ラピスラズリの国有化
| 名称 | ラピスラズリの国有化 |
|---|---|
| 英名 | Nationalization of Lapis Lazuli |
| 起源 | 1897年ごろのトルキスタン石政令 |
| 主管官庁 | 鉱石・顔料統制院 |
| 対象 | 原石、半精製塊、顔料、印璽用粒 |
| 主な実施国 | アフガニスタン、ロシア帝国後期、イラン北東部保護領 |
| 象徴色 | 群青 |
| 関連法 | 石青資源保全法 |
| 影響 | 美術市場の価格統制、密輸の増加 |
ラピスラズリの国有化(ラピスラズリのこくゆうか)は、主にとして流通するの採掘権・精製権・流通権を国家が一括して管理しようとする政策概念である。のを起点に制度化が進んだとされ、のちにやにも影響を及ぼした[1]。
概要[編集]
ラピスラズリの国有化とは、ラピスラズリの採掘から輸出、粉砕、顔料化までを国家が許認可制に置く政策である。対象は単なる鉱物ではなく、「青の品質」を国家資産として扱う点に特色があり、経由で流通した印璽用の細粒から、パリの画家向け特級粉末まで、等級ごとに管理されていた。
この制度は、しばしばやになぞらえられるが、実際には色材の供給統制と宮廷財政の安定化を兼ねた極めて特殊な政策であった。なお、19世紀後半の一部公文書では、ラピスラズリを「半貴石兼文化資本」として分類する独自の会計処理が用いられていたとされる[2]。
起源[編集]
起源は末、ロシア帝国の南方進出に伴って産の青石が急速に商業化したことに求められるとされる。1897年、の財務顧問であったは、現地の採掘権が部族ごとに細分化されることで税収が不安定化していると指摘し、青石の国家収用案を起草した。
この案は、当初は「ラピスラズリの専売」と呼ばれていたが、直属の鉱業委員会が「専売」では軽すぎるとして、採掘現場・荷駄路・洗浄場・粉砕小屋までを国の名義に置く方針へ拡張した。結果として、単なる商取引の統制ではなく、石そのものの所属を国家に移すという、極めて形式主義的な制度が成立したのである。
一方で、地元の採石人の間では、国家が所有するのは石ではなく「青の影」であるという奇妙な俗説が広まり、後年の密輸組織がこの言い回しを暗号として流用したとされる。
制度の成立[編集]
1903年に公布されたによって、ラピスラズリは「戦略的装飾鉱物」に指定され、の管理下に置かれた。同院はとに二重の登録台帳を設け、重量だけでなく、青味、金色粒の散布率、割面の「祈祷痕」まで記録したという[3]。
制度上は、原石は国家所有、採掘者には「採石労務証」が与えられ、粉砕後の顔料は「文化用」「宗教用」「軍儀礼用」に分けて配給された。特に軍儀礼用の青粉は、将校の地図筒や勲章箱の内張りに使われるため需要が高く、1911年には向けだけで年間約480キログラムが別枠で確保されたとされる。
ただし、実務はしばしば破綻しており、登録上は国有であっても、山岳地帯の実際の採掘現場では部族長の印章が優先された。これにより、法と現実が二重化し、役人は「国家が石を所有し、部族が穴を所有する」と皮肉ったと伝えられる。
拡大と輸出管理[編集]
美術市場との接続[編集]
1910年代に入ると、制度は鉱山政策から芸術政策へと拡大した。パリとウィーンの顔料商が国家公認証明書付きの青粉を高値で買い付けたためである。とくにオーストリアの保存修復局は、偽造防止のために粉末の粒径分布を照合する独自規格を導入し、これが後の「官製ウルトラマリン」規格の原型になったとされる。
このころ、の修復室で、購入した青粉が紙袋のまま届き、袋の口に押された国家印が「美術品より立派である」と話題になったという逸話がある。もっとも、同時代の記録では、印章のインクが青粉ににじみ、逆に画材としては非常に見栄えがよかったとも記されている。
交易路の軍事化[編集]
輸出管理の強化に伴い、からへ至る隊商路には検査所が設けられ、荷車1台につき平均17分の照合時間がかかるようになった。記録によれば、1922年の繁忙期には、青石の袋の中にやガラス片を混ぜる偽装が13件摘発され、うち2件は「色の気配が薄い」として却下された。
また、輸送保護を名目にが同行したため、ラピスラズリは事実上の準軍需品となった。これにより、地方の商人は石を売るのではなく「青の通行証を売る」ようになり、制度の本来目的とは異なる中間利潤が発生した。
社会的影響[編集]
国有化の最大の影響は、青色が「誰でも買える色」から「資格のある者だけが使える色」へと変わった点にある。宮廷画家、修復職人、宗教画工房の三者が優先供給を受け、地方の学校では模造顔料が配られたため、子どもたちは「本物の青」は台帳に載っていると教えられたという。
また、の市場では、ラピスラズリの欠片を婚礼の縁起物として縫い込む風習が再拡大し、国家が管理するほど民間の呪術価値が上がるという逆説が生じた。1930年代には、未申告の青石を持つことが「家計の青化」と呼ばれ、秘密資産の比喩として都市中産層にも広がった。
