サイゴ = ノギョー・ザカ
| 氏名 | サイゴ ノギョー・ザカ |
|---|---|
| ふりがな | さいご のぎょう・ざか |
| 生年月日 | 2月17日 |
| 出生地 | (現在の長野県)上高井郡 |
| 没年月日 | 11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 奇譚蒐集家、地名語りの実地行者 |
| 活動期間 | - 1932年 |
| 主な業績 | 「ノギョー・ザカ語録」の編纂、巡歴地図『足裏の方位譜』の提出 |
| 受賞歴 | 大正9年「市井言語記録章」、昭和3年「郷土史糾明賞」 |
サイゴ ノギョー・ザカ(さいご のぎょう・ざか、 - )は、日本の奇譚蒐集家であり、地名を語り継ぐ実地行者として広く知られる[1]。
概要[編集]
サイゴ ノギョー・ザカは、日本の奇譚蒐集家であるとされる。特に、坂や切り立った道筋の呼称が「語りの地層」として残り続けることを示そうとした点で、実地研究者の間にしばしば名が挙げられる。
彼は日本各地の「坂」の名を手書きで聞き取り、記録用紙に靴底の摩耗(きざみの数)まで併記したことで知られている。たとえば彼の自筆ノート『足裏の方位譜』では、京都府と長野県を結ぶ峠道で、同じ距離でも「沈む足あと」が7種類に分かれると記されていたとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
サイゴは上高井郡の山間集落に生まれた。幼少期、彼は家業の荷継ぎを手伝いながら、道の呼び名が変わる瞬間を「風の向き」と同じように観察していたと伝えられる。
『家の帳』によれば、彼は10歳の冬に初めて坂の言い回しを数え上げ、同じ場所でも呼び名が「全部で13通りある」と書き残したとされる[3]。この“全部で”という言い方が、のちに彼の調査姿勢を象徴するものとして語られることになる。
青年期[編集]
、彼は歩幅を測るために竹の定規を作り、1歩ごとに砂粒の数を数えたという逸話がある。もっとも本人は、砂の数え上げは「記憶の代替」だと説明していたとされ、単なる几帳面さではないとされる[4]。
に旅に出た彼は、東京府の寄宿舎で地方紙の切り抜き整理を学んだ後、坂や裏道の呼称が載る記事を追い、同時に聞き書きの“順序”を統一した。彼の順序は「①誰が言うか②いつ言うか③どこへ行く前に言うか④言った人の沈黙の長さ」であるとされる[5]。
活動期[編集]
活動期、彼は「ノギョー・ザカ」という語が、単なる地名ではなく口承の装置である可能性を主張した。彼は大正期に入ると、坂の名を収集するだけでなく、坂に結びつく“出来事の数え方”まで記録し始めた。
その代表作が『ノギョー・ザカ語録』である。語録には、特定の坂で語られる奇譚が「1回語るごとに“欠け”が増える」現象を示すため、聞き取り回数を日付ごとに厳密に管理した記録が残るとされる。たとえばのある晩、彼は同じ家で3回聞き取り、4つ目の語りが“別の坂”へ転移したと記したと伝えられる[6]。この転移は、地名が物語の台車になっている証拠とされた。
なお彼はしばしば、調査の前に「靴ひもを7本結ぶ」儀礼を行ったとされるが、これは“歩数の揺れ”を減らす工夫だったとも、単なる縁起を担いだ癖だったとも説明されている。いずれにせよ、彼の調査ノートには靴ひもの結び目の位置が図として残るとされる[7]。
人物[編集]
サイゴは、沈黙を“データ”として扱う人物であると描写されがちである。彼の聞き書きでは、語り手が途切れた時間を、時計ではなく呼吸の周期で換算したとされる。
また彼は、誇張された奇譚を否定することは少なかった。むしろ「嘘が多いほど、坂の形が正確になる」と述べたと伝えられる[9]。この言葉は、奇譚を“事実”ではなく“地形の写し”として捉える視点に結びついた。
一方で、彼の几帳面さには批判もあった。弟子の手帳によれば、彼は帰路の記録に合わない数値があると、旅の最中に一度だけ“地図を裏返して見直す”癖があったという。もっとも、その逆転が記憶の錯誤を減らした可能性も指摘されている[10]。
業績・作品[編集]
サイゴの業績としては、『ノギョー・ザカ語録』と『足裏の方位譜』、および関連する整理稿群が知られている。特に語録は、坂にまつわる言い伝えを“語りの順序”で分類する点で先駆的と評価された。
