国民社会主義イスラエル労働者党
| 正式名称 | 国民社会主義イスラエル労働者党 |
|---|---|
| 略称 | NSIWP |
| 成立 | 1932年 |
| 解散 | 1958年頃 |
| 本部 | テルアビブ、レフ・ハイル地区 |
| 支持基盤 | 港湾労働者、印刷工、協同組合経営者 |
| 機関紙 | 『ハ・マアラフ』 |
| 党首 | エリエゼル・ベン=アミール |
| 標語 | 国家はパンを、労働者は秩序を |
| 主要関連法 | 都市配給協定(1936年案) |
国民社会主義イスラエル労働者党(こくみんしゃかいしゅぎいすらえるろうどうしゃとう、英: National Socialist Israeli Workers' Party)は、中東における都市労働者の共同購買運動から発展したとされるである。1932年にで結成されたと伝えられ、のちにとの再編をめぐる象徴的存在となった[1]。
概要[編集]
国民社会主義イスラエル労働者党は、期の都市労働運動において、配給制度と民族協同組合の統合を主張した政治組織である。一般には極端なイデオロギー集団とみなされがちであるが、当時の党文書では「港の荷揚げ効率の改善」「パン配給の平準化」「夜間照明の共同管理」といった実務的課題が前面に出されていた[2]。
党名の「国民社会主義」は、後年の研究では誤解を招く表現とされているが、創設者たちはこれを「国民的再配分主義」の略語として用いていたとされる。なお、党員手帳の裏面には、、英語の三言語で労働倫理綱領が印刷されており、党の多言語性を示すものとして知られている[3]。
歴史[編集]
創設期[編集]
党は1932年の冬、の近くにあった印刷所兼食堂「ハトル・ハアハート」で結成されたとされる。発起人は元港湾監督のエリエゼル・ベン=アミール、会計担当のラハム・コーヘン、弁舌で名を上げた看護師出身のミリアム・レヴィの3人で、初会合の参加者は正確に47人であったという[4]。
創設会議では、党名をめぐり6時間以上の議論が続き、最終的に「社会主義イスラエル労働者同盟」案を退け、より覚えやすいとして現名称が採択されたとされる。もっとも、この命名は支持者の間でも長らく不評で、の党支部では通称として「四文字党」と呼ばれていた。
拡大と港湾政治[編集]
1934年からにかけて、党はとで急速に影響力を伸ばした。特に荷役賃金の改定交渉では、党所属の調停人が砂糖袋1,200袋を使った即席の「積み上げ表」を作成し、労働時間の再配分を可視化した逸話が有名である[5]。
この時期、党はの冷蔵倉庫網を一元化し、パン、オリーブ油、石鹸を同一の配給切符で受け取れる制度を試験導入した。制度は一部で好評であったが、豆の計量単位が地区ごとに異なっていたため、結果として「計量戦争」と呼ばれる小競り合いが発生したとされる。
戦時協力と転機[編集]
第二次世界大戦期には、党は港湾の荷役統制を通じて連合国向け補給の効率化に協力した。1942年のエルサレム会議では、英国軍需局との間で「荷札の色を赤・青・白の3種に限定する」取り決めが交わされ、書類処理時間が平均18分短縮されたという[6]。
一方で、党内では中央集権化をめぐる対立が激化し、1945年の第8回大会では壇上のマイクが2本しかなかったことから演説時間が厳格に3分制となった。これを不満とした若手書記たちが独自に速記連盟を結成し、のちの分派形成の火種になったとされる。
衰退と後継[編集]
の国家再編後、党は労働総同盟系の大規模組織に吸収される形で急速に存在感を失った。ただし、地方レベルでは1960年代まで「赤い配給印」が残存していた地域があり、周辺の古い商店では1971年になっても党の旧印章が押された帳簿が見つかったという[7]。
1958年頃に党名義の活動は停止したとされるが、形式上の清算書類が最後に提出されたのは1963年であった。これは、元経理主任が「在庫の紙袋が12箱残っている」として決算を先送りし続けたためで、党史研究ではしばしば「紙袋による延命」と呼ばれている。
政策[編集]
党の政策は、今日の観点から見ると極めて折衷的である。中心となったのは都市部の生活必需品を共同調達し、各地区の労働者寮に再配分する制度で、党内ではこれを「都市扶養計画」と呼んでいた[8]。
また、週6日制を前提にした労働時間の統一、港湾と市場の朝礼一本化、共同食堂におけるスープ温度の標準化など、やけに細部へ踏み込んだ政策が多かった。党大会の決議には「夏季のトマトは午前10時までに卸すこと」といった、半ば衛生規則のような項目も含まれていた。
もっとも、党綱領第4条にある「国家は労働者の昼食を保障する」という条文は、後年の研究者の間で特に有名になった。これは財政条項というより食堂改革の宣言であり、当時の支持者の熱意をよく示しているとされる。
組織と人物[編集]
党首エリエゼル・ベン=アミールは、出身の元倉庫番で、演説中にしばしば配給切符を掲げて聴衆の注意を引いた人物である。副党首のラハム・コーヘンは統計に強く、党の内部文書には彼が作成した「石鹸使用量と政治的忠誠度の相関表」が残るとされる[9]。
女性部門を率いたミリアム・レヴィは、党内で唯一、議事録の誤字を即座に指摘できる存在として恐れられていた。彼女の主導で始まった「夜間縫製班」は、制服修繕を名目にした勉強会でもあり、のちに夜学運動へ発展したとされる。
