九州なにもない大学
| 正式名称 | 九州なにもない大学 |
|---|---|
| 英語名称 | Kyushu Nothingness University |
| 略称 | 九な大 |
| 創立 | 1968年 |
| 設置者 | 学校法人九州空白学園 |
| 本部所在地 | 福岡県糸島市白浜台 |
| 学部数 | 4学部・2研究科 |
| 学生数 | 約6,400人(2023年時点) |
| 校訓 | 何もないことを、あるものとして扱う |
九州なにもない大学(きゅうしゅうなにもないだいがく、英: Kyushu Nothingness University)は、における「何もないこと」を学術的に研究・保存・運用するために設置された私立総合大学である。創立以来、キャンパス内の人工物を極端に減らす方針で知られ、入試要項にも「眺望の邪魔にならない者を求む」と記されているとされる[1]。
概要[編集]
九州なにもない大学は、西部の海岸丘陵地に本部を置く私立大学である。一般には「キャンパスに何もない」と評されるが、実際には、見えにくい位置に配置された講義棟、風向きで存在感を示す彫刻、そして空き地を保全するための管理施設などが点在している。
同大学は、後半の過疎地域振興と高等教育拡張の流れのなかで生まれたとされるが、設立準備委員会が最初に提出した構想書は、建物の少なさを「教育資源」として定義した点で異彩を放った。後年、の担当官が「ここまで少ないなら、むしろ学問になる」と評したという逸話が残る[2]。
創設の経緯[編集]
空白学園構想[編集]
起源は、地元の実業家・がで開いた小規模な教育懇談会に求められる。神崎は、工場誘致が進まない地域では大型設備よりも「何もない状態を維持する技術」が必要であると主張し、のちに『空白は資本である』という有名なメモを残したとされる[3]。
この発想に賛同したのが、当時で景観論を講じていた造園学者のである。高瀬は、校地を造成する際に樹木を植えるのではなく、あえて「植えない区画」を設計する案を提出し、これが後の「無植栽キャンパス」の原型になった。なお、当初案では池を一つだけ残す予定だったが、維持費の都合で「水面の想像」で代替されたという[4]。
開学と初期の混乱[編集]
に開学した際、最初の入学式は体育館ではなく、完成前の予定地で行われた。式典会場に椅子が足りなかったため、学生は各自で段差や岩に腰掛けたが、この「自律的着席法」は後に教養科目『空間適応論』の実習に組み込まれた。
初年度は、、の3学部で始まり、在学生は合計318人であった。キャンパスに看板が一つしかなかったことから、近隣住民が何度も道を尋ねに来る事態が起き、大学側は翌年から「大学を探して来た人向けの案内板」を2か所増設した。これは同学における大規模なインフラ拡張と見なされている。
教育と研究[編集]
「無」のカリキュラム[編集]
同大学の教育理念は、実体の乏しさを学問的訓練に転化する点に特徴がある。必修科目には『余白学』『消え物管理』『聴こえないプレゼンテーション』などがあり、特に『余白学実習』では、学生がA4用紙の白い部分だけを用いてレポートを作成する訓練を受ける。
に導入された「ゼロ持ち込み試験」では、筆記具・時計・参考書の携帯が禁止され、受験生は会場に置かれた机の位置を記憶する能力まで問われた。この試験の平均点は43.2点であったが、採点基準の半分は「困惑の質」で占められていたとされ、要出典ながら内部資料でも確認されたという。
研究所と学術業績[編集]
研究面では、が有名である。同研究所は、沿岸における「目視不能施設の分布」や、から見た「存在感の希薄な建造物の風圧係数」を扱っている。なかでも教授による『可視性の低い大学施設に関する定量的研究』は、国内の建築計画学会で7年連続で最も引用しづらい論文に選ばれた[5]。
また、2018年には、空間が少ないほど学習効率が上がるという「反比例仮説」を検証するため、の離島キャンパスで半年間の実験が行われた。結果、学力の向上は確認されなかったが、学生の「どこにいるかわからない能力」が著しく改善されたという。
キャンパス[編集]
