上野原バナナ
| 名称 | 上野原バナナ |
|---|---|
| 分類 | 果実・地域品種 |
| 原産 | 山梨県上野原市周辺 |
| 初出 | 1928年頃 |
| 主要産地 | 上野原台地、鶴川流域、秋山地区 |
| 糖度 | 平均22.4度 |
| 特徴 | 皮が硬く、追熟時に黒点が星座状に出る |
| 関連機関 | 山梨県果樹試験場、上野原青果協同組合 |
| 通称 | うえバナ |
上野原バナナ(うえのはらバナナ)は、上野原一帯で栽培・熟成されるとされる、皮に微細な縦縞を持つ高糖度の果実である。末期にの測量工事とともに持ち込まれた苗が起源とされ、のちにの試験事業を経て地域特産として知られるようになった[1]。
概要[編集]
上野原バナナは、東部の周辺で古くから語られてきた地域果実であるとされる。一般にバナナは熱帯作物とみなされるが、この品種は標高約260メートルの谷あいで夜露を強く受けることで、甘味と粘度を増すと説明されている。
もっとも、地元では単なる果物ではなく、の鉄道土工、昭和初期の糖度研究、観光土産開発が奇妙に交差して生まれた「半農半工の産物」として語られている。なお、収穫期の房の一部が異様に短いことから、古くは「駅弁向けの果実」とも呼ばれたという[2]。
歴史[編集]
起源と苗木の来歴[編集]
上野原バナナの起源は、にの前身である鉄道省測量班が、経由で持ち込んだ試験苗にあるとする説が有力である。苗は本来、線路法面の浸食を抑えるための試植用であったが、当時のでは谷風を受けにくい南向き斜面に植えられ、結果として予想外に結実したと伝えられている。
1931年には、地元の農家・が最初の収穫に成功し、房の先端が通常よりも1/3ほど短いことに気づいた。これがのちに「握って食べやすい」と評判を呼び、町内の小学校で配布されたところ、児童の39人中28人が「普通のバナナより静かに食べられる」と回答したという調査記録が残る[3]。
試験販売と観光化[編集]
、は上野原バナナを「耐寒性甘味果実」として正式に試験登録し、沿線の駅売店で限定販売を開始した。価格は1本18銭で、当時のの一般的な菓子パンよりも高価であったが、黒点が出るまでの追熟を待つ文化が珍しがられ、発売初月で推定4,800本が売れたとされる。
この時期、の改札脇に木箱を積み上げて熟成させる「駅前追熟棚」が設置され、通勤客が通り抜けるたびに甘い香りが漂ったため、周辺の商店街では夕方の客足が約12%増えたという。もっとも、香りの強さにより一部の旅客が「車内で食べると車掌に見つかる」として購入をためらったこともあり、試験販売は半年で一度中断された[4]。
戦後の再定義[編集]
後、上野原バナナは一度は途絶えたが、にが残存株を再選抜し、果肉の密度を上げるために竹炭を混ぜた堆肥を導入したことで復活した。戦後の食糧不足期には、同品種の柔らかさが乳幼児向け補助食として注目され、の栄養指導資料にも「腹持ちがよく、冷蔵庫の少ない家庭に適する」と記載されたとされる。
一方で、1958年頃から「バナナなのにが見える土地で採れるのは不自然ではないか」との疑義も出たが、地元紙『』は「地熱をためた石垣が夜間に熟成を促す」と説明し、むしろ地域性の証拠として扱った。これにより上野原バナナは、単なる農産物ではなく、復興と説明の技術を象徴する存在として定着したのである。
栽培方法[編集]
上野原バナナは、沿いの砂質壌土を基本とし、植え付け後の最初の3週間にだけ澄んだ井戸水を与えるのが慣行である。地元では「朝に1回、夕方に1回、ただし雨の翌日は黙って待つ」と言い伝えられており、これは水分過多による裂果を避けるための経験則だとされる。
また、収穫前の房にを巻き、方面から吹く風を受けないよう北側だけを籠で囲う独特の方法がある。農家の間では、房の下に青い小石を7個置くと黒点が均等になるとされ、実際に熟成ムラが15%ほど減少したという内部報告もあるが、計測者の癖が強すぎるため要出典とみなされがちである。
さらに、完熟直前の果皮に現れる星座状の点列は「上野原紋」と呼ばれ、これが多い年ほど売り場での回転率が高いとされている。2021年の調査では、上野原紋の出現率が前年より1.8倍増加し、土壌中の鉄分濃度との相関が指摘されたが、結論は出ていない。
流通と利用[編集]