なお、党内には「線路派」と「食堂派」という2大派閥が存在した。前者は港湾物流の効率化を、後者は配給の質向上を重視し、1947年には会議の議題が17項目中14項目まで豆の煮込み時間に割かれたことが知られている。
社会的影響[編集]
党の最大の影響は、都市労働者の間に「配給を政治とみなす」感覚を定着させたことである。これにより、物資の分配は単なる行政処理ではなく、共同体の尊厳を示す儀礼として理解されるようになったとされる[10]。
また、党が導入した印刷済みの食券様式は、のちにイスラエル各地の自治体で模倣され、特にの病院給食管理票に影響を与えたとされる。もっとも、党員の中には「票が増えるほど夕食が遅くなる」と不満を漏らす者も多く、制度は支持と疲弊を同時に生んだ。
都市文化への影響も無視できない。党が後援した労働者合唱団は、機械音に似せたリズムで歌うことから「荷揚げ合唱」と呼ばれ、後の市民音楽祭の一部に取り込まれた。これは党の遺産として最も平和的なものであったと評される。
批判と論争[編集]
党に対する批判は、創設初期から存在した。特にエルサレムの新聞『ハツフェ』は、党名が過度に雄弁であることを理由に、社説で「看板だけで倉庫を支配しようとする運動」と揶揄した[11]。
また、党が一部地区で導入した「労働証明カード」は、実際には配給参加の記録であったにもかかわらず、失業者の識別装置のように扱われたため、差別的運用があったとの指摘がある。ただし、党内部記録では「カードを忘れた者には代替の豆証明書を発行する」とされており、運用の一貫性にはかなりの幅があった。
学術的には、党を「労働運動の一変種」とみなす説と、「都市食料行政を政治化した制度実験」とみなす説が併存している。近年では、両者を併記したうえで「最も成功したのは標語であった」と結論づける研究も増えている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Y. Ben-Ami『Port Wages and Civic Bread: Municipal Labor Experiments in Tel Aviv, 1931–1948』Hebrew Labor Studies Press, 1987.
- ^ Rachel Koren『The Ledger and the Loaf: Cooperative Distribution in Mandatory Palestine』University of Haifa Press, 1994.
- ^ M. L. Stein『Red Stamps, Blue Tickets: Administration and Identity in Coastal Worker's Parties』Vol. 12, No. 3, Journal of Levantine History, 2001, pp. 44-79.
- ^ ד. לוי『המסדר והמרק: מפלגות עבודה עירוניות בארץ ישראל』כרמל, 1978.
- ^ Samuel I. Hart『Three Languages on One Card: Bureaucracy in the Eastern Mediterranean』Cambridge Port Studies, Vol. 8, 2005, pp. 201-228.
- ^ A. Rahman『The Strange Case of the National Socialist Israeli Workers' Party』Vol. 19, No. 1, Middle Eastern Political Archives Review, 2012, pp. 5-31.
- ^ E. Cohen『From Fish Market to Parliament: Labor Coalitions and Their Lunch Programs』Oxford Coastal Series, 1999.
- ^ פ. בן־דוד『כרטיסי קמח ומאבקי נמל』הוצאת נמל, 1966.
- ^ Margaret A. Thornton『Urban Bread, Urban Rule: Comparative Municipalism in the 20th Century』Vol. 4, No. 2, Comparative Bureaucracy Quarterly, 2018, pp. 112-140.
- ^ N. Shapiro『A Survey of the Distribution of Soup Temperature in Worker Cooperatives』Vol. 1, No. 4, Annals of Practical Ideology, 1960, pp. 88-93.
外部リンク
- イスラエル労働史資料館デジタルアーカイブ
- テルアビブ都市協同組合研究センター
- 港湾政治史年表プロジェクト
- レフ・ハイル地区古文書保存会
- 中東労働運動比較研究ネットワーク