一方で、採掘現場の安全対策は不十分で、方面では落盤事故が相次いだ。政府は救護基金を設けたが、支給物資の青色包帯が非常に人気を集め、実際には負傷者より見物人のほうが多かったとする報告もある。
批判と論争[編集]
ラピスラズリの国有化は、文化財保護の名目で行われたにもかかわらず、実際には財政確保と外貨獲得を優先したのではないかとの批判が根強い。とくにのでの会議では、民間採掘権の剥奪が「国家による青の独占」であるとして、商人組合から激しい抗議が出た。
また、制度の運用には一貫性がなく、同じ石でも「王室用」と「輸出用」で税率が異なったため、役人が割面を見て等級を変更する賄賂慣行が横行したとされる。なお、当時の記録には「最も青いものは最も高く、最も高いものは最も青い」という財務局長の発言が残されているが、真偽は不明である[4]。
後年の研究者からは、この制度が近代国家による資源統制の先例であると評価される一方、実際には「色の国家化」という発想自体が権威主義的だったとの指摘もある。もっとも、制度を通じて標準化された顔料規格が、20世紀の修復保存技術を進めたという肯定的評価も存在する。
終焉と遺産[編集]
戦後の解体[編集]
第二次世界大戦後、ソ連圏とイラン方面の再編により、ラピスラズリの国有化は次第に形骸化した。1954年の再調査では、登録上は国有であった石のうち、実際に国庫へ納入されたのは全体の38%にすぎず、残りは地方政庁、寺院、個人商人のいずれかに分散していた。
これを受け、の文書ではなく、なぜかの文化資源報告書に「色材の半国家化」という項目が立てられ、各国の保存政策の参考例として扱われた。もっとも、この部分は後年の編集で増補された可能性があるとされる。
現代への影響[編集]
現代では、ラピスラズリの国有化は実務制度としては廃れたが、国立博物館や工芸学校における等級分類の考え方に痕跡を残している。また、の一部地域では、今でも青石の採掘に際して古い台帳用語が使われ、採掘責任者が自らを「青の番人」と呼ぶことがある。
さらに、東京の美術材料店では、1920年代式の紙箱を模した復刻顔料が売られており、箱書きに「国有化以前の風味」と記されている。これは厳密にはマーケティング上の文句にすぎないが、愛好家の間では半ば歴史用語として定着している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ベレジン, ニコライ・A.『トルキスタン石政令草案と青石台帳』中央アジア経済史研究会, 1904.
- ^ Thornton, Margaret A. “State Control of Semi-Precious Pigments in the Eastern Frontier,” Journal of Imperial Resource Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 201-228, 1931.
- ^ 伊東 恒一『石青資源保全法の成立』群青書房, 1978.
- ^ Rahimi, Farid. “Trade, Tax, and the Blue Shadow: Lapis Routes after 1897,” Central Asian Review, Vol. 8, No. 1, pp. 44-79, 1984.
- ^ 高野 伸一『顔料統制院の行政実務』日本修復保存協会出版局, 1992.
- ^ Dubois, Henri. “Lapis as Treasury: A Curious Case of Color Nationalization,” Revue des Matières Minérales, Vol. 5, No. 2, pp. 88-115, 1967.
- ^ 佐々木 みどり『青の通行証—近代中央アジアと美術市場—』彩景社, 2001.
- ^ Petrov, Ivan P. “On the Registration of Blue: Quantification and Ritual in Lapis Bureaucracies,” Slavic Economic Papers, Vol. 19, No. 4, pp. 310-339, 1959.
- ^ 山岸 直人『群青の国家—ラピスラズリ国有化史』東西文化社, 2010.
- ^ Müller, Franz. “The Oddly Bright Ledger of the Persianate Mineral Office,” Annals of Color Administration, Vol. 3, No. 1, pp. 17-41, 1926.
外部リンク
- 中央アジア鉱物史アーカイブ
- 群青資源研究所
- 帝国顔料台帳デジタル館
- 青石取引監視協会
- 国立修復保存資料室