第六インターナショナル
| 名称 | 第六インターナショナル |
|---|---|
| 英名 | Sixth International |
| 成立 | 1968年頃(異説あり) |
| 本部 | ジュネーヴ臨時書記局、のちにプラハ国際労働資料館分室 |
| 前身 | 第五インターナショナル準備会議 |
| 目的 | 各国の革命政党・労働組合・学生連盟の調整 |
| 公用語 | フランス語、ロシア語、ドイツ語、英語 |
| 最終確認 | 1979年バルセロナ補遺 |
| 特徴 | 決議文が毎回3ページ以上の注釈付きで可決される |
第六インターナショナル(だいろくインターナショナル、英: Sixth International)は、20世紀後半のヨーロッパ左翼運動との分岐点において構想された、超国家的な政治協議体である。しばしばの試案を起源とするが、その成立経緯にはウィーン会議以後の記録が意図的に欠落しているとされる[1]。
概要[編集]
第六インターナショナルは、複数の国際左翼潮流を一つの運動体として束ねるために設計されたとされる政治概念である。一般にはから数えて六番目の後継組織と説明されるが、実際には末の学生運動、労働争議、反植民地主義の再編を受けて、各地の小規模組織が独自に名乗り始めた複合的名称であるとされる。
名称の由来については、パリの路地裏で配布された機関紙『Le Sixième Accord』に由来するという説、あるいはの印刷工組合が誤って「第六」と組版したことから定着したという説がある。いずれも確証は乏しいが、後年の研究では、名称そのものが「第六の時代の到来」を象徴する政治的標語として機能していた可能性が高いと指摘されている[2]。
成立までの経緯[編集]
前史[編集]
第六インターナショナルの前史は、のチューリッヒ非公開会合にまでさかのぼるとされる。ここでの亡命理論家、の周辺にいた通訳、およびロンドンの港湾労組連絡員が、戦後ヨーロッパにおける「第六の連携原理」について覚書を交換したという記録が残る。ただし、当該覚書は炭酸紙の複写が3枚しか見つかっておらず、うち1枚はパンくずの痕跡で判読不能である。
の動乱以後、この覚書は学生サークルや亡命者団体の間で半ば伝説化した。とりわけ大学の地下出版グループは、「第五までのインターナショナルは国家に回収された」とする短い宣言を配布し、以後「第六」を名乗る政治集団が西欧各地に断続的に現れることになった。
創設会議[編集]
公式の創設会議は11月、ウィーンの旧商工会議所別館で開かれたとされる。参加者は48名と記録されているが、実際には記者、翻訳者、食堂係、迷い込んだ観光客が含まれていた可能性が高い。会議では、、、の三原則が採択され、さらに「各加盟組織は、年2回以上、必ず同じ結論に異なる表現を与えること」という奇妙な運営規定が導入された。
この会議の最大の論点は、本部をに置くかジュネーヴに置くかであったが、最終的には「会議ごとに仮本部を移す」という妥協案が採用された。その結果、書記局はパリ、文書庫は、会計はの銀行貸金庫に分散され、後年の研究者を長年困惑させることになった。
組織化と拡大[編集]
代前半には、の若手、の学生団体、の労働教育協会が緩やかに参加し、最大で14か国31団体が「準加盟」とされた。もっとも、準加盟の基準は曖昧で、会費を払った組織だけでなく、議事録に赤字修正を入れた読者会まで含まれていた。
第六インターナショナルの特徴は、組織拡大よりも決議文の増殖にあった。1972年の大会では、全18議案のうち12議案が「原則的に支持するが、注釈を付す」という形で可決され、最終議事録は本文より注釈のほうが長くなった。これが後に「注釈主義」と呼ばれる独自の政治文化である。
組織構造[編集]
第六インターナショナルは、表向きは中央集権を嫌う草の根連合体であったが、実際には書記局、調停委員会、翻訳審査部、そして「記憶保存班」という四層構造を持っていた。特に記憶保存班は、会議で蒸し返された過去の決議を索引化する役目を担い、1974年時点で索引カードが9,200枚を超えたとされる。
幹部としては、、、の3名がしばしば挙げられるが、彼らの役職名は資料ごとに異なり、「首席調整官」「過渡期書記」「仮代表」など、いずれも正式名称とは言いがたい。とりわけラヴォーは、演説を始めるたびに必ず前回の議論を10分で要約し、その後20分かけて自分で修正していたため、参加者から半ば敬意を込めて「手続きの霧」と呼ばれていた。
思想と活動[編集]
理論的特徴[編集]
第六インターナショナルの理論は、マルクス主義、自治主義、反官僚主義、そして文書行政の精密さを奇妙に混合したものであった。彼らは国家権力の集中を批判しつつ、加盟申請書だけは用紙13枚、添付書類7点、署名欄4段階を求めたため、外部からは「反国家なのに紙が多い」と揶揄された。
また、同組織は「革命の成功率は翻訳精度に比例する」とする独自理論を提唱し、、、の三言語対訳表を作成した。後年の研究者は、この対訳表が運動の国際化に寄与した一方で、最も多くの離脱者を生んだ原因でもあると分析している。
街頭活動と文化運動[編集]
実地活動としては、ベルリン、、などで労働者集会や大学講堂を使った公開討論が行われた。特に有名なのはの港湾スト支援集会で、主催者が誤って拡声器ではなくテープレコーダーを接続したため、2時間にわたり前日の会議録が港全体に流れ続けた事件である。
