モザンビーク製の消しゴム
| 正式名称 | モザンビーク製の消しゴム |
|---|---|
| 別名 | マプト式消字具、海風消しゴム |
| 分類 | 事務用品・文具 |
| 発祥 | モザンビーク共和国マプト州 |
| 考案者 | アウレリオ・マシンベラ |
| 初出 | 1968年ごろ |
| 主原料 | 天然ゴム、松脂粉末、珪砂微粒、塩分を含む海砂 |
| 用途 | 鉛筆・炭筆の消去、測量図の修正 |
| 特徴 | 高湿度下でも硬化しにくい |
モザンビーク製の消しゴムとは、で製造されたとされる消字用具の総称である。特に近郊のゴム再生工房で独自に発達した「紙粉を残さずに文字だけを薄く消す」技法に由来するとされる[1]。
概要[編集]
モザンビーク製の消しゴムは、後半にの文具職人たちのあいだで体系化された消字具である。一般には輸出向けの廉価文具とみなされていたが、実際にはインド洋沿岸の湿潤環境に適応した独自配合が採用されていたとされる。
この製品が注目された理由は、消し跡が「白くならない」ことにあった。現地では紙を節約するため、下書きを何度も修正する文化があり、そのための測量帳票や港湾管理の帳簿にも広く採用されたとされる[2]。なお、初期の輸出箱には「FOR DRY HANDS ONLY」と誤記されていた時期があり、これが逆に欧州の収集家の関心を呼んだとの説がある。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は、沿いの修理工房で起きた小さな事故に求められる。アウレリオ・マシンベラが、の端材をの樽に誤って落とし、その後に海風で半日乾燥させたところ、鉛筆痕だけを選択的に薄める塊ができたとされる[3]。この偶然の発見は、当初は「船底補修材の失敗作」として捨てられかけたが、近隣学校の事務員が試用し、帳簿の訂正に向くとして評判になった。
当時の市内では、輸入文具が高価であり、特に高湿度で一般的な消しゴムはすぐに粘着化した。そのため、塩分を含む素材を少量混ぜることで摩擦熱を逃がすという発想が受け入れられ、工房単位の試作が急増した。研究者のは、これを「文具工業における海洋性適応」と呼んでいる。
国営化と輸出[編集]
1974年以降、製品は政権下で半ば公的な重点工業品と位置づけられ、(Instituto Nacional de Utensílios de Escrita, INUES)によって品質基準が整備されたとされる。ここで確立された「三秒擦過試験」は、紙面に10回こすっても紙粉が直径1.8mm以上広がらないことを合格条件にしたもので、当時としては異例に厳格であった。
にはおよび向けの教育支援物資に含まれ、港湾局の倉庫では文具箱から香辛料のような匂いがすることが問題になったという。これに対し製造側は、消しゴムに混ぜる微量の海砂を洗浄する工程を追加し、結果として「潮の香りがする消しゴム」として知られるようになった。輸出商社のカタログには、消す力よりも「午後の眠気を軽減する」とまで記されていた。
製法[編集]
標準的な製法は、に細粒化した珪砂、松脂粉末、微量の塩、さらにインド洋沿岸の乾燥バナナ葉を燃やした灰を混合し、低温で圧延する方法である。配合比は工房ごとに異なるが、もっとも有名な系の規格では、ゴム62%、松脂19%、珪砂11%、塩4%、灰4%が標準とされた[5]。
成形後の乾燥は、従来の窯ではなく、から吹く風を通す木箱で36時間行われる。これは、急乾燥すると表面だけが硬化し内部が粘るという問題への対策であり、現地職人はこの症状を「泣く消しゴム」と呼んだ。完成品には製造日ではなく「満潮から何回目の干潮後に仕上がったか」が刻印されることがあり、収集家のあいだでは真贋判定の手がかりになっている。
なお、1980年代後半に導入された自動化ラインでは、温度管理を誤って消しゴムが小さな立方体に割れ、学校関係者からは「消しゴムというより賽の目」と苦情が出た。これを受けて、以後の工場ではの作業指示に加え、太鼓の合図で圧延時間を知らせる方式が採られたとされる。
社会的影響[編集]
この製品は、モザンビーク国内では単なる文具以上の意味を持った。鉛筆を消す行為が「書き直す権利」の象徴とみなされ、学校では卒業時に生徒へ未使用の消しゴムを贈る慣行が広がったとされる。教育社会学者のは、これを「訂正の民主化」と説明している。
また、港湾都市の帳簿仕事では、湿気でにじんだ記録を修正できることから、の保税担当者のあいだで必需品となった。ある税関吏は、ひとつの消しゴムで二年間にわたり船荷目録の修正を行い、「最も勤勉な文房具」として表彰されたという。もっとも、この逸話は工場組合の機関紙以外に記録がなく、信憑性には疑問がある。
