花墓守の住右衛門奇譚
| 成立時期 | 期の語りが核とされ、後に編集された |
|---|---|
| 中心人物 | 住右衛門(すけもん/村役人ではなく墓守の家系とされる) |
| 主な舞台 | 江戸近郊の寺社と、花卉栽培の盛んな郊外 |
| ジャンル | 怪異譚・墓守芸談・民間伝承の連作 |
| 伝承媒体 | 口承、寄席の語り、後世の版本 |
| 代表的モチーフ | 花・香・墓石の墨書・供花の手順 |
| 関連用語 | 花墓守、墨留め、香帳、花供料 |
花墓守の住右衛門奇譚(はなはかもりのすけもんきたん)は、江戸時代末期に語り継がれたとされる芸談の群像である。個々の話は短い怪異譚として伝承されたが、のちに出版文化の都合で一つの連作として整理されたとされる[1]。
概要[編集]
花墓守の住右衛門奇譚は、花を介して墓を守る「墓守芸」の作法と、作法が破られたときに生じる怪異を描くとされる奇譚群である。いずれも一定の型があるとされ、供花の段取り、香の配合、墓石の墨書の更新など、実務に近い描写を伴う点が特徴とされている[1]。
成立経緯については、口承の墓守が寄席の語りへと転用され、その後に編集者が「住右衛門」という名で一本化した、という筋書きが語られてきた。ただし、筆写の伝本が複数確認されることから、一つの作者が確定できない点がしばしば指摘される。特に第3話群の差異は、方言の違いよりも「花の品種名の多寡」で分かるとされる[2]。
成立と編集の経緯[編集]
「住右衛門」という名の作られ方[編集]
住右衛門という固有名は、実在の個人ではなく「墓守の職能を象徴する呼称」として定着したとする説がある。江戸の寺社支配において、墓地の管理はしばしば複数の下請けに分割され、記録上は苗字不明の作業者が混在した。そのため、編集の際に“読者が追える軸”として最も目立った家系の呼び名が採用された、という[3]。
一方で、寄席台本の書式に合わせるため、各話の冒頭に必ず「住右衛門が一歩目でしゃがむ」といった定型が付け加えられたとの見方も有力である。ある研究者は、語りの所作が「右膝の角度」で測れるほど規格化されたと述べ、角度は“九十七度三分”と記録されているとするが、この数値の出所は明らかでない[4]。
版本整理と花卉市場の影[編集]
奇譚の連作化は、花卉の売買が寺社周辺で盛んになった時期と同調したとされる。特に浅草の市場で、供花の需要が増えた年に限って「花墓守」という呼びが増加したと、当時の商い帳が引用されることが多い。帳簿上の増加率は「前年比%」とされるが、端数処理の癖から写し手の誇張も疑われている[5]。
また、編集者は寺の格式を崩さないため、怪異の原因を“呪い”ではなく“手順違反”として説明する構成を採用した。ここで重要なのが、墨書の更新である。墓石のを擦ってはならず、筆を濡らす水は「竹の節を一つ挟んだ井戸水」とされる。細部の細部が“それっぽさ”を作り、読者の納得を得る仕掛けになったと考えられている[6]。
奇譚の内容(主要エピソード)[編集]
以下では、花墓守の住右衛門奇譚のうち、後世の整理で「代表話」として扱われたものを挙げる。各話は短いが、手順と数字がやけに具体的である点が共通している。
話の構造は概ね「依頼→手順→破綻→回収」の順で進むとされ、住右衛門は“犯人探し”よりも“再調整”を優先する。なお、同一話でも伝本により「花の色」が変わることがあり、これは編集段階で市場の人気に合わせた可能性があるとされる[7]。
一覧:墓守手順の逸話としての配列[編集]
この連作が「墓守芸談」として読まれるようになったのは、物語が結果ではなく工程を中心に配置されたためである。以下は、工程に着目したときに読者が“なるほど”と感じやすい順序に再編集した一覧である。
- 『香帳の八行』(天保写し系)- 住右衛門は香を一度に焚かず、八行ぶんずつ“息継ぎ”をさせるとされる。破った者は咳ではなく、鼻の奥が「三日だけ冷える」と描写される[8]。なお、八行の内訳は「材料五・点火二・沈黙一」とされるが、数え方が不自然だとして注記が付いた伝本もある。 - 『墨留めは七度』(文政系)- 墓石の墨書は七度“押し直し”が必要とされる。七度目の線が細いほど成功で、太いほど「守りの熱が伝播した」と言う。住右衛門が押し直しのたびに息を吸う間隔は「四秒四拍」であると記録されるが、現代の読者にはほぼ計測不可能な数字とされ笑われる[9]。
- 『紅の彼岸花は二種混ぜ』(弘化写し系)- 供花は一種類ではなく二種を混ぜるとされ、住右衛門は瓶の底で「花びらが同じ方向を向くまで待つ」。これにより、墓前での祈りが“喧嘩にならない”と説明される。商人が真似た結果、翌年で花代が暴騰したという逸話が附される[10]。 - 『白侘助の香は門前へ直行』(安政系)- 白侘助を使う場合、門前の通行人の足音を数えてから運ぶ決まりが語られる。住右衛門は足音を回聞くと即座に供花し、その日の悪夢を“受付で止める”とされた。受付という言い回しが行政らしく、後世の編集者が寄せた痕跡とも言われる[11]。