文化面では、ポスター芸術と合唱曲が重視された。『六月の第六』と題する行進歌はの地下印刷所で1,400部だけ刷られたが、歌詞に「第六の朝は遅れて来る」とあるため、後に待機主義の象徴として批判も受けた。
国際機関との関係[編集]
第六インターナショナルはやとの接触を試みたが、正式な承認は得られなかった。一方での周辺会議に複数回出席したとされ、1976年のパリ文化政策会合では、議長席の名札に誤って「Sixth Internal」と印刷されたことが話題になった。
この誤植は以後の機関紙で半ば公式名称として引用され、内部では「インターナショナル」より「インターナル」のほうが実態に近いという自嘲が広まった。なお、この表記揺れが後年の資料検索を著しく困難にしたことは、研究史上しばしば言及される。
衰退と解体[編集]
1977年以降、第六インターナショナルは、東欧諸国の統制強化、欧州左翼内部の路線対立、そして書記局費の慢性的不足により急速に縮小した。特にの総会では、会場に到着した代表数が議案数を下回り、採決が「出席した者のみ賛成」という形式になったことから、組織としての求心力はほぼ失われた。
最終的な解体時期はとする説が多いが、実際には1981年まで「連絡調整だけは継続していた」とする異説もある。最後の公文書とされる『バルセロナ補遺』では、組織の停止ではなく「将来の第七への資産移管」が宣言されたが、当該資産の大半は未使用切手とタイプライターの修理見積書であった。
社会的影響[編集]
第六インターナショナルの直接的な政治成果は限定的であったが、欧州の学生運動、労働教育、そして翻訳付き討議文化に大きな影響を与えたとされる。特にオーストリアやでは、複数言語で議事を記録する慣行がこの運動を契機に広まったという。
また、同組織が好んだ「仮本部制」は、のちにNGOや国際シンクタンクの巡回会議モデルに模倣された。もっとも、これを第六インターナショナルの功績とみなすか、単に会議好きの欧州左翼の副産物とみなすかについては意見が分かれる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、その理念の曖昧さと文書主義の過剰にあった。支持者は「多様な潮流をまとめるための慎重さ」と説明したが、反対派は「決議のたびに注釈が増え、誰も最後の行まで読まない」と指摘した。実際、1975年の地区集会では、議案本文の冒頭だけで拍手が起こり、結論が読まれる頃には会場の3分の1が退出していた。
また、幹部選出の透明性をめぐる批判も根強い。会計報告には「寄付金 12,480フラン、雑費 12,479フラン、残額 1フラン」と記されていたが、雑費の内訳に紅茶、切手、会議室の花瓶、そして「理念維持費」が含まれていたため、外部監査で強い疑義が出されたとされる。なお、この「理念維持費」の正式な説明は現在も見つかっていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Maurice Lavaux『Procès-verbal de la Sixième Internationale』Éditions de la Rotonde, 1973.
- ^ イリーナ・クズネツォワ「第六インターナショナルと翻訳政治」『国際運動史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1982.
- ^ Hans Altmann, "Notes on the Sixth International Secretariat" in Journal of European Labor Movements, Vol. 8, No. 1, pp. 3-29, 1976.
- ^ 佐伯清一『ヨーロッパ左翼と仮本部制』未来社, 1991.
- ^ Claire Dubois『Les archives manquantes de Vienne』Presses de Genève, 1988.
- ^ J. M. Caldwell, "The Annotated Revolution: Paperwork and Power in the Sixth International" Political Quarterly Review, Vol. 21, No. 4, pp. 201-238, 1980.
- ^ ナディア・ペトロワ「バルセロナ補遺の成立経緯」『東欧政治文書学』第4巻第2号, pp. 88-109, 1995.
- ^ Erik Lund, "Internationalism without Internationals" Scandinavian Studies in Politics, Vol. 15, No. 2, pp. 55-83, 1979.
- ^ 上條美佐子『注釈主義の時代――第六インターナショナル小史』青灯社, 2004.
- ^ Pierre Lemoine『Sixième Interne et autres fautes de frappe』Institut d’Histoire Apocryphe, 2001.
外部リンク
- 国際労働文書館
- ウィーン社会運動アーカイブ
- 第六インターナショナル研究会
- 欧州左翼史デジタル年表
- バルセロナ補遺資料集