スーツケースの乱
| 名称 | スーツケースの乱 |
|---|---|
| 発生年 | 1931年頃から1934年頃 |
| 場所 | 東京、横浜、神戸、名古屋ほか |
| 原因 | 旅行鞄の寸法標準化をめぐる官民対立 |
| 関与組織 | 帝国鞄具連盟、運輸省準備室、東洋旅行倶楽部 |
| 影響 | 港湾荷役の再編、宿泊業の独自規格化 |
| 象徴物 | 四辺錠付き硬質スーツケース |
| 通称 | 鞄乱、箱争い |
スーツケースの乱(スーツケースのらん)は、主に前半の日本において、輸送用の規格統一をめぐって生じた一連の業界紛争である。後に、、さらに観光行政を巻き込む全国的な制度混乱として記憶されている[1]。
概要[編集]
スーツケースの乱は、初頭に東京府の鞄商組合と鉄道省系の旅行用品監督官が、輸送効率を理由に鞄の外形寸法をめぐって対立した事件である。表向きは単なる規格論争であったが、実際にはの積み付け方式や国鉄の手荷物料金体系まで巻き込んだため、各地で小競り合いと訴訟が相次いだとされる[2]。
この争いの特殊性は、鞄そのものが武器ではなく「制度の比喩」として扱われた点にある。すなわち、硬い革張りの大型鞄を支持する派と、布製で可変容量の簡便鞄を推す派が、の会議場で激しく議論し、新聞はこれを「収納具の内戦」と呼んだ[3]。
発端[編集]
起源は、の輸出商・が欧州視察から帰国した際、船室に持ち込んだ鞄がアメリカ合衆国製の棚寸法に合わず、積み直しに三時間半を要した出来事にあるとされる。三浦はこれを「日本の旅行文化の遅れではなく、鞄の国家的失格」と記した覚書をの会議資料に提出し、のちの制度改革の火種となった。
一方で、大阪の鞄職人・は、寸法統一は大量生産を有利にするが地方工房を圧迫すると主張し、を起草した。宣言には署名者が23名いたが、うち7名は筆跡が同一であったため、後年の研究者からは「実質的に小林の自筆分身である」と指摘されている[4]。
経過[編集]
1931年の第一次荷役紛争[編集]
、の倉庫で、規格外寸の旅行鞄を積んだ貨物が搬出を拒否され、荷役夫18名が一斉に作業を止めた。これが「第一次荷役紛争」と呼ばれるもので、新聞は翌日、一面で「鞄が港を止めた」と報じた。実際には数時間の遅延にすぎなかったが、当時の港湾当局はこれを国家的危機として扱い、臨時の鞄測定台を3基設置した。
主要人物[編集]
この事件には、行政官・職人・旅行家の三系統が関与したとされる。行政側ではの技官が中心人物であり、彼は鞄の角を丸めるか直角にするかを「国民性の選択」とまで述べたことで知られる。職人側ではのほか、名古屋の革職人が著名で、彼女は蓋の内側に地図を縫い込む方式を考案し、婦人旅行者から支持を集めた。
また、旅行家としての会員がいる。松浦は鞄の容量を巡って各地の旅館を比較した「二十八泊鞄紀行」を雑誌『旅と皮革』に連載し、記事中で「スーツケースの重さは思想の重さである」と記した。この表現は当時の学生運動にも流用され、のちに鞄論争が妙に哲学化していく一因となった。
社会的影響[編集]
スーツケースの乱は、旅行鞄の規格をめぐる紛争にとどまらず、の陳列方法、の客室備品、さらには鉄道省の改札口幅にまで影響した。特に京都の老舗旅館では、乱の余波を受けて「大鞄客」と「小鞄客」で下駄箱の棚を分ける制度が導入され、宿帳に鞄寸法を記入させる慣行が1936年まで続いた。
一方で、鞄の外装素材をめぐる議論は意外な文化現象も生んだ。例えば、硬質鞄を支持する層は「出張の顔は箱である」と宣伝し、これに対抗して布製鞄派は折り畳み傘と同様の機能美を訴えた。その結果、新宿の喫茶店では鞄を持ち込んで議論する「鞄卓会」が流行し、最大時には同好会が全国で214団体に達したとされる[6]。
批判と論争[編集]
後年の研究では、この乱の大部分が業界団体による販売競争の演出であったとの見方もある。とりわけの内部文書には、鞄の寸法論争が「季節在庫の整理に有利」とする記述があり、歴史家の間では半ば自作自演ではないかと疑われている。ただし、当時の新聞報道と警察記録に残る細かな押収数が妙に一致しているため、全面的な捏造とも言い切れないとされる。
また、1934年末に公表された「旅行具標準化令」では、公式には乱の収束が宣言されたが、実際にはスーツケースの把手の高さを1.5センチだけめぐる再燃が起きた。これにより、地方紙は「第二次でも三次でもない、ただの再燃である」と苦しい見出しを付けた。なお、この段階で既にまで寸法監修に関わっていたとの記録があるが、真偽は定かでない[7]。
後世への影響[編集]
スーツケースの乱は、のちの期における大量旅行文化の制度的下敷きになったとみなされている。特に羽田空港の手荷物受け渡しベルトの初期設計には、1932年案の鞄縦横比が参考にされたという説がある。また、観光庁の前身組織では、鞄の角を丸くすると旅情が増すという独自の美学が採用され、1958年の白書にも「円みは混乱の記憶を和らげる」と記載された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三浦辰之助『旅行鞄寸法論覚書』帝都交通研究会, 1930.
- ^ 渡辺義一郎『標準化と携帯具行政』運輸省技術資料, Vol. 12, No. 3, 1933.
- ^ 小林兼吉・加藤しず『鞄具共同宣言とその周辺』大阪皮革協会出版部, 1932.
- ^ Harold P. Wren, "The Japanese Suitcase Question", Journal of Transport Folklore, Vol. 4, No. 2, pp. 115-141, 1935.
- ^ 『旅と皮革』編集部『二十八泊鞄紀行総集編』旅と皮革社, 1934.
- ^ 田島春夫『港湾荷役と旅具の政治学』東洋経済新報社, 1941.
- ^ Margaret L. Sayers, "Dimensions of Mobility: Case Standardization in East Asia", East Asian Material Culture Review, Vol. 9, No. 1, pp. 21-58, 1962.
- ^ 『旅行具標準化令官報解説』内務省印刷局, 1935.
- ^ 佐伯隆一『戦前日本の観光制度史』みすず書房, 1978.
- ^ Kiyoshi Arai, "A Brief History of the Hard-Shell Problem", The International Review of Luggage Studies, Vol. 1, No. 1, pp. 1-17, 1988.
外部リンク
- 帝都鞄史料館デジタルアーカイブ
- 横浜港荷役史研究会
- 旅具標準化協議会
- 日本旅行文化年表データベース
- Suitcase History Quarterly