スモグ
| 分類 | 大気汚染(気象依存型) |
|---|---|
| 主因とされるもの | 燃焼由来の微粒子・硫黄系成分・温度成層 |
| 発生しやすい条件 | 低風速、湿度、夜間の逆転層 |
| 特徴 | 視程の悪化と局所的な滞留 |
| 関係分野 | 環境政策、都市計画、計測技術 |
| 代表的な対策 | 燃料規制、排出源集約、観測網の整備 |
| 語源 | 煤(smoke)と靄(fog)の合成とされるが、別説もある |
スモグ(英: Smog)は、都市上空に滞留するとされる煤煙と微粒子の混合状態である。近代以降は公害・気象・衛生の交差領域として整理され、各国の行政文書にも頻出する概念である[1]。
概要[編集]
スモグは、大気中の微粒子や気体成分が、気象条件により地表付近へ強く滞留して視界を覆う現象として説明される。一般には「濃い霧」のように見えるとされるが、視覚的な印象だけでなく、酸性物質の沈着や呼吸器への影響が同時に問題化し得る点が特徴である[1]。
概念の成立には、都市の燃料事情と、気象観測の精度向上が同時に進んだ経緯があるとされる。ただし、その具体的な起源は研究史の中で複数の系譜に分かれており、たとえばの発明による“計測上の発見”が先行したという語りがある一方で、衛生行政の記録から遡る説も存在する[2]。このように、スモグは単なる自然現象ではなく、観測・制度・産業の都合が絡み合って“現象の輪郭”が作られた概念だとされる。
歴史[編集]
“観測発明”としてのスモグ計画(18世紀末〜19世紀前半)[編集]
スモグが体系化される以前にも、煤で空が灰色になる事例は各地にあったと考えられている。しかし、都市の上空に「滞留する時間」を数値で示そうとした試みが、のちの概念形成に直結したとされる。
その嚆矢としてしばしば引かれるのが、(Royal Bureau of Atmospheric Measures)の前身であるの取り組みである。ブレムヘイム書記局はロンドン郊外で、夜間に地表から高さ3.2メートルの層が“動かない”ことを確認したと記録される。この層の停滞時間を、毎晩同時刻の煙濃度の差で推定し、平均して「43分±11分」と算出したとされる[3]。もっとも、当時の測定器はガラス管に煤を付着させて回収する方式で、回収の待ち時間が自動的に停滞時間へ寄与していた可能性が指摘されている[4]。
この時期には、現象が“煤の見え方”ではなく“煤の挙動”として語られ始めたことが重要であるとされる。結果として、スモグは気象の一部というより、都市技術と観測技術が作り出す「定量化可能な雲」だと理解されるようになった。
行政用語としての定着(19世紀後半〜第一次規制の時代)[編集]
19世紀後半、工業都市での燃料使用が増えると、住民の苦情も記録されるようになり、衛生行政が「苦情の再現性」を求めた。ここで活躍したのが、付属のであるとされる。視程異常記録係は、霧の濃さではなく、街灯からの距離で“見える範囲”を測ったとされ、報告書では「灯点からの到達距離が、通常時の1.0に対し0.46以下」をスモグ扱いにする基準が提案された[5]。
しかし、基準の導入は単純ではなく、産業側からは「それは労働者の目の調子を測っているだけだ」との反論が出た。特に商工連盟は、同じ夜でも“検査員の喫煙歴”が視程に影響する可能性を主張したとされる[6]。この論争の末、基準は数値のまま残されつつも、検査手順が標準化され、「検査員は少なくとも24時間禁煙の上で測定する」などの付帯規則が制定された[7]。
この結果、スモグは“現象”であると同時に“運用可能なラベル”として制度に組み込まれた。その後の環境法制において、ラベルの整備が規制の実効性を左右するという考え方が広まったとされる。
20世紀の“夜間逆転層”神話と観測網(戦後〜1970年代)[編集]
戦後になると、気象学が精密化し、スモグは「夜間逆転層」などの気象要因と結びつけて説明されるようになった。ただし、ここでも歴史の語りは単線的ではない。たとえば日本では、の協力により、横浜湾岸で高さ0〜60メートルの温度勾配を“逆転指数”として算出し、指数が—1.7以下ならスモグ予報を発令する、といった運用が試みられた[8]。
この“指数”は後に海外にも転用されたが、海外側では指数の単位換算で混乱が起きた。資料では「—1.7は摂氏ではなく、気圧補正を含む換算値である」と注記されている一方で、当時の翻訳稿にはそれが反映されず、ある都市で誤った発令が続いたとする内部報告が残っているとされる[9]。誤発令により「スモグ週間」を一度だけ早期に始めた自治体もあり、住民は「今週は晴れなのに規制だけ厳しい」と小さな反発を見せたと記録されている[10]。
とはいえ、観測網の拡張は確かに進み、スモグは“事故”ではなく“予測対象”として扱われるようになった。ここで重要なのは、社会が現象を信じるために必要な数値と手順が先に設計され、その数値に現象が合わせられた面があるという点である。
スモグをめぐる技術と文化[編集]
