大泉洋扮するだるま屋のカブがウイリーした現場
| 名称 | 大泉洋扮するだるま屋のカブがウイリーした現場 |
|---|---|
| 種類 | 記念転倒跡(路面刻印・小祠) |
| 所在地 | 新潟県村上市鵜泊(国道345号線沿い) |
| 設立 | 昭和末期の「路面芸能保全」運動期(架空の1989年) |
| 高さ | 約1.4 m(石碑・屋根付き) |
| 構造 | 御影石台座+金属レール境界+銅板刻印 |
| 設計者 | 鵜泊町町並み整備局 施設設計課・柴川寛太(架空) |
大泉洋扮するだるま屋のカブがウイリーした現場(おおいずみようふんするだるまやのかぶがういりーしたげんば、英: The Site Where Kabu the Darumaya, Portrayed by Yo Oizumi, Performed a Wheelie)は、新潟県にある[1]。現在では、俳優・大泉洋が扮した「だるま屋のカブ」が“ウイリー”を披露したと伝わる路面の痕跡として知られている[1]。
概要[編集]
新潟県の国道345号線(鵜泊大橋北詰付近)に所在する大泉洋扮するだるま屋のカブがウイリーした現場は、路上での即興芸の“着地点”を後世に残すために整えられた記念施設として紹介されている[1]。現場とされる範囲には、車輪の角度を模した銅板刻印と、触れると運勢が回復するという小祠が設けられている[2]。
この施設は、1960年代後半に広がった「地方ロケ遺構」観光を、行政と民間の協業で“建造物”の体裁にまとめ直したものとされている[3]。とくに、俳優が扮したキャラクターの動き(ウイリー)を、交通安全啓発の語りとして転用した点が特徴であり、「転ぶ前に祈れ」という標語が一時期、周辺の商店街で流行したとされる[4]。
名称[編集]
施設名のうち「現場」は、映像作品のロケーション名をそのまま固定した行政文書の表記に由来するとされる[1]。また「だるま屋のカブ」は、当時の台本に登場する屋号“だるま屋”と、軽快な乗り物稼働を意味する通称“カブ”が合成されたものとして説明されている[2]。
なお、名称に含まれる「大泉洋扮する」は、主演クレジットの権利処理をめぐる調整から生まれた条文表現に由来するとされる[5]。そのため、正式名称は観光課の掲示では長い一方、地元では「ウイリー跡(ういりーあと)」と呼ばれ、案内板の文字数が上限に収まるよう途中から省略して運用されることが多いと報告されている[6]。
この呼称設計は、のちに“演者名を冠した街頭記念物”という類型の前例として扱われ、各地で同様の命名が試みられたとされるが、実際に定着したのは本件が最初期だったという見解もある[7]。
沿革/歴史[編集]
起源:路面の神話化と「転倒許可」[編集]
昭和末期、周辺で交通量が増えたことに伴い、国道345号線沿いの旧観光ルートが縮小したとされる[3]。そこで、町の広報担当だった柴川寛太(架空)は、ロケ現場として一躍注目された路面の“角度”に着目し、「転倒許可(てんとうきょか)」という概念を持ち込んだとされている[8]。
転倒許可とは、危険行為を奨励する制度ではなく、事前に路面を補修し“転倒しても被害が最小化される設計”にするという建前の安全運用であったと説明される[8]。具体的には、車輪圧を想定した銅板を埋設し、摩擦係数を0.62〜0.66に調整したと記録される(数字は「当時の施工台帳に基づく」とされるが、閲覧には手続が必要とされている)[9]。
このようにして、撮影の一場面(ウイリーの瞬間に生じたとされる跡)が、公共事業の言葉で“記念転倒跡”へと昇華されたとされる。
整備:だるま屋の小祠と銅板刻印[編集]
1989年(架空)に、村上市の「路面芸能保全」計画が採択され、現場周辺の区画が一時的に歩行者導線へ転換されたとされている[10]。この転換期間中、地域のだるま屋(屋号が“だるま屋”と記録された個人店)から寄付された石材で、小祠の基壇が建立されたとされる[11]。
その後、銅板刻印は「ウイリー角度」を再現するために、駆動輪の想定回転軸から測った半径を採用し、中心からの距離を19.7 cm刻みで配置したとされる[12]。さらに、銅板には“北を向くと不運が落ちる”という口承が添えられ、方位磁針の微調整まで行われたと報告されている[13]。
なお、施設の屋根は積雪に耐えるよう設計されたとされるが、なぜか「一度だけ雪が降った年に限り、刻印の文字が読める」という怪談が同時期に広まったとされ、これが観光PRに転用されたことで、施設の認知度が上がったとされる[14]。
施設[編集]
現在では、記念転倒跡は国道345号線の路肩側に整備され、御影石の台座(幅約60 cm、長さ約1.2 m)と、車輪境界を示す細い金属レールが組み合わされている[1]。台座の中央には銅板刻印が埋設されており、中心点から外周に向かうにつれて刻みが細かくなる構造が採用されているとされる[12]。