- 『布巾の縫い目は九つ』(天保末)- 墓石拭きの布巾の縫い目は九つでなければならないとされる。縫い目が八つだと“石が怒る”、十だと“石が笑う”といった擬音が添えられるが、実務としては裁縫の品質管理の話に見えるという指摘がある[12]。 - 『位牌は逆さに置くな』(嘉永系)- 位牌を逆さに置くと、故人が迷子になるとされる。住右衛門は逆さに置かれた位牌を戻す代わりに、周囲の花を一度だけ抜いて入れ替えるという奇妙な救済法を用いるとされる[13]。この話だけ、怪異よりも作業効率の高さが強調される。
- 『竹節を一つ挟んだ井戸水』(文久写し系)- 水はそのままではなく、竹の節を一つ挟むと“気配が丸くなる”。住右衛門の家では竹が常備されており、近所の子どもが夜に持ち出して遊ぶと、翌朝に墓石の文字が増える、とされた。増えた文字は読めないが、読めないからこそ正しいと説明される[14]。 - 『浅瀬の風を借りる』(明治初写し)- 古い墓地は風通しが悪く、浅瀬の風を借りる必要があるとされる。住右衛門は川沿いで風の向きを“合図”で測り、墓前に吹かせたと語られる。合図は笛三吹き、拍手一回とされるが、笛がどの寺の行事に由来するかが分からないとして議論された[15]。
- 『禁忌の三番目の線香』(安政写し系)- 線香は三番目だけ禁忌で、三番目を誤ると“翌日まで落ち着きを失う”。この話では罰が精神のみに限定され、物が壊れない点が不気味と評される[16]。 - 『墓石のひびは花で塞ぐ』(慶応写し系)- ひび割れには土ではなく花を押し込むとされる。住右衛門は花を押し込んだ後に、ひびの向きを確かめるため“目を細める”。この手つきが後に写実画のモチーフになったとされるが、史料の裏取りはない[17]。 - 『夜番の鐘は二十七打』(明治中写し)- 夜番の鐘は二十七打が適正とされる。十八打では不足、三十二打では“供花が返ってくる”。返ってくる花は翌朝に玄関へ積まれている、という描写があり、生活感が強いとして好まれた[18]。
- 『住右衛門の白紙の誓い』(追加巻・大正初)- 最後の話として扱われることの多いもので、住右衛門が白紙に触れてから墓へ行くと、手順の記憶が戻るとされる。白紙の誓いは「読み返さない契約」とも説明され、迷信と宗教の境界が曖昧になるよう設計されたと推測される[19]。 - 『花供料は銀二十四匁』(不定伝本)- 花供料は銀二十四匁とされるが、別伝本では銀二十六匁とされる。この差が「花の高騰」か「写しの気前」かで解釈が割れている。いずれにせよ、支払いが“現金ではなく花の約束”として記されるため、商取引の延長に怪異を混ぜる編集方針が見える[20]。
批判と論争[編集]
花墓守の住右衛門奇譚は民間伝承としての面白さが評価される一方、工程の細密さが“実務文書の翻訳”のように見える点が批判されている。特に「竹節を一つ挟んだ井戸水」や「白紙の誓い」のように、儀礼がほぼ手順書化されているため、後世の編集者が寺社の管理ノートを混入させたのではないか、という疑義が提示された[21]。
また、住右衛門の権威が過剰に上がる構成に対して、寺の下請けを単純化しているとする指摘もある。住右衛門以外の墓守が完全に消えてしまうため、実際には複数の職能が連携して墓地を運営していた可能性があるとされる。さらに、ある研究では「銀二十四匁」なる数字が同時代の花市場の相場表に偶然一致すると主張され、偶然か編集かが論点になった[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『花墓守と江戸の香儀礼』東雲書房, 1987.
- ^ Marlowe A. Thornton『Performing the Grave: Edo-Era Narrative Trades』University of Kyoto Press, 2004.
- ^ 鈴木幾太郎『墓石の墨留め技法と伝承』文庫工房, 1991.
- ^ 高橋佐和『寺社周縁の花市場統計(架空資料集)』思文堂, 1976.
- ^ Rachel K. Ivers『Urban Folklore and Editing: The “Sukeemon” Index』Vol. 12, No. 3『Journal of Pseudo-History』, 2012.
- ^ 伊達泰治『住右衛門伝本の系統整理』法政学芸叢書, 2009.
- ^ Claus van der Meer『Scent, Ledger, and Step Counts in Early Modern Japan』Vol. 5『Comparative Rural Archives』, 2018.
- ^ 田中むつみ『浅草の供花帳:写本の筆圧まで読む』日本文芸学会, 2021.
- ^ 黒田八兵衛『竹節の井戸水と儀礼の丸さ』第3巻第2号『民俗技術研究』, 1969.
- ^ 編集部『江戸奇譚総覧(誤植改訂版)』岩波書店, 1973.
外部リンク
- 花墓守資料館(仮想)
- 江戸香儀礼データベース(架空)
- 住右衛門伝本の比較(非公式)
- 花供料相場の復元プロジェクト(夢)
- 墨留め作法講座(掲示板)