国外では、芸術家が「消した跡の風合い」を利用したため、消しゴムそのものが作品素材としても扱われた。特にリスボンの前衛美術展では、溶けかけの消しゴムを壁面に貼り付ける作品が展示され、批評家からは「植民地物流の残響を最も無自覚に表現した素材」と評された。
批判と論争[編集]
一方で、1992年ごろから、配合に含まれる細粒珪砂が紙面をわずかに傷つけるとして、会計書類への使用を制限すべきだという批判が出た。これに対して製造業者は、傷ではなく「紙の記憶を整えるための微細な撫で痕」であると反論したが、説明としてはかなり苦しいものであった[6]。
さらに、輸出向け商品の一部にインド産のゴムが混入していたことがに発覚し、消費者団体は「モザンビーク製」を名乗る基準が曖昧であると抗議した。これを受け、は原料の50%以上が国内由来であれば「モザンビーク製」と表示可能とする暫定基準を出したが、逆に近隣諸国の工房から模倣品が急増した。
なお、学校用として広まった時期に、誤ってチョークを消そうとして板面を削ってしまう事故が多発し、一部教師のあいだでは「授業を静かに壊す道具」として忌避された。これに関しては、消しゴム側ではなく黒板の材質が柔らかすぎたとする反論もある。
現代の評価[編集]
以降、モザンビーク製の消しゴムは日用品というよりも、レトロ文具、工芸品、あるいは都市史資料として扱われることが増えた。特にの旧市街では、当時の木箱やラベルを保存した「消しゴム博物収蔵室」が私設で開かれ、来館者は匂いだけで年代を当てる催しに参加できる。
近年は、再生ゴムと海藻由来バインダーを用いた改良版が開発され、環境負荷の低さから一部の学校で再評価されている。しかし、改良版は消字力が向上した代わりに、削りかすが小さな波形になるため、児童のあいだでは「ミニ津波」と呼ばれている。学術的には依然として周縁的な研究対象であるが、の工業史を考えるうえで無視できない存在とみなされている[7]。
また、文具コレクターのあいだでは、側面に焼印で「MZ-9」と刻まれた初期ロットが高値で取引される。真贋鑑定では、擦ったときにわずかに海水のような匂いがするかどうかが重視されるが、匂いの再現に成功した偽造品も出回っており、専門家を悩ませている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Aurelio Machinbela『Notes on Coastal Erasers of Southern Africa』Maputo Technical Press, 1979, pp. 14-39.
- ^ Lídia Nhantumbo「訂正の民主化と学校文具」『教育社会学評論』Vol. 12, 第3号, 1988, pp. 201-219.
- ^ E. R. da Costa『Materials and Mistakes in the Indian Ocean Office Trade』University of Natal Press, 1991, pp. 88-113.
- ^ M. G. Saldanha「Maputo Bay Rubber Workshops and the Wet-Season Standard」『Journal of African Material Culture』Vol. 7, 第2号, 1976, pp. 55-73.
- ^ Joan P. Whitmore『Stationery Along the Lusophone Coast』Routledge, 2002, pp. 144-162.
- ^ アントニオ・セメド「三秒擦過試験の導入経緯」『モザンビーク商工年報』第18巻第1号, 1980, pp. 9-21.
- ^ Helena M. Ortega『The Smell of Corrections: Erasers in Port Administration』Oxford Office Studies, 2005, pp. 31-58.
- ^ 渡辺精一「南部アフリカ文具の潮性について」『東洋文具史研究』第4巻第2号, 1994, pp. 77-95.
- ^ R. T. M. Khumalo『Rubber, Salt, and the Right to Rewrite』Cambridge Annex Press, 2010, pp. 1-27.
- ^ C. Nhamirre「MZ-9ロットの識別法に関する覚書」『マプト市史資料集』第6号, 2016, pp. 120-131.
外部リンク
- マプト文具史アーカイブ
- 南部アフリカ消字具協会
- 海風工房データベース
- 旧ロレンソ・マルケス市産業博物館
- レトロ文房具研究ネットワーク