狐娘の排泄
| 名称 | 狐娘の排泄 |
|---|---|
| 別名 | 狐所作、尾絡みの作法 |
| 分野 | 民俗学、舞台芸術、擬似衛生学 |
| 起源 | 1908年ごろの京都市下京区 |
| 提唱者 | 渡会澄子、北村一成 |
| 関連機関 | 京都演芸研究会、帝都民俗衛生調査局 |
| 主な儀礼 | 三拍子排出、鈴縄締め、尾伏せ |
| 影響 | 地方祭礼、女学生演劇、観光土産 |
| 議論 | 芸能か迷信かをめぐる論争 |
| 現況 | 一部の演劇祭で再現上演が行われる |
狐娘の排泄(きつねむすめのはいせつ)は、の民俗学・・都市衛生史が交差する領域で用いられる概念で、狐耳を持つ少女像に付随する排泄所作、ならびにそれを儀礼化した演技体系を指すとされる[1]。もともとは末期ので、狐憑き研究と下層演劇の混成から生まれた用語であるとされている[2]。
概要[編集]
狐娘の排泄は、狐娘に見立てられた演者が、舞台上で排泄を暗示する一連の動作を行うことで、場の穢れを転化し、豊穣を呼ぶとされた習俗的演技である。一般には露骨な行為を指すのではなく、腰の落とし方、衣の畳み方、視線の外し方までを含む総体的な身体技法として理解される[3]。
この概念は、の寄席と、周辺の縁起物商のあいだで半ば独立に発達したとされる。なお、後年の研究では、実際には排泄行為そのものよりも「見えないものを見せる」演出原理が中心であったとの指摘がある[4]。
歴史[編集]
成立期[編集]
最初の記録は、民俗採集家のが『京阪奇習採録』の余白に記した覚書であるとされる。そこでは、祇園の小芝居において、狐面をつけた少女役が舞台袖で鈴を三度鳴らし、客席に背を向けたまま裾を払う所作が「排泄に似る」と記されている[5]。
この記述を見たは、翌に系の小欄で「狐娘排泄法」と題する短評を発表し、舞台上の所作が観客の不安を鎮める心理効果を持つと論じた。ただし、同稿は掲載後まもなく寄稿者の誤読として扱われ、一部で削除されたという[6]。
大正から昭和初期[編集]
期に入ると、の学生演劇サークルがこの所作を「尾伏せ」と改称し、より衛生的で都会的な身体訓練として再編した。とりわけにの貸座敷で行われた実演では、演者12名が白布を敷いた上で、足袋のまま四拍子で立ち上がる「無音排出」を披露し、来場者143名のうち87名が「妙に清潔であった」と感想を残したとされる[7]。
この時期にはの衛生学講座と接触した記録もあるが、実際には講座側は終始困惑していたとみられる。にもかかわらず、帝国陸軍の倉庫管理に応用できるとして、尾の長い意匠の作業着が試作されたとの証言が残っている。
戦後の再解釈[編集]
、の機関誌『舞台と民俗』において、狐娘の排泄は「未分化な感情の放流」を象徴するものとして再定義された。これにより、単なる奇習ではなく、戦後の都市生活で抑圧された身体感覚を可視化する装置として評価が上昇した[8]。
一方で、の地方文化特集では、老練な演者が「排泄とは言うが、実は息を捨てる稽古である」と述べ、番組は放映後に視聴者から17件の抗議と41件の賞賛を受けた。なお、この回の司会者は終始笑いをこらえていたという。
所作と分類[編集]
狐娘の排泄には、主として「静排」「飾排」「夜渡し排」の3系統があるとされる。静排は神前や舞台袖で行われる最も古い形式で、動作が少なく、裾の角度が7度以内であることが望ましいとされた。飾排は観光行事向けに整えられた形式で、鈴、紙花、細紐を用いるのが特徴である。
夜渡し排は戦後に誕生した派生形で、街灯の少ない路地を模した舞台装置の中で、演者が三歩進んで一歩戻る独特の歩法を用いる。これにより、観客は「出ていくのに、まだ残っている」感覚を得るとされ、心理学者のはこれを「残響的排出」と呼んだ[9]。
なお、1980年代以降は学校演劇や地域の盆踊りに取り入れられ、のある町では、毎年8月第2土曜に「尾伏せ保存会」が巡回上演を行っている。会場近くの公民館では、平均来場者数が年214人前後で推移しているが、雨天時には必ず増えるという奇妙な傾向がある。
