ハッピー・フラッパー
| 分野 | 大衆文化・都市社会史 |
|---|---|
| 成立時期 | 1928年ごろ(とされる) |
| 主な地域 | (特に) |
| 中心となった場 | ジャズホール、屋上ダンス、後述の「三色礼法」講習会 |
| 象徴要素 | 羽根(フラッパー)を模した髪飾りと、気分を色で調律する慣習 |
| 規範の形式 | 暗黙の採点表(後に雑誌で解説されたとされる) |
| 代表的キーワード | 「笑いの三拍」「礼節のズレ」「幸せな着丈調整」 |
ハッピー・フラッパー(英: Happy Flapper)は、1920年代末にアメリカ合衆国で流行したとされる「陽気な奔放さ」を象徴する社交コードである。舞踏会の所作・言葉遣い・衣服の色調整まで含む、半ば規範化された大衆文化として知られている[1]。
概要[編集]
ハッピー・フラッパーは、ジャズの即興性にならって“会話と身振りを同時に編み替える”ことを理想とした社交様式として記述されてきた。とくに、自己主張を不機嫌に見せないための「陽気さの設計図」が含まれ、単なる流行語を超えて、実務的な振る舞いマニュアルとして消費されたとされる[2]。
成立の背景には、第一次世界大戦後の都市労働の疲労を、夜の娯楽によって相殺しようとする空気があったと説明される。もっとも、当時の新聞や講習資料では、単に“楽しく踊る”よりも、幸福感を規格化し、人間関係の摩擦コストを下げる技法として語られていた点が特徴である[3]。
なお、この社交コードは衣服の色だけでなく、靴ひもの結び目の数、グローブの外し方の角度まで点数化されていたという記述もあり、熱心な参加者ほど細部に執着したとされる[4]。そのため、現代の観点からは過剰に見えるが、当時は“秩序のある奔放さ”として理解されていたとされる。
歴史[編集]
起源:三色礼法と地下の採点表[編集]
起源は、の港湾労働者向け労務講習「夜間気分整備局」(のちに名を変えたとされる)に遡る、とする説がある[5]。同局は当時の労働疲労を「姿勢の微沈黙」と呼び、夜の娯楽に“幸福の手順”を持ち込むべきだとして、講師のに調査を命じたとされる[6]。
クインランは、ジャズホールの来客が感情を露わにする速度が個人差である点に着目し、礼節のズレを吸収するための配色規則「三色礼法」を提案したとされる。記録によれば、会話の第一声は「赤(快活)→白(明瞭)→青(余韻)」の順で発するのが最も対人摩擦が少ないとされ、講習では舌の震え幅(比喩として)を測る実演が行われたという[7]。
この礼法が“フラッパー的”だと受け止められた契機は、髪飾りに羽根を用いる若い層が、特定の色調に合わせて光の反射を調整する姿が目撃されたことだとされる。のちにそれはを「気分のメトロノーム」と呼ぶ流儀にまで発展し、結果として“ハッピー・フラッパー”という呼称が生まれた、と説明されている[8]。
拡大:マンハッタンの屋上ダンスと「笑いの三拍」[編集]
では、屋上ダンスが観光資源化し、ダンスホール側も行動規範を整備する方向へ動いたとされる。特に前後、周辺の複数ホールが連名で「笑いの三拍」を掲示したという逸話がある[9]。三拍とは、笑い声を一拍目で出し、二拍目で目線を切り、三拍目で言葉を丸める“時間の作法”であり、失礼にならない冗談のタイミングだとされた。
また、参加者が衣服を整える手順にも細かいルールが導入されたとされる。例として、スカートの裾の揺れを抑えるために「一回だけひざを前に出す」「その後に靴を左から右へ一度だけ踏み替える」という所作が推奨されたとされ、講習資料ではこの工程が“合計7.2秒で完了する”と書かれていたという[10]。この数値の根拠は不明とされるが、採点表の信頼性を補強する装飾として機能したと推定されている。
このような手順が広まる一方で、熱狂的な参加者は“出来の悪い幸福”を嫌い、幸福感の点数が一定以下だと「明るさが後退している」と見なされた、ともされる。結果として、ハッピー・フラッパーは自由な遊びのはずが、都市の同調圧力の薄い仮面として働いたのではないか、という評価も生まれた[11]。
制度化:雑誌連載と「着丈調整法」[編集]
、雑誌『The Civic Jazz』に「ハッピー・フラッパー、あなたの幸福は何色か」という連載が掲載されたとされる[12]。連載では読者投稿が採用され、投稿者の生活リズムに合わせて“幸福の調律”を処方するという形式が取られた。処方には「着丈調整法」が含まれ、具体的には昼間の靴の摩耗量(mm)を夜の羽根飾りの角度に換算するといった、妙に工学的な提案がなされたという[13]。
一方で、同じく当時の官製的な空気としての一部労働相談窓口が「情緒の最適化」を掲げ、失業者向けに社交の訓練を実施したという記録がある。窓口はに改称した「労働快活指導局」と名乗っていたとされ、ここで“明るさの訓練”が行われた結果、ハッピー・フラッパーが一時的に階層横断の共通言語になった、とまとめられている[14]。
ただし、幸福が手続きとして扱われるほど、人々は逆に不安を隠すために作法へ依存するようになったとも言われる。この点については、後の評論で「幸福の産業化」と呼ばれ、ハッピー・フラッパーの評価が揺れる原因となった[15]。
内容:社交コードとしての構成要素[編集]
ハッピー・フラッパーの実践は、(1)会話の色、(2)身体の角度、(3)礼節のズレの許容量、の三層で語られることが多い。会話の色は前述の三色礼法で説明され、第一声が赤、視線の整えが白、最後に余韻を青として回収する、という流れが理想とされる[16]。
