日本WBC誘致省
| 正式名称 | 日本WBC誘致省 |
|---|---|
| 英語名称 | Ministry of WBC Invitation Promotion of Japan |
| 設置年 | 1984年(実務組織としての前身は1978年) |
| 廃止年 | 2009年(ただし臨時局は存続) |
| 所管 | 国際招致、球場整備、対外説明、祝賀演出 |
| 本部 | 東京都千代田区霞が関三丁目 |
| 予算 | 1988年度当初予算 147億2,400万円 |
| 関連法令 | 国際球宴招致調整法、試合空気保全特別措置法 |
| 通称 | 誘致省、WBC室 |
日本WBC誘致省(にほんWBCゆうちしょう)は、国際野球大会WBCの招致、日程調整、および関連施設の“空気づくり”を所管するとされた日本の準官庁である。通称は誘致省、または省内の略称に由来するN-WIPで知られる[1]。
概要[編集]
日本WBC誘致省は、野球の国際大会WBCを日本に呼び込むため、外務折衝、球場改修、放送枠の確保、さらには「歓声の質」の標準化まで担ったとされる架空の行政組織である。設置当初は文部省の外局として扱われたが、のちに内閣官房直轄の横断組織に格上げされたという。
同省の存在は、表向きには大会誘致の合理化を目的としていたが、実際には「日本開催のWBCでは、なぜか雨が少ない」「対戦国の主力投手が空港で時差に負ける」など、半ば都市伝説めいた成果で語られることが多い。なお、2006年の大会後に発行された内部報告書では、来場者数よりも“握手回数”の方が重視されていたとされる[2]。
成立の経緯[編集]
主な政策[編集]
招致交渉[編集]
同省の中核政策は「勝つためではなく、来てもらうための野球」を作ることであった。対外交渉では、対戦カードだけでなく、試合前の国歌演奏時間を47秒以内に収めること、ベンチ裏の温度を22.8度に保つことなど、異様に細かな条件が要求された。
また、2004年には米国側の視察団に対し、東京ドーム地下に設けられた「球宴説明室」で日本式の歓迎儀礼が実演された。視察団の一人が「これは招致というより、文化輸出である」と発言した記録が残るが、その直後に用意されていたうどんの麺線の太さが論点になり、交渉は2時間延長された。
組織と人員[編集]
省内は、招致局、施設局、通訳局、儀典局、そして異例の「歓声研究班」に分かれていた。歓声研究班は、観客の拍手が2拍で終わる場合と3拍で続く場合の心理的効果を測定し、結果をA4用紙68枚にまとめたという。
歴代の事務次官としては松平健次郎、小笠原美也子、北村一樹らの名が挙げられるが、このうち北村は退任後に「試合前の国旗掲揚には、風速よりも“ため”が必要だった」と述懐している。もっとも、同省の人事記録は2007年のサーバー障害で一部が消失しており、実在性に疑義のある部署名も混じっていると指摘されている。
WBCとの関係[編集]
日本WBC誘致省は、大会そのものを運営するのではなく、開催地としての日本を「選ばせる」ことに特化していた。そのため、WBC本体の主催機関とは微妙に距離を置きつつも、実際には大会ロゴの配置や開会式の退場順まで助言していたとされる。
2006年の大会開催時には、同省の担当官が福岡Yahoo! JAPANドームで行われた事前視察に同席し、ベンチの奥行きについて「国際大会としては十分だが、弁当はやや攻めている」とコメントした記録が残る。また、2009年の解体前には、次回開催国への引継ぎ文書として『WBC招致心得・三十一箇条』が作成されたが、第14条の「敗戦国にも配慮した記念撮影の順序」が国際的に話題になった。
批判と論争[編集]
一方で、日本WBC誘致省は「野球を外交手段にしすぎている」と批判された。とりわけ1998年の予算審議では、招致成功率の算定式に“梅雨明けの速さ”が含まれていたことが野党から問題視され、答弁書が16回差し替えられたとされる。
また、球場整備の過程で周辺商店街の看板色まで統一しようとしたため、大阪市の一部で「国際大会よりも餃子屋の事情が優先されるべきだ」とする住民運動が起きた。これに対し省側は、看板色の統一は「視覚的な一体感」を目的としたものであり、政治的意図はないと説明したが、説明会の参加者の8割が途中で試合結果予想に夢中になったため、議論は深まらなかった。
評価[編集]
後年の研究では、日本WBC誘致省は「スポーツ招致を通じた国家イメージ管理の先駆け」と評価される一方、過剰に精密な運営思想が独自の官僚文化を生んだとも指摘されている。特に、試合開催のために自治体、鉄道会社、広告代理店、球場売店までを一本化した調整方式は、のちの国際博覧会関連実務にも影響したとされる。
ただし、同省の残した最大の遺産は制度そのものよりも、「野球は誘致できる」という発想である。これは一見常識的であるが、実際には霞が関の会議室で数時間をかけて発明された概念であり、今なお一部の行政史研究者のあいだで「日本型スポーツ外交の最も奇妙な成功例」として語られている。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『国際球宴の行政学』霞が関出版, 1992, pp. 41-88.
- ^ 松平健次郎「WBC招致と都市空間の再編」『体育行政研究』Vol. 14, 第2号, 2001, pp. 113-129.
- ^ 小笠原美也子『歓声の統治: 応援文化の官僚史』東洋政策社, 1998, pp. 7-54.
- ^ 北村一樹「試合前儀礼の標準化について」『国際スポーツ政策紀要』Vol. 6, 第1号, 2007, pp. 9-31.
- ^ 佐伯隆史『誘致省の誕生』千代田新書, 2010, pp. 201-240.
- ^ Margaret A. Thornton, The Bureaucracy of Baseball Invitations, East Asia Policy Press, 2005, pp. 55-102.
- ^ Harold J. Wexler, Stadium Diplomacy and the Soft Power of Crowds, Vol. 3, No. 4, 2006, pp. 77-95.
- ^ 石原紗代子「球場整備における風向調整の実務」『都市と球技』第21巻第3号, 1999, pp. 44-61.
- ^ 鈴木一成『WBC誘致省資料集 成果と空白』青嵐館, 2011, pp. 13-29.
- ^ Emma C. Bell, Notes on Cheer Regulation in Japanese Sports Administration, Journal of Synthetic Public Affairs, Vol. 9, 2008, pp. 140-167.
- ^ 中村浩二『試合空気の保全と国策』国際球宴研究所, 2004, pp. 1-19.
外部リンク
- 国際球宴資料室
- 霞が関スポーツ行政アーカイブ
- 誘致省OB会記録館
- WBC招致史研究フォーラム
- 全国歓声研究ネット