施設の小祠は、参拝用の前庭石(奥行き30 cm)とセットで運用される場合が多いと報告されている[11]。また、銅板には“ウイリーは二度目に成功する”という意味不明な格言が刻まれているとされ、読める角度が限られているため、観光客がスマートフォンのライトで照らして撮影する光景が見られるという[15]。
建造物としての規模は大きくない一方、街路景観上の要請により「視線の高さで確認できる位置」に設置されているとされ、道路維持担当が定めた測定基準(路面から石碑上端まで約1.4 m)が運用されている[1]。この高さ指定は、冬季に大型車の視界を妨げないことを理由に据えられたとされる[9]。
交通アクセス[編集]
鉄道としては最寄り駅が明示されないことも多いが、新潟県内の主要路線からは車での到達が想定されている[16]。施設は沿いに所在し、鵜泊大橋の北側付近で案内板が視認されるとされる[1]。
自動車利用時は、片側交互通行を前提とした“参拝モード”(停車枠の運用)を設ける年度があると報告されている[6]。また、観光繁忙期には「1台あたり駐停車は7分以内」とし、残り時間は近隣の休憩所で待機する仕組みが採られる場合がある[17]。
徒歩では、鵜泊大橋から路肩をたどる導線が推奨されるとされているが、夜間は街灯の位置関係から転倒事故が起きやすいとも指摘されている[18]。そのため、施設側では反射シールの貼付が行われ、視認性の改善が図られていると説明される[19]。
文化財[編集]
本施設は、文化財の体系で「建造物」ではあるが、厳密な登録区分は年ごとに解釈が揺れるとされる[3]。ただし、観光課の説明では「路面刻印を含む一体物として扱われ、軽微な登録対象に相当する」として、扱いで案内されることが多いとされる[1]。
また、銅板刻印は“地域の口承と結びついた工作物”として、資料館の企画展に出品された実績があると報じられている[20]。この企画展では、刻印の配置がウイリーの姿勢(前輪の角度)を象ったものだと解説され、来場者が実際に角度測定を試みたというエピソードが残っている[21]。
一方で、いわゆる文化財指定に伴う管理の厳格化が進むほど、現場が“撮影スポット化”し、静謐な参拝が失われるとの批判も指摘されている[22]。それでも現在では、地域の「転倒は罰ではない」という価値観が残されている点が評価され、施設の維持が継続されているとされる[14]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 村上市観光課『路面転倒跡の活用指針(逐条解説)』村上市役所, 1992.
- ^ 柴川寛太『地方ロケの遺構化と行政手続』新潟都市計画叢書, 第3巻第2号, pp. 41-58, 1994.
- ^ 佐藤由紀夫「銅板刻印による路面記憶の設計要件」『土木景観学会誌』Vol. 18 No. 4, pp. 201-219, 1995.
- ^ 藤原真琴『演者名冠の記念物に関する法的運用』日本文化財法研究会, 2001.
- ^ 「路面芸能保全計画の採択記録(抄)」『村上市議会会議録』第昭和64年臨時号, pp. 12-19, 1989.
- ^ Margaret A. Thornton, “Street-Script Memorials and Performative Urbanism,” *Journal of Public Folklore*, Vol. 7, Issue 1, pp. 77-93, 2008.
- ^ Kazuhiro Tanaka, “Wheel-Myth: Micro-geometry in roadside commemorations,” *International Review of Built Sentiment*, Vol. 2 No. 3, pp. 55-73, 2013.
- ^ 小林政明「転倒許可という安全物語の実例」『交通安全教育研究』第12巻第1号, pp. 9-26, 2005.
- ^ 北村玲「鵜泊沿岸の方位と口承の関係」『地域民俗学論集』第21巻第2号, pp. 300-318, 1999.
- ^ Caroline L. Hayes, “When Sets Become Monuments: The Oizumi Effect,” *Theatrical Heritage Review*, Vol. 5, pp. 1-24, 2011.
外部リンク
- 鵜泊路面遺構ガイド
- 村上市観光課 口承アーカイブ
- 銅板刻印フォトギャラリー(運営委員会)
- 国道345号線 道路愛護会
- 新潟建造物記憶研究会