スモグは行政だけでなく、技術者や市民の生活にまで入り込み、「見分け方」の文化が育った。たとえばロンドンでは、停電時に街灯が見える距離を目測する“灯点遊び”が子どもの間に広まったとされる。市民団体は、灯点遊びを“教育用観測”として奨励し、家庭向けに「灯点距離テーブル(0.80=注意、0.50=警戒、0.30=閉門)」を配布した[11]。
一方で、技術側ではやのような装置が登場したとされる。装置の発想は、夜間に自動で回転するドラムへ煤を付着させ、粒径分布を色で判定するという、いわば“工場の目視文化”を研究用へ移したものだった。これにより「スモグの色」が記録上の指標として扱われるようになったが、科学的には色と粒径が必ずしも一対一対応しないため、指標の妥当性が議論された[12]。
さらに、スモグは言葉遊びにもなった。新聞社(名古屋支局)では、スモグを“Smoky Fog”と直訳せず、記者が勝手に「スモグ=住民のための目標が曇る状態」と解釈するコラムが人気になったとされる[13]。制度語の概念が、文化語として変形していく過程も、スモグという単語の社会的影響の一部であると考えられている。
批判と論争[編集]
スモグ概念には、観測・基準・責任分担が絡むため、何度も論争が繰り返された。最大の争点は「スモグの原因は何か」を問う際、気象学と産業政策のどちらが主導権を持つかであったとされる。
たとえばの公開討論会では、産業側が「排出量規制は“見た目”を基準にしている」と批判したのに対し、自治体側は「見た目だからこそ住民の健康被害と結びつく」と反論した[14]。両者の言い分は噛み合わず、最終的に折衷案として「見た目指数」と「沈着量推定値」を併用する運用が採択された。
ただし、その沈着量推定値の算出過程には、後年“やけに人間臭い”問題が指摘されている。推定式に含まれる係数は、試験地の清掃頻度を「週あたり12回」と固定していたが、実際の試験地では清掃担当者が休暇を取り、清掃回数が週15回に増えた期間があり、結果として沈着量が低く出た可能性があるというのである[15]。この点は、スモグが科学である以前に、運用と習慣に左右される概念だったことを示す材料として扱われることがある。
また、スモグの“記号性”が強いほど、実害の存在が誇張されるのではないかという声もあった。観測網の拡充後、通勤が減った週に発令が増えるという逆相関が見つかったと報告される一方で、そのデータは「通勤者が減ると同時に測定器の校正が簡略化された」ことが原因ではないか、と疑われた[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Eleanor J. Hargreaves『夜間逆転層の社会史』Cambridge Environmental Press, 1978.
- ^ 渡辺精一郎『灯点距離と衛生行政:スモグ運用基準の策定過程』文理官報社, 1964.
- ^ M. A. Thornton『Visibility as Evidence in Industrial Cities』Journal of Urban Atmospheres, Vol. 12, No. 3, pp. 201-229, 1981.
- ^ Klaus Richter『煤粒子分級車の試作と誤差要因』第3巻第2号, Atmospheric Measurement Review, pp. 77-95, 1959.
- ^ 佐伯由紀夫『スモグ週間という現象:誤発令の統計分析』環境政策研究所, 1992.
- ^ The Royal Bureau of Atmospheric Measures『ブレムヘイム大気書記局年報:停滞層43分±11分の記録』London Office Archives, 1812.
- ^ Janet McAllister『Smoky Fog: A Lexicon of Regulation』Oxford Civic Lexicography, pp. 44-61, 2001.
- ^ 中島春樹『灯点遊びと市民観測:家庭用テーブルの配布実態』東海ジャーナル学術部, 1970.
- ^ Daisuke Morita『沈着量推定の係数と清掃頻度の相関(未公刊資料)』第5巻第1号, Coastal Hygiene Reports, pp. 9-23, 1968.
- ^ Henry P. Lattimore『集約規制の政治学:排出源と責任の配分』Greenfield Press, 1976.
- ^ S. P. Nair『Smog as a Symbolic Metric of Health』International Journal of Metrological Sociology, Vol. 8, No. 4, pp. 310-338, 1999.
- ^ 八木田勝『Smogの語源再検討:煤と靄の合成は誰がしたか』日本気象史叢書, pp. 12-29, 1939.
外部リンク
- 王立大気測定局デジタルアーカイブ
- 横浜湾岸逆転指数データ室
- 霧に負けない協会(灯点テーブル)
- 煤粒子分級車・復元ギャラリー
- 東海ジャーナル:スモグ週間記録