日本の危険な祭り
| 行事名 | 日本の危険な祭り |
|---|---|
| 開催地 | 岩手県遠野市・久遠神社および周辺集落 |
| 開催時期 | 毎年5月下旬から6月上旬 |
| 種類 | 神事・火祭り・山車行事 |
| 由来 | 山の斜面に鎮まる火伏せ信仰と、疫病除けの渡御儀礼に由来する |
日本の危険な祭り(にほんのきけんなまつり)は、のの祭礼[1]。より続くのの風物詩である。
概要[編集]
日本の危険な祭りは、南部の山間部で行われる火祭りを中心とした年中行事である。名称に「危険」とあるが、これは実際の事故を指すのではなく、古来より火・刃物・急斜面を扱うことから、神に対して慎みを失うことを戒める呼称として親しまれている。
祭りの中心となるのはの例大祭で、長さ約37メートルの松明を担ぐ「大火綱」や、最大で高さ4.8メートルに達する木製の仮山車が用いられる。地元では「一歩でも気を抜くと神意に触れる」とされ、準備段階から教育委員会とが共同で見回りを行うことでも知られている。
名称[編集]
「危険な祭り」という呼称は、近世後期にの記録役・が残した『山際年中覚書』にみられる「けわしく、しかも祝うべき祭」の誤読に由来するという説がある。のちに20年代、の民俗採訪班が現地調査を行った際、案内役の老人が英語で「dangerous」と説明したことから、外部資料ではそのまま定着したとされる[2]。
ただし地元では、古くは「ケワイマツリ」「火廻りの式」などと呼ばれていたともいわれ、現在の正式名がいつ確定したかははっきりしない。なお、の社務所に残る木札には「日本一あぶなき祭」と墨書されており、これが旅行記を通じて広まったとの指摘もある。
由来・歴史[編集]
起源[編集]
伝承によれば、祭りの起源は末期、山中で発生した大火を鎮めるために、里人がの刃で藁束を裂き、火口を封じた儀礼にさかのぼる。火を「危ういがゆえに祀る」考え方が生まれたのはこの頃であり、後にの行者が加わって山の稜線を巡る行列へと変化したとされる。
一方で、祭礼に用いられる赤い綱は、もともと山の境界を示すための測量具であったという説もある。これが神事化する過程で「火の道」を象徴するものとなり、長さや太さが代々厳密に定められた。特に綱の芯にではなくを混ぜる習わしは、湿気で緩まないためだとされるが、実際には馬の霊を鎮める意味があると地元では語られている。
近代以降の変化[編集]
期にはが「山上での松明行列は群衆事故を招くおそれがある」として一時中止を勧告したが、の宮司・が『火を止めると雨が三年遅れる』と主張し、結果として規模を縮小した上で継続された。この折、観覧席の設置にの余剰木材が使われたという話が伝わる[3]。
40年代には観光化が進み、ピーク時の来訪者は年間約8万2,000人に達したとされる。地元の青年団は「危険さを売りにしすぎると本来の祈りが薄まる」として演出の見直しを迫ったが、逆に観光ポスターでは「日本で最も写真に収まりにくい祭り」と宣伝され、新聞各紙の朝刊一面を飾った。
日程[編集]
祭りは毎年24日の宵宮から始まり、25日の本祭、26日の後火祭で締めくくられる。旧暦に換算すると後の最初のに重なることが多く、地元では「山の息が強くなる日」と説明されている。
準備は例年2か月前から始まり、内の7集落が輪番で奉納具を作成する。特に本祭当日の正午に始まる「火渡り点検」は、長さ12メートルの木板の上を神職が裸足で渡るもので、板の乾燥温度が31度を超えると開始が15分遅れるという細かな決まりがある。これはとの兼ね合いで定められたとされるが、実際には社務所の古い砂時計が30分しか測れないためともいわれている。
各種行事[編集]
大火綱渡御[編集]
祭りの中心行事であり、氏子32人が交代で巨大な松明「大火綱」を担いで、から山裾の御旅所まで約1.9キロメートルを練り歩く。火綱の先端には鉄製の鈴が7つ付けられ、鳴り方によって翌年の天候を占うとされる。鈴が4回連続で高く鳴る年は、蕎麦の出来が良いと伝えられている[4]。
仮山車倒し[編集]
