ダマナー
| 氏名 | ダマナー・カラシラ |
|---|---|
| ふりがな | だまなー からしら |
| 生年月日 | |
| 出生地 | ・ |
| 没年月日 | |
| 国籍 | |
| 職業 | 伝承観測官、祝詞研究家 |
| 活動期間 | - |
| 主な業績 | 「声紋(こえもん)採譜法」の確立、祝詞の音響規格化 |
| 受賞歴 | (1969年)、功労賞(1978年) |
ダマナー・カラシラ(だまなー からしら、 - )は、の「伝承観測官(でんしょうかんそくかん)」である。民間の祝詞研究家として広く知られる[1]。
概要[編集]
ダマナー・カラシラは、日本の「伝承観測官」である。彼は、地域に残る祝詞や口承を“言葉のまま”記録するだけでなく、音響の癖(声の立ち上がり、余韻の長さ、息継ぎの周期)まで図表化する方法を整えたことで知られる。
特に、祝詞をノートに書き写す過程で「耳の慣れ」を排除するための機材運用と手順書を作成し、結果として民俗学と音声学のあいだに一つの実務領域を作ったとされる。なお、彼の業績は当時の一部研究者から“儀礼を工学に押し込めた”として賛否が分かれた[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
ダマナーは、の山間部であるの小規模な湧水場の近くに生まれた。家は農具修理を生業としていたが、祖父が「声を数える」と称して、祭礼のたびに一定回数の拍を打たせる習慣を残していたという。
伝記では、ダマナーが初めて“声紋”らしきものを観測したのは、12歳の秋に行われた氏神行事とされる。彼は当時、境内の柱に結びつけた縄を振り子代わりに使い、祝詞の終端が縄の最下点と一致する割合を紙片に記録していたとされるが、記録の一部は現存していないため「伝承上の数値」として扱われる[3]。
青年期[編集]
ごろ、ダマナーは上京し、系の技術講習に参加したとされる。当時の彼は「音の遅れ」や「反響の消失」を測ることに強い関心を持ち、夜間に街角の鐘の音を採集しては、周波数帯ごとの“癖”を色分けして貼り替えていた。
には、の下町で“祝詞が薄まる夜”を調べるために、同じ祝詞を3回ずつ採集したという。伝記では、採集のたびに現場までの徒歩時間を正確に「17分」「18分」「17分」と揃えたとされるが、記録にある分刻みの整合性があまりに良く、後に研究者が「演出ではないか」と指摘した[4]。
活動期[編集]
、ダマナーは官民合同の調査隊に参加し、民俗行事の音響記録を“規格化”する方針を打ち出した。彼が提唱したのが、祝詞の各句を一定の時間窓で切り出す「声紋採譜法」である。
その普及のため、彼は(当時の名称は史料上揺れがあるとされる)に出入りし、簡易録音機の運用手順を作った。具体的には、マイクの高さを必ず地面から「71センチメートル」に固定し、録音の前に2回だけ咳払いを行って装置の“初動遅れ”を均すとされた。のちにこの手順は「癖矯正儀式」と揶揄されたが、現場の再現性が一定程度確保されたため存続した[5]。
晩年と死去[編集]
以降、ダマナーは若手の訓練に力を注いだ。彼は弟子に対し、祝詞の“意味”を先に詰めてしまうことを戒め、「まずは息の道筋を疑え」と繰り返したとされる。
、彼は体調不良を理由に現場調査から退いた。晩年はに戻り、湧水場の近くに“無音室の代用品”として木桶を並べ、反響を弱める実験に明け暮れたという。彼は、75歳で死去した[6]。
人物[編集]
ダマナーは几帳面であると同時に、現場では妙に人懐こかったとされる。彼は初対面の人に対して、まず自己紹介より先に「今日の湿度は何パーセントか」を質問し、数値が出ない場合は“肌の反応”から推定したという逸話が残る。
また彼は、言葉の価値を音の形に結びつける一方で、意味の解釈そのものを軽んじたわけではない。彼の机には「意味辞典」と並んで「息継ぎ辞典」が置かれていたとされ、弟子が笑うと「笑う前に、笑いの終端を採れ」と返したと記録されている[7]。
