糞喰漢
| 名称 | 糞喰漢 |
|---|---|
| 読み | くそくいかん |
| 別名 | 排食漢、粕断ち男 |
| 成立 | 1847年頃 |
| 流行地域 | 京都・大阪・滋賀の旧街道筋 |
| 分類 | 民俗語彙、擬似食習俗 |
| 主な記録者 | 山根忠右衛門、エレイン・M・ポートランド |
| 関連施設 | 京都府立衛生資料館、旧伏見検番記録室 |
| 影響 | 衛生啓発、戯作、地域差別表現 |
糞喰漢(くそくいかん)は、江戸時代末期から明治初期にかけて京都の都市下層で成立したとされる、極端な偏食志向を持つ男性像、またはその気質を指す語である。後年には民俗学、食文化史、さらには都市衛生史の周縁で言及されるようになった[1]。
概要[編集]
糞喰漢は、もともと天保年間の京都で、食べ物の好き嫌いが極端に強い者を揶揄した隠語であるとされる。語義は直截であるが、実際には「何でも口にする」人物ではなく、発酵臭の強い漬物、糠味噌の上澄み、冷えた残飯粥など、通常の食卓で忌避されやすいものを好んだ男たちを指したという説が有力である[2]。
起源[編集]
この概念の成立は、1847年冬の鴨川沿いで起きたとされる町内の騒動に求められることが多い。ある桶屋が、長雨で腐敗した大根葉の漬け汁を「薬味」と称して振る舞い、これを常飲していた手代が数日後に異様な精力を見せたため、周囲が半ば恐れ、半ば面白がって呼び始めたのが始まりとされる[4]。
民俗学的解釈[編集]
大正期以降、糞喰漢は単なる下品な罵倒語ではなく、都市の飢餓経験と味覚の転倒を象徴する民俗語彙として扱われるようになった。東京帝国大学の研究者・川瀬辰之助は、これを「消費の反倫理」と呼び、食べ残しを避ける美徳が逆説的に過剰化したものだと論じている[6]。
一方で、滋賀の琵琶湖沿岸では、冬場に塩分を過度に含んだ保存食を好む老人を敬意を込めて「糞喰漢の翁」と呼ぶ地域があり、評価語と侮蔑語が同居する珍しい語として知られる。現在でも民俗採集の現場では、発言者の笑い方だけで意味が反転することがあるため、記録者の注釈が長くなりやすい。
社会的影響[編集]
糞喰漢の流行は、外食産業よりもむしろ家庭内の献立に微妙な影響を与えたとされる。たとえば昭和初期の大阪では、安価な惣菜を売る店が「糞喰漢御用達」を看板に掲げ、1日平均47人の常連客を得たという記録がある。なお、当時の帳簿には「味は評判、見た目は不可」との店主の手書きメモが残っている[7]。
文学への波及[編集]
谷崎潤一郎風の耽美を模した戯作では、糞喰漢は「逆向きの美食家」として描かれ、かえって上流階級の嗜好実験と結びついた。芥川賞の選考会で、ある候補作に「糞喰漢的味覚の精緻さ」という評が付いたことがあるが、選考委員の1人が意味を取り違えたまま絶賛していたと伝えられる。
地域振興との結びつき[編集]
滋賀県の一部自治体では、1980年代に「発酵と異食の里」構想が掲げられ、糞喰漢を町おこしの象徴として採用した。年間来訪者数は最大で8万4,300人に達したが、うち2割は単なる物見遊山で、残りの一部は資料館の展示より先に近隣の定食屋へ向かったという。
批判と論争[編集]
糞喰漢をめぐっては、当初から「風俗史の一類型にすぎない」とする穏健派と、「特定地域を汚物と結びつける侮蔑である」とする批判派が対立してきた。とくに1991年の京都市教育委員会資料では、当該語の扱いを誤った中学校副教材が回収され、回収率は98.6%であったが、2冊だけ校長室の押し入れに残っていたという。
研究者間の対立[編集]
国立歴史民俗博物館の調査班は、糞喰漢を「過剰な節約志向の逸脱」とみる一方、民俗芸能研究会は「祭礼前の断食儀礼の残滓」とする説を提示した。両者は奈良で行われた公開討論会で互いの発表資料を一部取り違え、結果として議論の半分が同じ図表を別解釈で読み上げる形になった。
テレビ放送での扱い[編集]
NHKの生活史番組では、当初「異食文化」として紹介される予定だったが、収録中に出演者が語源の説明で笑いをこらえきれず、放送では字幕が一部差し替えられた。なお、視聴者からは「真面目に聞くほど笑える」との意見が多く、翌週の再放送は通常比で1.7倍の視聴率を記録したとされる。
脚注[編集]
[1] 読みの異同については後掲資料を参照。
[2] 山根忠右衛門『洛中異食聞書』洛陽社、1890年、pp. 41-44。
[3] 伏見酒造同業組合『古記録抄』第3巻第2号、1878年、pp. 9-10。
[4] 北村清三『鴨川怪異食談』山城出版、1912年、pp. 112-118。
[5] 山根忠右衛門『洛中異食聞書』洛陽社、1890年、pp. 57-60。
[6] 川瀬辰之助「消費の反倫理としての異食」『民俗と都市』Vol. 8, No. 3, 1932年、pp. 201-219。
[7] 大阪食糧史編纂会『昭和初期の惣菜商い台帳』大阪資料社、1974年、pp. 88-91。
脚注
- ^ 山根忠右衛門『洛中異食聞書』洛陽社, 1890年.
- ^ 北村清三『鴨川怪異食談』山城出版, 1912年.
- ^ 川瀬辰之助「消費の反倫理としての異食」『民俗と都市』Vol. 8, No. 3, 1932年, pp. 201-219.
- ^ エレイン・M・ポートランド「Kusokui-kan and Urban Appetite Reversal」『Journal of East Asian Folklore』Vol. 14, No. 2, 1968年, pp. 77-103.
- ^ 伏見酒造同業組合『古記録抄』第3巻第2号, 1878年.
- ^ 大橋春彦『衛生と笑いの近代史』東京衛生社, 1956年.
- ^ Margaret L. Sloane, The Taste of Refusal: Food and Ridicule in Meiji Cities, Cambridge Hollow Press, 1984.
- ^ 京都府立衛生資料館編『食前手洗い心得とその周辺』京都資料研究会, 2001年.
- ^ 笠原伊知郎『異食の民俗学』三文堂, 1999年.
- ^ Jean-Pierre Valmont, Les Mangeurs de Rien: Notes sur une fantaisie urbaine, Éditions du Pont, 1977年.
- ^ 国立歴史民俗博物館編『都市下層の味覚と逸脱』第11巻第1号, 2015年.
- ^ 高瀬文雄『糞喰漢の社会史』近代風俗研究所, 2007年.
外部リンク
- 京都府立衛生資料館デジタルアーカイブ
- 国立歴史民俗博物館 生活史コレクション
- 民俗語彙統合データベース
- 東西異食文化研究会
- 伏見旧記録閲覧室