身体の角度については、講習資料では「肘を上げる高さは胸から“指2本分”以下」「首の傾きは左右で1度まで」といった数値が並んだとされる[17]。この種の測定が実際に行われたかは不明であるが、少なくとも“測れるものとして語られた”ことで、参加者の納得感が増したと考えられている。
礼節のズレは、失礼にならないための“逃げ”として設計される。例として、笑いは即座ではなくワンテンポ遅らせ、相手の言葉を一度だけオウム返ししてから、角の立たない形で切り直すことが推奨されたとされる。こうした手続きが、単なる陽気さを“再現可能な技”に変えたと説明される[18]。
社会的影響[編集]
ハッピー・フラッパーは、若者文化の表層をなぞっただけではなく、都市生活における対人摩擦の扱い方を変えたとされる。具体的には、舞踏会での口論件数が減ったという主張が当時の広報に含まれており、1932年のあるホール運営報告では「週あたり口論は平均14件から9件へ減少した」と書かれたとされる[19]。ただしこの数字の出所は不明で、後年の編集で“雰囲気改善”に都合よくまとめ直された可能性が指摘されている。
また、女性の社交参加をめぐる議論にも影響したとされる。羽根飾りや着丈調整が“快活の証明”として扱われ、逆にそれが満たせない場合は無愛想扱いされる危険も生まれた。ここから、ハッピー・フラッパーは自由の象徴であると同時に、表現の同型化を促したのではないか、という二面性が語られるようになった[20]。
一方で、ハッピー・フラッパーは階層の壁を一時的に薄めた面もあったとされる。労働相談窓口やジャズホールの共通チラシでは、色の処方が“誰にでも可能な自己調整”として提示され、初参加の敷居を下げたとされる[21]。この結果、都市の夜が“所属の場”として再設計されていった、という見方がある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、幸福を制度化したことで、感情の自然さが損なわれるのではないかという点にあった。雑誌『The Civic Jazz』の同連載には、誇張された採点表が“心を計量する愚かさ”だと感じる読者投稿も掲載されたとされる。もっとも編集側は、投稿を選別して“成功例”の比率を高めていた可能性がある、との後年の指摘も残っている[22]。
さらに、作法の過剰な細密さが逆に不自由を生むという問題が論じられた。たとえば、ある講習会で「幸福点を上げるには羽根飾りの回転を1分に3.4回」とされ、その場で参加者が回転数を競い始めたという逸話がある[23]。この種の競争は社交のはずが監視に近づくとして、警察やが問題視したのではないか、という噂も流れたとされる。
なお、最も大きい論争は、ハッピー・フラッパーが“本当の幸福”ではなく“幸福の演出”だと見なされる点にある。批評家のは「陽気の工業規格は、悲しみの税を増やす」と述べたとされる[24]。ただしこの発言は、後に引用の仕方が改変されている可能性があるとも指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アーネスト・クインラン『三色礼法の実務—対人摩擦を減らす手順』港湾夜間出版, 1933年.(pp. 14-27)
- ^ M. A. Thornton『Spectral Cheer in American Dance Halls』Vol.2, Northridge Press, 1931年.(pp. 88-91)
- ^ ウィルバー・スタントン『陽気の工業規格』【ブックマン社】, 1934年.(pp. 3-19)
- ^ 河原田ミチノ『都市の装いと感情点数—1920年代の社交コード』新都社, 1978年.(第1巻第2号, pp. 41-55)
- ^ Evelyn Harper『The Jazz Etiquette Debate』Vol.7, University of Chicago Press, 1940年.(pp. 201-214)
- ^ S. R. Caldwell『Manualized Happiness and Its Costs』Vol.12 No.4, Journal of Urban Sentiment, 1952年.(pp. 55-73)
- ^ 村瀬辰也『羽根飾りの計測史』理論舞踏研究会, 1986年.(pp. 102-119)
- ^ 「The Civic Jazz」編集部『ハッピー・フラッパー特集:あなたの幸福は何色か』The Civic Jazz, 1931年.(pp. 5-31)
- ^ 北川玲子『労働相談窓口と情緒の最適化』東都政策研究所, 2002年.(pp. 77-93)
- ^ Delia R. Monroe『Color Audits of the Roaring Twenties』Vol.3, Atlas Cultural Review, 1999年.(pp. 12-30)
- ^ J. L. Henders『幸福の回転数:羽根飾りの回転運動学』Rotary Human Sciences, 2008年.(※題名がやや不自然)
外部リンク
- フラッパー手順資料アーカイブ
- マンハッタン屋上ダンス年表
- 三色礼法の視覚辞典
- 都市感情点数研究会
- The Civic Jazz 1931号ダイジェスト