業績・作品[編集]
ダマナーの代表的な業績は、祝詞の採譜を“音響規格”として扱う枠組みである。彼の手法は、録音→切り出し→図表化→再現テストという工程を定型化し、従来は属人的だった書き起こしを相対化したとされる。
著作としては、に刊行された『声紋採譜法入門』が知られる。続いてには『余韻の統計学(試作版)』を発表し、全祝詞を“余韻の長さ”で分類するという大胆な試みが話題となった。さらに、彼は現場用の小冊子『61分間の沈黙訓練』を配布したが、内容はわずか38ページで、うち12ページが「沈黙の取り方」に割かれていたという[8]。
このほか、未刊行資料として『祝詞・棚卸し手順書』があり、彼が調査終了時に「録音テープを必ず12本数える」ように指示していたとされる。弟子の証言によれば、数え間違いが起きた日の調査結果は“全て仮データ”として扱う厳格さがあったという[9]。
後世の評価[編集]
ダマナーの評価は分かれている。肯定側は、祝詞研究が口伝中心から離れ、後世への参照可能性が増した点を挙げる。とりわけ、採譜法が教育現場で使われたことは、音声学的な再現性の議論を促したとされる。
一方で批判側は、音響の“見える化”が儀礼の文脈を薄めたと主張した。実際、ダマナーの方法で作られた図表は、語り手の沈黙や視線の移動を扱いきれず、結果として祭礼の体験が整理された“文字の音”に置き換わったのではないか、という指摘がなされた[10]。
それでもなお、後年の研究者は「規格化は理解を奪ったのではなく、別の理解を可能にした」と述べ、彼の残した手順書が現在も現場のメモ術として参照されているとする。
系譜・家族[編集]
ダマナーの家系は、記録の残り方にばらつきがあるとされる。本人の姓は“カラシラ”とされるが、戸籍上の揺れ(表記ゆれ)があり、晩年に彼自身が「書き方で人は乱れる」と言って簡略化したため、系図の一致に時間がかかったという[11]。
彼には妻の(1920年生)と、長男、長女の三人家族であったとされる。ヨリは音の測定が苦手だった一方で、現場の段取り(誰にいつ声をかけるか)に精通していたと伝えられる。森光はのちにの事務局で働き、珠栞は民俗芸能の裏方として働いたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ダマナー・カラシラ『声紋採譜法入門(第1版)』声紋出版, 1962年.
- ^ 宮城礼二『口承の音響規格化とその現場運用』学術出版会, 1971年.
- ^ Margaret A. Thornton『Anthology of Aftertones: A Field Guide』Oxford Acoustic Press, Vol.3, 1976年.
- ^ 佐伯眞人『儀礼を図にする—余韻分類の試み—』日本民俗音響学会誌, 第12巻第2号, pp.41-58, 1979年.
- ^ 篠原ユリ『沈黙訓練の社会心理学的考察』音声教育研究, 第5巻第1号, pp.9-27, 1981年.
- ^ 林田克巳『逓信省技術講習の記憶と録音機材』通信史研究叢書, pp.77-101, 1983年.
- ^ 大西カノン『祝詞の切り出し窓—声紋採譜法の再検証—』現代音響レビュー, Vol.9 No.4, pp.120-146, 1990年.
- ^ Katsumi Hayashida『Reproducibility Rituals in Japanese Chant Transcription』Journal of Aural Methodology, Vol.2, Issue 1, pp.1-19, 1992年.
- ^ 小柳田マリ『61分間の沈黙訓練—“なぜ38ページなのか”』民俗工学通信, 第1巻第3号, pp.3-5, 2004年.
外部リンク
- 声紋アーカイブ
- 熊本祝詞データベース
- 日本音韻協会 旧資料室
- 国立音響研究所 メモリポジトリ
- 伝承観測官 研究会