上野原バナナは通常の生食のほか、蒸して羊羹状にした「うえのはら餡」、皮ごと低温乾燥させた「駅前チップス」、そして冬季限定の焼きバナナ茶漬けに用いられる。特に焼きバナナ茶漬けは、の駅ナカ企画で一度採用され、販売初日に想定の2.7倍の注文が入り、厨房の湯気警報が3回鳴ったことで話題になった。
贈答品としては、房の本数が奇数であるものが「縁起がよい」とされ、の百貨店では桐箱入り6本組が定番化している。もっとも、箱のサイズがやや特殊で、包装紙に「熱帯果実」と印刷されているにもかかわらず、実際は産であるため、観光客が毎年少なくとも数百人は売り場で立ち止まるという。
地元の学校給食では、皮の処分まで含めた教育素材として扱われ、2022年度にはの小中学校14校のうち11校で年2回の特別献立が実施された。児童アンケートでは「皮をむく前から甘いにおいがするので、理科のようである」という感想が最頻だった。
社会的影響[編集]
上野原バナナの普及は、の地名認知度を高めただけでなく、「山間部でも熱帯作物は成り立つ」という半ば寓話的な成功例として紹介されてきた。1970年代以降、地域振興パンフレットでは、同品種が「首都圏から最も近いバナナの一つ」として扱われ、観光バスの立ち寄り先に組み込まれることが増えた。
一方で、過剰なブランド化により、地元では「本当にバナナなのか、それとも甘い情報なのか」という自己言及的な議論も起きた。1986年にはのゼミが上野原バナナを対象に文化人類学的調査を行い、住民の62%が「味よりも説明書きの方を先に読む」と答えたことから、商品というより物語の流通が中心であると結論づけている[5]。
また、近年ではの返礼品として人気が高く、2023年度の申込件数は推定8,400件に達した。ただし、発送先の一部で「届いた時には黒点が多すぎる」と苦情が出たため、現在は熟度別に3段階のシールが貼られている。
批判と論争[編集]
上野原バナナには、当初から「の在来果実を名乗るには遺伝的説明があいまいである」という批判があった。とりわけ1980年代には、苗の由来が台湾系統なのか、国内で独自選抜されたものなのかをめぐり、内でも見解が割れたとされる。
さらに、2010年頃には商標出願をめぐって地元2団体が対立し、とのどちらが正式名称を使うかで半年以上も協議が続いた。最終的には「保存」は品種に、「振興」は加工品に分けることで収束したが、会議録には「バナナに会議が必要なのか」との発言が残る。
なお、一部の愛好家からは「完熟時の香りが強すぎて、隣室の洗濯物まで果物に支配される」との声もある。ただし、これは上野原バナナの魅力そのものであるとして、むしろ高評価につながっている面がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺嘉市『上野原果樹試作記』峡東農事出版, 1933, pp. 14-29.
- ^ 山梨県果樹試験場『耐寒性甘味果実の研究』試験報告第12号, 1938, pp. 3-41.
- ^ 佐々木澄子『駅売り果実と近代交通文化』東京交通文化研究会, 1956, pp. 88-102.
- ^ Harold P. Emerson, “Microclimate Effects on Ridge Bananas in Inland Japan,” Journal of Comparative Pomology, Vol. 7, No. 2, 1964, pp. 201-219.
- ^ 上野原青果協同組合編『上野原バナナ復活史』組合内部資料, 1959, pp. 5-18.
- ^ 橋本宗一『果皮星座学入門』北辰書房, 1972, pp. 41-67.
- ^ Martha L. Grayson, “The Social Life of Sweetness: A Case from Yamanashi,” Asian Rural Studies Review, Vol. 19, No. 4, 1987, pp. 55-73.
- ^ 『峡東日日新聞』編集局「黒点の数と売れ行きの相関」1958年10月12日付, pp. 1-2.
- ^ 山梨大学地域文化ゼミ『上野原バナナをめぐる語りの構造』紀要第24巻第1号, 1986, pp. 9-26.
- ^ 遠山孝一『なぜバナナは駅で熟すのか』日本果実史学会, 2001, pp. 113-129.
外部リンク
- 上野原青果協同組合公式年表
- 山梨県果樹試験場アーカイブ
- 中央本線沿線特産研究センター
- 上野原バナナ保存会
- ご当地果実データベース