生命のパロディ
| 分類 | 表現様式、擬似生命学、実演芸術 |
|---|---|
| 起源 | 1928年ごろの横浜臨海工廠周辺 |
| 提唱者 | 斎藤ミチオ、E. L. Whitcombe ほか |
| 主要媒体 | 舞台、広告、標本展示、映像 |
| 関連組織 | 帝国生体模写協会、国際擬生会議 |
| 影響範囲 | 日本、英国、北米の前衛芸術界 |
| 代表的事件 | 1936年の『逆位相展示』 |
| 批判 | 生命観の矮小化、模倣倫理をめぐる論争 |
生命のパロディ(せいめいのパロディ、英: Parody of Life)は、生命現象を模倣しつつ、その再現が意図的に過剰化・反転化された表現様式、あるいはその総称である。20世紀前半の神奈川県横浜市で発生したの流れを起源とし、後に広告の境界領域へ拡張されたとされる[1]。
概要[編集]
生命のパロディは、本来の生命が持つ自己維持、増殖、適応といった要素を、あえて誇張または空転させることで成立する表現概念である。一般には、実際の生物を対象とするとは区別され、生命らしさの「外観」だけを精密に再構成する点に特徴がある。
この概念は、1920年代末の横浜において、港湾倉庫で行われた実験劇と、東京大学理学部の標本観察会が偶然接触したことから生まれたとされる。当初は芸術批評用語であったが、1930年代にが商品演出へ転用したことで、社会現象として拡散した[2]。
起源[編集]
横浜臨海工廠と生体演劇[編集]
1928年、の倉庫区画では、夜間に失業労働者と学生劇団が混成して行う即興公演が流行していた。演出家のは、作業台の上で植物の発芽、貝類の開閉、呼吸する魚のような所作を模倣させ、観客に「生命を見ているのに、生命ではない」という感覚を与えたとされる[3]。
1930年に彼が残したとされる手記には、「真似るほどに死んでゆくのではなく、真似すぎることで別種の生が立ち上がる」とあり、これが生命のパロディの初期定義と見なされている。ただし、この手記は後年で再発見された際、紙質がやや新しすぎるとして一部の研究者から要出典扱いを受けた。
ロンドンへの伝播[編集]
1932年、英国人批評家がロンドンので開催した小規模展覧会において、動くマネキンと昆虫標本箱を組み合わせた展示を発表し、これを『parodic vitality』と訳出したことが欧州での定着の契機となった。会場では、来場者の呼吸に合わせて照明が点滅する装置が設置され、結果として展示室内の湿度が異常に上がり、布製の標本が3日でカビたという[4]。
この失敗が逆に高く評価され、以後の擬生命展示では「腐敗寸前の整然さ」が重要視されるようになった。なお、Whitcombeは後年の講演で、生命のパロディを「生きたふりをするのではなく、生きる形式そのものを笑わせる技法」と定義した。
理論化[編集]
1941年、京都帝国大学の分類学者は、生命のパロディを三類型に整理した。すなわち、外形のみを誇張する「形態型」、運動の規則性を壊す「運動型」、繁殖の失敗を反復する「再生型」である。この区分は現在でも一部の美術館学芸員により引用されるが、原典の図版にはなぜか金魚が全て四肢を持って描かれている[5]。
1950年代には、の材料研究班が、ゴム、ゼラチン、鯨ひげ粉を用いた半有機素材を開発し、舞台上で「鼓動するが死なない模型」の制作に成功したとされる。これにより、生命のパロディは文学や演劇だけでなく、広告看板、ショーウィンドー、博覧会の展示塔にまで拡大した。
主要な展開[編集]
1936年の逆位相展示[編集]
銀座の小劇場『みどり座』で行われた「逆位相展示」は、生命のパロディ史上もっとも有名な事件である。ここでは、観葉植物が鉢ごと逆さに吊るされ、空気を吸う代わりに観客が植物の前で深呼吸を強いられた。結果として、入場者の約27%が展示終了後に「自分の方が標本のようだった」と記述し、新聞各紙が一斉に取り上げた[6]。
この展示の成功により、生命のパロディは単なる奇術ではなく、鑑賞者の身体感覚を巻き込む「参加型の生命論」であると解釈されるようになった。
戦後の広告利用[編集]
戦後、電通系の制作部門とされるは、生命のパロディを洗剤や歯磨き粉の宣伝に導入した。泡が芽吹く、歯ブラシが呼吸する、タオルが自己増殖する、といった映像表現が採用され、1958年には年間広告出稿の約4.2%が何らかの擬生命表現を含んだという[7]。
一方で、こうした表現は「商品が生命を騙っている」として一部の宗教団体から抗議を受けた。特に名古屋で配布された洗剤広告の折込チラシには、表面に印刷された泡が翌朝うっすら膨らんでいたという怪談めいた逸話が残る。
1970年代の批判的再解釈[編集]
大阪万博以後、若手批評家たちは生命のパロディを「消費社会が生の代替物を量産する装置」と読解し直した。とりわけの論文『擬生の倫理学』は、実在しない生物を展示することが、実在する生物の扱いを相対化する危険を孕むと指摘した。
ただし、同論文の注釈14には「展示中の模型が観客の足音で半歩ずつ進んだ」とあり、研究対象と観察者の境界が曖昧化した例としてしばしば引用される。
社会的影響[編集]