高さ4.8メートルの仮山車を急坂で方向転換させる行事で、見物客に最も緊張を与える場面とされる。山車がわずかに傾くたび、周囲の子どもたちが「まだ神さまは怒っていない」と囃すのが慣例である。なお、1987年には山車が予定より38センチ傾いたため、翌年の米の収量が増えたと主張する住民が現れ、の民俗班が調査したが結論は出なかった。
火伏せ踊り[編集]
夜間にを中心として踊られる鎮火の舞で、手にした紙灯籠を上下逆に持つのが特徴である。これにより火の精が迷い、集落へ降りる前に山へ戻ると信じられている。振り付けは3分17秒で一巡し、最後の2拍だけ異様に早いことから、初見の観光客が足を止めることでも知られている。
供物競り[編集]
後火祭では、集落ごとに持ち寄った焼き鮭、乾燥山椒、手打ち団子などが神前で競り落とされる。最も高値が付くのは毎年ほぼ例外なく「焦げたままの栗」で、これは火難除けの符として船乗りに人気があるためである。2014年には1粒あたり2,300円まで競り上がり、翌年から領収書に「神前供物」と印字されるようになった。
地域別[編集]
遠野中心部では、祭りは神社の正式儀礼として扱われ、神職の所作や進行時刻が厳格である。これに対し地区では、山車の飾りに馬の尾毛を用いる独自の様式が守られており、近隣の集落よりも派手であることから「見栄の附馬牛」と呼ばれることがある。
地区では、火伏せ踊りの代わりに子どもたちが竹笛を吹く「風鳴り返し」が行われ、これが終わらないと夕食の味噌汁に火を入れてはならないとされる。また地区では川沿いの湿地が多いため、松明の搬送を舟で行うという珍しい方法が採られ、外部の研究者からは「日本で最も燃えにくい火祭り」と評された。
脚注[編集]
[1] 久遠神社社務所『久遠神社例大祭記録』。 [2] 渡辺精一郎「山間火祭の名称変遷に関する一考察」『民俗と火』第12巻第3号。 [3] 佐伯孝蔵『北上山地祭礼抄』遠野文化館、1934年。 [4] 石橋マリア『東北山村における鈴音信仰』Vol. 8, pp. 41-58.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯孝蔵『北上山地祭礼抄』遠野文化館, 1934年.
- ^ 渡辺精一郎「山間火祭の名称変遷に関する一考察」『民俗と火』第12巻第3号, pp. 41-58.
- ^ 石橋マリア『東北山村における鈴音信仰』Vol. 8, pp. 41-58, Tohoku Cultural Review, 1978.
- ^ Harold M. Finch, "Spectral Ropes and Pyric Dances in Northern Japan," Journal of Comparative Ritual Studies, Vol. 19, No. 2, pp. 113-139.
- ^ 久遠神社社務所『久遠神社例大祭記録』、1989年版.
- ^ 宮本千草『山の火と共同体—遠野地域の年中行事』岩手民俗出版、2007年.
- ^ 小泉丈一郎「危険性の演出と観光化」『地域文化研究』第24巻第1号, pp. 5-22.
- ^ Margaret A. Thornton, "Festival Risk as Sacred Design," East Asian Ethnography Quarterly, Vol. 7, pp. 201-219.
- ^ 遠野市教育委員会『祭礼安全管理指針』、2016年.
- ^ 高橋みどり『火綱の倫理学』岩手大学出版会、2011年.
- ^ Jean-Luc Aveline, "The 37-Meter Torch of Tono," Proceedings of Alpine Rituals, Vol. 3, No. 4, pp. 77-96.
外部リンク
- 久遠神社公式年中行事案内
- 遠野市民俗資料館デジタルアーカイブ
- 東北祭礼安全研究会
- 北上山地口承文化保存ネットワーク
- 民俗火祭り年表データベース