『ノギョー・ザカ語録』は全3巻で構成され、各巻は「語り手の階層」「坂の傾斜の手触り(布の擦れで再現)」「転移現象の頻度」という指標で区切られたとされる[11]。このうち“布の擦れ”という項目は、研究史上において最も奇異な手法の一つとして言及されてきた。
また『足裏の方位譜』では、彼が歩いた距離をメートルではなく「踵の摩耗の層」で記す試みがあったとされる。『方位譜』には、群馬県と栃木県の境にあるとされる架空の峠「白鉄の折り目」で、踵の摩耗層がちょうど“6層”になった記録がある。もっとも、後年の照合ではその峠の存在が地元の古老に確認されなかったため、比喩であるとする見方も出た[12]。
さらに、彼の弟子がまとめた小品『坂名の呼吸法』は、調査の前に口の中で言葉を反復することで、聞き取り誤差が減ると述べたとされる。発声の反復回数は、彼自身の手稿で「42回」と固定されていたと記録されている[13]。
後世の評価[編集]
サイゴの評価は分かれている。郷土語彙研究者の一部は、彼が“地名=言葉の記録”ではなく“地名=語りの技術”として捉えた点を高く評価している。
一方で、彼の手法は、記録の再現性が低いと批判されることもある。たとえば、彼が靴底の摩耗や呼吸周期を指標にしたことは、現代的な計測体系から見ると曖昧であるとの指摘がある[14]。ただし近年では、当時の現地調査が道具不足の中で“代替の厳密さ”を追求していたと解釈されることも多い。
評価の決め手としては、彼の語録が、後の地域講座や学校の読み物に組み込まれた経緯が挙げられる。特に長野県の初等教育教材の一部で「坂名を問う時間」が授業内に導入されたとされ、これは“言葉が地形を呼ぶ”という彼の思想が、教育現場へと波及した例とみなされている[15]。
系譜・家族[編集]
サイゴの家系は、当初から“荷継ぎと坂案内”を担っていた一族として語られる。系譜に関する記録は彼自身が残した断片的メモに依拠しており、完全な系図としては整っていないとされる。
彼には弟子筋として複数の後継者がいたが、とりわけ長野県の書記出身の娘弟子・ミツエ・クレハ(1897年生)との関係が知られている。ミツエは『坂名の呼吸法』の清書を担当したとされ、彼女の字形が各地の聞き書きに“規格”として残ったと指摘される[16]。
また、彼の養子として扱われる人物として、名を「タカシ」とする帳簿係がいる。タカシは、彼が巡歴中に失念した日付を補い、帳面の空白を埋めたと伝えられている。ただしこの人物の実在性は薄いとされ、一部では架空の補助者として扱われることもある[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯直哉『坂名の呼吸法:サイゴ・ノギョー・ザカ覚書の校訂』信濃文庫, 1942.
- ^ Mizuno Howard『Toponymy of Silence: Fieldnotes from the Zaka Circuit』Tokyo Academic Press, 1969.
- ^ 田嶋綾音『ノギョー・ザカ語録の分類体系(全巻解題)』市井言語研究会, 【1991年】.
- ^ Kawamura Elinor『Footwear Wear as Archive: An Unusual Index in Japanese Folklore Studies』Journal of Local Memory, Vol. 12 No. 3, 2003.
- ^ 中島清一『足裏の方位譜と再現性問題』歴史方法学叢書, 第4巻第1号, 2008.
- ^ 林誠太『奇譚蒐集家の近代:沈黙を測る人々』講談郷土史, 2015.
- ^ 渡辺精一郎『郷土史糾明賞の授与記録(付:受賞者索引)』史料整理庁, 【昭和】4年, pp. 31-57.
- ^ Otsuka Mariko『The “13 Variants” Anecdote and Oral Order Theory』Asian Folklore Methods, Vol. 8, No. 2, 2020.
- ^ 泉崎周平『白鉄の折り目は実在したか?』峠論考社, 1978, pp. 88-90.
- ^ 匿名『市井言語記録章の解説図版』大正記録館, 1919.
外部リンク
- 嘘伝・地名資料館
- Zaka Oral Archive(仮想)
- 信濃口承研究フォーラム
- 足裏摩耗メトロノーム倉庫
- 郷土語彙計測ノート公開庫