[編集]
後半、録音媒体の普及により地方の唄が急速に均質化するなかで、の民俗音楽研究室がガイガイ音頭の採譜を実施した。担当した助教授は、現地の歌い手が1番と2番で旋律を意図的に半音ずらしていたことを発見し、これを「海上のうねりを模した装飾」と報告した。
この報告を受けてが発足し、1972年にはで第一回全国大会が開催された。大会では、各地の保存会が「網入れ」「潮待ち」「帰港」の三部構成を競い、審査委員の一人が「民謡というより作業手順である」と評したことが記録されている。
特徴[編集]
ガイガイ音頭の最大の特徴は、歌詞の半数近くが海上安全に関する命令形で構成される点にある。たとえば「ガイガイ、綱を寄せよ」「ガイガイ、潮を見よ」といった句が反復され、踊り手はそれに応じて腕を大きく回しながら膝を落とす。
また、地方によっては太鼓の代わりに木槌や櫂が用いられ、の一部地域では、演奏開始前に「今日は波が高いので二番まで」と司会が宣言する慣習がある。これは実際の天候とは無関係で、踊りの長さを会場の広さに合わせるための方便であるとされる。
普及と社会的影響[編集]
1980年代には、の地方特集番組で「失われた労働歌」として紹介されたことを契機に、学校教育への導入が進んだ。とくにの運動会で、綱引きの準備体操として採用される例が増え、時点で静岡県内の公立小学校の約24%が年1回以上の実施を行っていたとされる[4]。
一方で、名称の響きがやや荒々しいことから、商店街の夏祭りでは「客引きに向かない」として採用を見送る例もあった。しかし1990年代に入ると、逆にその不穏な語感が“忘れられない地域芸能”として再評価され、の旧事業で「音で誘う祭礼資源」に分類されるようになった。
批判と論争[編集]
ガイガイ音頭をめぐっては、そもそも漁師唄なのか盆踊りなのかという分類論争が長く続いている。保存連盟は両者の折衷として「海辺盆労歌」という独自分類を提唱したが、の一部会員からは「分類のための分類である」と批判された。
また、2004年に内のイベント会社が、曲のリミックス版を「GAI-GAI ONDO 2004」としてクラブ向けに再配布し、権利関係を巡っての複数保存会と対立した。最終的には、踊りの型を崩さない限り使用を認める覚書が交わされたが、覚書の第3条にある「過度なシンセベースの挿入を禁ずる」という文言が、のちに資料館でしばしば引用されている。
保存活動[編集]
現在では、、、などで年次の講習会が開かれている。講習は通常90分で、前半45分が歌唱、後半45分が実技に充てられるが、経験者向けの回では「潮待ちの間の雑談」が追加され、結果として最長で2時間20分に及ぶことがある。
また、にはが、音源の保存状態が比較的良好であること、ならびに「地域アイデンティティの形成に与えた影響が大きい」ことを理由に、準無形民俗文化財相当の扱いを検討したとされる。ただし、議事録の一部が欠落しており、最終判断については公表されていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 木村房江『駿河湾沿岸における掛け声唄の変容』静岡大学人文論集, Vol.18, 第2号, pp. 41-67, 1969.
- ^ 佐伯義雄『盆踊りへの転用と観光商品化の初期形態』地方芸能研究, Vol.7, 第1号, pp. 12-29, 1974.
- ^ N. Thornton, "Rhythmic Commands and Coastal Labor Songs in Central Japan," Journal of Maritime Folklore, Vol.22, No.3, pp. 155-181, 1982.
- ^ 前田和子『ガイガイ音頭の旋律構造について』日本民俗音楽学会誌, 第11巻第4号, pp. 88-104, 1988.
- ^ H. O'Connell, "Performative Warning Chants of the Pacific Rim," Asian Ethnomusicology Review, Vol.5, No.2, pp. 33-59, 1991.
- ^ 静岡県立民俗資料館編『未整理資料目録 第3集 漁村唄編』静岡県立民俗資料館, 1996.
- ^ 松本隆一『夏祭りと地方企業の協働史』東海出版会, 2001.
- ^ Y. Sakamoto, "The Gai-Gai Ondo in Postwar Tourism Campaigns," Cultural Heritage Quarterly, Vol.14, No.1, pp. 201-219, 2008.
- ^ 田中澄江『海辺盆労歌という分類をめぐって』民俗学と地域政策, 第6巻第2号, pp. 9-25, 2012.
- ^ A. Becker, "A Song That Sounds Like a Factory Manual: Notes on Gai-Gai Ondo," Proceedings of the Kansai Musicological Society, Vol.31, pp. 77-93, 2017.
外部リンク
- 全国ガイガイ音頭保存連盟 公式資料室
- 静岡県立民俗資料館 デジタルアーカイブ
- 駿河湾民謡研究センター
- 浜松夏祭り文化史アーカイブ
- 海辺盆労歌研究会