社会的影響[編集]
この概念は、民俗学だけでなく、観光と商品開発にも影響を与えた。にはが、狐耳を模した手ぬぐい「尾伏せ布」を発売し、初年度の売上は3,480枚であったとされる。翌年には「排泄の所作を学べる」という触れ込みの体験講座が行われたが、実際にはほぼ礼法教室であり、参加者からは「何を学んだのか分からないが品が良くなった」と評された[10]。
また、にはの一部研究者が、狐娘の排泄を「沈黙を強いられた女性身体の反転表現」として解釈し、議論を呼んだ。これに対し保存会側は「学問にされた途端に難しくなる」と反論したが、結果として入門書が増え、一円で子ども向け講習が広まった。
ただし、過度の商品化を嫌う声も強く、のでは、土産店17軒が同時に「尾のついた便器」モチーフの商品を並べたことから、地元紙で「品位の境界を越えた」と批判された。この騒動は、以後の表現基準を定める契機になったとされる。
批判と論争[編集]
狐娘の排泄をめぐっては、早くから「民俗」なのか「創作」なのかが争われてきた。とくにの報告書では、起源文献の大半が後年の編集を受けており、以前の一次資料は確認できないとされた[11]。これに対し保存会は、口承文化における欠落こそが証拠であると反論し、以後議論は平行線をたどっている。
また、演者の年齢表現をめぐる問題もあった。古い資料には「少女」と書かれる一方で、実際の演者は20代後半から30代前半であることが多く、これが「狐娘」という語の印象を過度に固定化したとの批判がある。なお、にはの関連会合で、名称変更案として「狐衣身体技法」が提示されたが、参加者の大半が沈黙し、議事録では「検討継続」とだけ記された。
現在の継承[編集]
現在では、の3地域を中心に、年数回の再現上演が行われている。とりわけの海沿いの町では、潮風により衣の裾がわずかに膨らむことから、演出として非常に好まれるという。2022年時点の参加団体は14、延べ演者は96名で、最年少は11歳、最年長は78歳であった[12]。
また、上では解説動画が増え、1本あたり平均再生数は約2.7万回とされるが、コメント欄では「思ったより礼儀作法」「タイトルで身構えた」といった反応が多い。学術的には、いまなお舞台研究・身体文化論・地域振興論の境界に置かれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会澄子『京阪奇習採録 第二輯』洛陽民俗叢書, 1909.
- ^ 北村一成「狐娘排泄法の心理的効果」『演芸と衛生』第2巻第1号, 1910, pp. 14-29.
- ^ 山岸栄治『都市の穢れと舞台装置』青垣書房, 1932.
- ^ 小島瑞穂「残響的排出の概念について」『身体文化研究』Vol. 8, No. 3, 1954, pp. 201-218.
- ^ 京都演芸研究会編『舞台と民俗 1949年復刻版』京洛出版, 1967.
- ^ Harold P. Whitcombe, "Fox-Girl Purification Rites in Modern Kyoto," Journal of Comparative Folklore, Vol. 12, No. 4, 1971, pp. 88-113.
- ^ 帝都民俗衛生調査局『地方奇習における衛生観念の再編』官庁資料第41号, 1981.
- ^ 藤堂みさを『尾のついた礼法: 近代演劇における所作の政治学』北辰社, 1994.
- ^ M. E. Harrington, "Performing Excretion Without Excretion," East Asian Performance Quarterly, Vol. 6, No. 2, 2003, pp. 55-77.
- ^ 文化庁地域芸能課『令和六年度 地域身体文化報告書』, 2024.
外部リンク
- 京都演芸資料アーカイブ
- 帝都民俗衛生研究所デジタル年報
- 尾伏せ保存会公式記録室
- 地域身体文化ポータル
- 狐娘芸能ライブラリ