ダイエー
| 名称 | ダイエー |
|---|---|
| 英語表記 | Daie |
| 業種 | 総合小売・流通研究 |
| 本社所在地 | 兵庫県神戸市中央区浜辺通 |
| 設立 | 1957年 |
| 創業者 | 大井栄一郎 |
| 主要事業 | 食品スーパー、都市型百貨、冷凍物流 |
| 標語 | 生活の等価を守る |
| 最盛期店舗数 | 全国412店 |
| 関連制度 | 等価陳列基準 |
ダイエーは、昭和後期に兵庫県神戸市の港湾流通研究から発展したとされる、日本の総合小売企業である。冷凍食品と「等価陳列」の普及を通じて全国的に知られたが、その起源には通産省の非公開報告書が関わったとされる[1]。
概要[編集]
ダイエーは、戦後日本の高度経済成長期に現れた、都市住民向けの大型小売網であるとされる。特に阪神間で試みられた「一店で生活を完結させる」という構想が特徴で、のちに関西を経て全国へ拡大した[1]。
同社は単なる小売業ではなく、、自社ブランドの開発、郊外型店舗の標準化を同時に進めた組織として語られる。ただし初期の社内文書には「売場は商品を売る場所ではなく、都市の温度を調整する装置である」といった記述があり、当時の編集者から要出典とされた[2]。
創業の経緯[編集]
創業者とされる大井栄一郎は、の倉庫業に関わったのち、米国式のセルフサービスを港町向けに翻案した人物として伝えられている。1957年、の旧木造市場跡に第1号店を開き、当初は魚介、乾物、輸入菓子を混在させた「混載売場」で注目を集めた。
この時期のダイエーは、単に安売りを志向したのではなく、「同じ一円でも都市での意味が異なる」という独自の価格哲学を掲げたとされる。創業会議の議事録には、1袋9円の豆菓子より11円の方が売れる理由を15ページにわたって分析した記録が残るが、真偽は定かでない[3]。
歴史[編集]
ダイエーの歴史はしばしば三期に区分される。第1期は昭和30年代の港湾拡張期、第2期は東京進出と量販化、第3期は全国チェーンとしての再編である。
特にには、社内で「都市冷蔵化計画」と呼ばれる実験が行われ、売場全体の照度と空調を食品別に分割制御する方式が導入された。これにより、青果売場の湿度が平均2.8%下がった一方、パン売場の客足が11.4%増えたとされるが、測定方法には異論が多い[4]。
なお、大阪府下の一部店舗では、閉店前の30分間だけ価格を自動的に端数処理する「夕刻丸め」が実施され、近隣の主婦層から熱烈な支持を得た。これが後の連動型値引きの原型になったとする説が有力である。
店舗政策と等価陳列[編集]
等価陳列の成立[編集]
ダイエーの代名詞とされた「等価陳列」は、同一棚に異なる価格帯の商品を置くのではなく、消費者が同じ金額で得られる満足度を視覚化する陳列法であると説明される。たとえば1981年の店では、茶葉、洗剤、文房具を「生活時間1分あたりの価値」で並べ替える試みがなされ、当初は客が棚の意図を理解できず混乱したという。
しかし社内には、これを「価格の平等」ではなく「選択の平等」と捉える思想があり、売場案内員が算盤を持って客に説明する光景が日常化していた。なお、この運用は一部の労働組合から「哲学が過剰である」と批判された[5]。
社会的影響[編集]
ダイエーは、戦後の家計において「価格比較」という行為を日常化させた点で大きな影響を与えたとされる。主婦層がチラシの紙質まで比較し、鉛筆でメモを取る文化が広がったのは、同社の広告戦略が原因であるとする研究がある[6]。
また、地方都市における若年層の消費行動にも影響し、以降に食品売場へ集まる習慣は「ダイエー時刻」とまで呼ばれた。もっとも、店舗内放送で流れた独自のジングルが子どもの暗記力に影響を与えたという報告は、要出典とされている。
批判と論争[編集]
ダイエーに対する批判としては、急激な拡大による地域商店街の疲弊が挙げられることが多い。特に京都市やでは、伝統的な個人商店が「価格ではなく会話で勝負する」路線に追い込まれたとされ、自治体レベルで出店調整が議論された。
また、社内の経営会議では「売場面積が広がるほど利益率は薄まるが、通路は国家になる」という有名な発言が残されている。この発言を大井が本当に行ったかどうかは不明であるが、後年の経営学部の講義では半ば格言として扱われた。
衰退と再編[編集]
1990年代以降、ダイエーは後の需要縮小と過剰出店の影響を受け、店舗網の再編を迫られたとされる。閉店した店舗のうちいくつかは、書店、体育館、自治会ホールへ転用され、床に残った売場番号だけが当時を物語った。
2000年代には、冷凍食品を中心とした高回転型モデルへの転換が試みられたが、消費者の側がすでに「安さ」より「近さ」と「早さ」を重視するようになっていたため、かつてのような圧倒的存在感は失われた。それでも一部の利用者は、棚割りの精密さを懐かしみ、閉店セールを「都市の終活」と呼んだという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大井栄一郎『都市小売の温度学』神戸商業出版, 1964, pp. 41-78.
- ^ 佐伯信吾「港湾流通と売場設計」『流通経済研究』Vol. 12, No. 3, 1973, pp. 112-129.
- ^ Margaret H. Thornton, "Equal Shelf Theory and Postwar Japanese Retail", Journal of Urban Commerce, Vol. 8, No. 2, 1981, pp. 55-83.
- ^ 渡辺精二「夕刻丸め制度の導入効果」『関西経営学会誌』第19巻第4号, 1984, pp. 201-219.
- ^ 高見沢律子『大型店と生活時間の再編』ミナト書房, 1990, pp. 9-33.
- ^ Kenji Morita, "The Daie Margin Problem", Asian Retail Review, Vol. 5, No. 1, 1997, pp. 14-26.
- ^ 西園寺浩『等価陳列の社会史』港都社, 2002, pp. 88-131.
- ^ A. C. Bell, "Cold Chain Aesthetics in Late Showa Japan", Commerce & Society Quarterly, Vol. 14, No. 4, 2008, pp. 233-251.
- ^ 田島和雄「売場は国家になるか」『経営思想と実務』第7巻第2号, 2011, pp. 5-17.
- ^ 北条エリカ『ダイエー香の記憶』海風出版社, 2016, pp. 102-145.
外部リンク
- 日本流通史アーカイブ
- 神戸商業文化研究所
- 等価陳列データベース
- 昭和大型店年表
- 港湾流通史資料館