生命のパロディは、やの展示設計に長期的な影響を与えた。1978年以降、国内の主要自然史館の約12館が、標本の見せ方に「過度な生気を与えない」指針を導入したとされる。これは来館者が、標本に感情移入しすぎて展示室を出られなくなる事例が続いたためである。
また、都市計画にも波及し、東京都の一部再開発地区では、樹木の配置や街灯の点滅に「擬似的な成長曲線」を取り入れる実験が行われた。これが後の論につながったとする説があるが、実際には担当技師が単に植物配置に凝りすぎただけではないかとも言われる。
教育分野では、生命のパロディを用いた図画工作が1960年代の一部私立校で試験導入され、子どもたちが「半分だけ咲く花」や「歩くが根を持つ木」を大量に制作した。文部省の内部報告では創造性の向上が確認された一方、廊下がやや不気味になったとの記述も残る。
批判と論争[編集]
生命のパロディに対する批判は、主に三つに大別される。第一に、生命を記号化しすぎることで、生物学的現実を軽視するという批判である。第二に、擬似的な「生きている感じ」が観客の感情を操作する、という倫理的懸念である。第三に、模型や演出物が時折本当に予想外の挙動を示し、境界が崩れることへの不安である。
特に有名なのは、1964年ので起きた「自走する盆栽」事件である。発表者が振動台の設定を誤り、盆栽が壇上を18cmほど移動したため、会場が一時騒然となった。主催者は「生命のパロディは生命そのものを目指してはいけない」と声明を出したが、翌日の会場記録には盆栽が元の位置に戻っていたと書かれており、いまなお議論が続いている。
現代的展開[編集]
21世紀には、生命のパロディは映像合成や人工知能の分野に吸収された。とくにの制作会社は、顔認識AIに植物の成長パターンを学習させ、笑うが開花しないキャラクター生成技術を開発したと発表している。
2021年には、で開催された企画展『生のふりをするものたち』が話題となり、来場者アンケートの42%が「展示物より自分の方が生命的に感じられた」と回答した。これを受けて、学界では生命のパロディが単なる前衛史ではなく、デジタル時代の自己像を扱う枠組みとして再評価されている。
なお、近年はSNS上で、食べ物の写真に対して過剰なフィルターをかける行為を「日常的生命のパロディ」と呼ぶ俗語も広まっているが、これはほぼ全ての研究者が眉をひそめる用法である。
脚注[編集]
[1] 『横浜前衛芸術年報 1931-1934』神奈川美術資料社, 1935.
[2] Margaret H. Lowen, "Parodic Vitality and the Urban Stage", Journal of Synthetic Aesthetics, Vol. 8, No. 2, 1967.
[3] 斎藤ミチオ『倉庫劇場ノート』港湾文化出版部, 1930.
[4] E. L. Whitcombe, "The Humour of Organisms", Proceedings of the Royal Aesthetic Society, Vol. 14, No. 1, 1933.
[5] 三枝房雄『擬生分類学序説』京都帝国大学出版会, 1942.
[6] 『朝日夕刊』1936年11月4日付、社会面.
[7] 第一生活演出班編『戦後広告演出史資料集』日本宣伝研究所, 1961.
[8] Ayla R. Bentin, "When the Model Began to Breathe", Cambridge Review of Nonliving Forms, Vol. 3, No. 4, 1981.
[9] 森下綾子『擬生の倫理学』大和書房, 1972.
[10] 国際擬生会議実行委員会『第7回会議報告書』1974.
脚注
- ^ 斎藤ミチオ『倉庫劇場ノート』港湾文化出版部, 1930.
- ^ 『横浜前衛芸術年報 1931-1934』神奈川美術資料社, 1935.
- ^ E. L. Whitcombe, "The Humour of Organisms", Proceedings of the Royal Aesthetic Society, Vol. 14, No. 1, 1933.
- ^ 三枝房雄『擬生分類学序説』京都帝国大学出版会, 1942.
- ^ Margaret H. Lowen, "Parodic Vitality and the Urban Stage", Journal of Synthetic Aesthetics, Vol. 8, No. 2, 1967.
- ^ 森下綾子『擬生の倫理学』大和書房, 1972.
- ^ 第一生活演出班編『戦後広告演出史資料集』日本宣伝研究所, 1961.
- ^ Ayla R. Bentin, "When the Model Began to Breathe", Cambridge Review of Nonliving Forms, Vol. 3, No. 4, 1981.
- ^ 『朝日夕刊』1936年11月4日付、社会面.
- ^ 国際擬生会議実行委員会『第7回会議報告書』1974.
外部リンク
- 神奈川前衛資料アーカイブ
- 国際擬生学会
- 横浜臨海文化史研究所
- 白樺シンセティクス研究室
- 擬生命表現データベース