本部キャンパスは白浜台にあり、海と雑木林のあいだに細長く配置されている。案内図は通常の地図ではなく、風向きと潮位で読み取る方式が採用されており、初見の来訪者の約27%が隣接するへ誤って入る。
キャンパスの象徴とされるのは、中央広場の「無限空地」である。ここは整地された芝生ではなく、毎朝職員がレーキで「まだ何も起きていない感」を整える場所で、学園祭の時期には学生たちがここで最も静かな拍手を競う。
なお、学生寮は存在するが、外部からはほとんど見えないよう、丘の斜面に半地下で埋設されている。寮の部屋番号は1〜24まであるものの、実際には17号室と18号室のあいだに「欠番の風」があるとされ、夜間にそこを通ると提出期限を思い出すという。
学園文化[編集]
学祭「無い祭」[編集]
学園祭は「無い祭」と呼ばれ、来場者に対して催し物の少なさを競う点で知られる。最大の人気企画は、15分ごとに開催される『何も起きない講演会』で、講演者は壇上に立ったまま一切発言しない。ただし、終了時に聴衆が自然に拍手を始める瞬間があり、これが感動のピークとされる。
には、来場者数が過去最多の1万2,480人を記録したが、そのうち約3,600人は近隣道路で開催された別イベントのついでに立ち寄った人であった。大学側はこれを「偶然による教育効果」として成功事例に数えている。
学生自治[編集]
学生自治会は、伝統的に「決めないこと」を重視してきた。役員会では議題が多すぎると進行不能になるため、毎回、議長が最初に「本日は特に決めません」と宣言する。この慣行はの大規模な学費改定をめぐる混乱のなかで定着したもので、結果として大学史上もっとも長い沈黙の会議が3時間14分続いたと記録されている。
一方で、自治会は災害時には極めて迅速に動く。2016年の台風時には、掲示板の紙が飛ばないように全員が無言で押さえ続けたことから、の学生自治研究会から「最も地味な危機管理」として表彰された。
社会的影響[編集]
九州なにもない大学は、地方私学の経営モデルに「少なさの経済」を持ち込んだ点で評価されている。周辺地域では、空き地を観光資源として見直す動きが生まれ、内には同学の方式を模倣した「空白を売りにする直売所」や「無景観カフェ」まで登場した。
また、就職市場では、同大学出身者は「状況が整っていない現場での適応力」が高いとされ、、、の現場管理職に多く進む傾向がある。採用担当者の間では、同大卒の学生は「資料が届かなくても話を進められる」と評価されているという。
他方、批判も根強い。教育社会学の一部からは、何もない環境を美化することは、施設整備の遅れを正当化しかねないとの指摘がある。ただし大学側は、批判が出るたびに「何もないこと自体が議論の余地を生む」と反論しており、ある意味では恒常的な論争装置として機能している。
歴史[編集]
拡張期と再定義[編集]
には学生数が急増し、教室不足が問題となったが、大学側は建物を増やす代わりに授業時間をずらすことで対応した。これにより、昼休みのない時間帯が「静かなピークタイム」と呼ばれるようになり、構内食堂の回転率は1.7倍に向上したと記録されている。
には、大学名称を「九州空白大学」に改称する案が出たが、在学生の投票で僅差で否決された。理由は「何もない」より「空白」のほうが少しだけ責任が重いから、という説明だった。
デジタル化以後[編集]
後半からは、キャンパスの少なさを補完するためオンライン講義が導入された。しかし、同大学の情報基盤はあえて軽量化されており、学内ポータルのトップページは白地にログイン欄のみという極めて簡素な仕様である。これが「最も動作が速い大学サイト」として一部で話題になった。
には、バーチャルキャンパス『Nothing Field 2.0』が公開されたが、実際の表示内容はほぼ空の画面と天気情報だけであった。開発チームは「情報量を減らすほど、訪問回数が増える」ことを確認したとしているが、アクセス解析の解釈には議論が残る。
批判と論争[編集]
もっとも大きな論争は、同大学が「何もない」という表現をブランド化したことで、地域の実像を過度に単純化しているのではないかという点にある。地元商工会の一部からは、観光客が大学周辺を「本当に何もない場所」と誤認し、実際には存在する食堂や書店を見落としているとの声が上がった。
また、には、大学広報が「キャンパス内の騒音レベルは図書館並み」と宣伝したところ、実測値が図書館よりやや高かったため、SNS上で小さな炎上が起きた。大学は後に「図書館“並み”は比喩である」と説明したが、この釈明がさらに話題を呼んだ。
なお、建築史家のは、同学について「存在しないことを維持するために、最も多くの人員を要する施設」と評している。これは批判であると同時に、ほぼ公式見解として流通している。
脚注[編集]
[1] 大学案内『九州なにもない大学 2024』学校法人九州空白学園, 2024年. [2] 片桐理恵「地方私学における空白資源の制度化」『教育制度研究』第38巻第2号, 2019年, pp. 114-129. [3] 神崎常雄『空白は資本である』私家版, 1966年. [4] 高瀬ミドリ「植えない造園の可能性」『景観設計年報』Vol.12, 1971年, pp. 9-22. [5] 佐伯浩一『可視性の低い大学施設に関する定量的研究』九州空白研究所報告, 2007年, pp. 1-88. [6] 野田千尋「無い祭における参加者の拍手発生条件」『地域文化論集』第24巻第1号, 2022年, pp. 55-70. [7] M. Thornton, "Pedagogies of Emptiness in Regional Japan," Journal of Comparative Campus Studies, Vol. 7, No. 3, 2018, pp. 201-219. [8] 山崎隆一『大学が少ないほどよく見える——九州空白学の実践』南方新書, 2021年. [9] E. Collins, "The Economics of Non-Installed Infrastructure," Urban Higher Education Review, Vol. 15, No. 1, 2020, pp. 33-47. [10] 井上澄子「何もないことの評価指標に関する試案」『大学経営季報』第11巻第4号, 2023年, pp. 4-19.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 片桐理恵『地方私学における空白資源の制度化』教育制度研究 第38巻第2号, 2019年, pp. 114-129.
- ^ 神崎常雄『空白は資本である』私家版, 1966年.
- ^ 高瀬ミドリ「植えない造園の可能性」景観設計年報 Vol.12, 1971年, pp. 9-22.
- ^ 佐伯浩一『可視性の低い大学施設に関する定量的研究』九州空白研究所報告, 2007年, pp. 1-88.
- ^ 野田千尋「無い祭における参加者の拍手発生条件」地域文化論集 第24巻第1号, 2022年, pp. 55-70.
- ^ M. Thornton, "Pedagogies of Emptiness in Regional Japan," Journal of Comparative Campus Studies, Vol. 7, No. 3, 2018, pp. 201-219.
- ^ 山崎隆一『大学が少ないほどよく見える——九州空白学の実践』南方新書, 2021年.
- ^ E. Collins, "The Economics of Non-Installed Infrastructure," Urban Higher Education Review, Vol. 15, No. 1, 2020, pp. 33-47.
- ^ 井上澄子「何もないことの評価指標に関する試案」大学経営季報 第11巻第4号, 2023年, pp. 4-19.
- ^ 田所圭介『存在しない建築の保存論』港湾文化社, 2022年.
- ^ The Kyushu Blank Society, "Annual Report on Quiet Campuses," 2024 edition.
外部リンク
- 学校法人九州空白学園公式サイト
- 九州空白研究所アーカイブ
- 無い祭実行委員会
- 地方私大空白連盟
- 九州なにもない大学同窓会