計画破棄、創設予定していたプロ野球チーム一覧
| 対象 | 創設予定だったが実現しなかったプロ野球チーム |
|---|---|
| 成立 | 1950年代後半の球団再編期に原型が形成されたとされる |
| 主な地域 | 北海道、関東、中部、近畿、九州 |
| 掲載基準 | 報道発表、企業メモ、リーグ審査資料に名前が残るもの |
| 分類 | 地域振興型、企業広告型、都市計画連動型、幻の独立リーグ構想 |
| 代表的資料 | 球団設立準備室議事録、地元紙の社告、監督候補の回想録 |
| 通称 | 幻の球団名簿 |
| 編集上の注意 | 地域名のみで実体が曖昧な案件も含む |
計画破棄、創設予定していたプロ野球チーム一覧(けいかくはき、そうせつよていしていたぷろやきゅうチームいちらん)は、日本のプロ野球史において、設立準備が進められながら最終的に破棄された球団構想を整理した一覧である。球団名が先に新聞紙面へ踊り、後から資金と球場と熱意が消えていく現象を扱うことで知られている[1]。
概要[編集]
この一覧は、の前身とされる調整会議、地元自治体、広告代理店、および資本参加を検討した企業群のあいだで、実際に「創設予定」として扱われた球団構想をまとめたものである。成立直前で撤回されたものから、愛称募集まで進んだが球団旗が一度も作られなかったものまで幅が広い。
もっとも、この種の構想は会議のたびに名称が変わるため、同じ球団が年をまたいで三度掲載されることもある。編集史の上では、1958年に『未成立球団年鑑』が刊行され、その索引をもとに後年の研究者であるが「計画破棄球団」という概念を定義したとされる[2]。
成立の経緯[編集]
球団乱立期の空白[編集]
後半、との拡張観測が相次ぎ、地方新聞は「来季加入か」といった見出しを競うようになった。とくに大阪市とでは、球場建設計画と球団誘致が同じ議場で語られることが多く、結果として球団の可否が都市計画の延長として扱われた。
この時期の特徴は、発表が先行し、実務が後から追いつかないことである。ある調査では、球団名の公表から正式申請までの平均日数は23日、申請から破棄決定までの平均日数は41日であったとされるが、これには年末の記者懇談会での口約束が多く含まれるため、統計の信頼性には疑問もある[3]。
破棄の三大理由[編集]
破棄理由は大きく三つに分類される。第一に資金不足であり、第二に球場問題、第三に経営陣の誰かが「本気でやると大変だ」と気づくことである。なお第三の理由は議事録上は常に婉曲表現で記され、「再検討の余地が生じた」などと書かれる。
東京のある準備会では、球団名・ロゴ・応援歌まで内定していたにもかかわらず、親会社の決裁が通らず解散した例がある。内部文書には「チームカラーは深緑、ただしユニフォームの発注は未定」とあり、色だけが独り歩きした珍しい案件として知られる[4]。
一覧[編集]
1950年代[編集]
(1956年)- 愛知県内の中堅製造業5社が出資を申し出たが、球場候補地が農地転用で難航し、最終的に「城の名を使うのは縁起が重い」との社内意見で白紙化された。後年、企画書の表紙だけが古書店で高値取引された。
(1957年)- 札幌市を本拠とする想定で進められたが、冬季の練習日程をめぐって「雪上キャンプ」の案が出され、記者会見で笑いが起きたことが破棄の決定打になったとされる。
(1958年)- 横浜市と川崎市の共同構想として浮上した。広報誌ではすでにマスコットのイラストまで掲載されたが、二都市のどちらが本拠地表記を先に載せるかで揉め、結果として両市とも撤退した。
1960年代[編集]
(1961年)- 企業広告と観光振興を兼ねた球団案で、の潮風を意識した青銀のユニフォームが検討された。だが球団名が既存チームと紛らわしいとして、新聞社が掲載を渋ったため自然消滅した。
(1963年)- 広島市の復興象徴として構想されたが、橋梁工事の延期で球場アクセス案が成立せず、監督候補であったも「鉄道より先に夢だけでは走れない」と語ったとされる。
(1964年)- 日本海側初の本格的球団をうたったが、寒冷地仕様のボール保管庫に予算が吸われた。試合数より除雪費が多いという試算が出て、最終報告書は途中で鉛筆書きに変わっている。
1970年代[編集]
(1971年)- 港湾都市のイメージを前面に出した球団で、船員向けのナイター割引まで検討された。ところが港湾労組の広報担当が「野球は歓迎だが球団歌が長い」と難色を示し、協議は停止した。
(1974年)- の柑橘輸送網を背景にした企業連合案である。プロモーション用の缶ジュースが3万2,000本作られたが、発売前に球団の見送りが決定し、飲料だけが地元祭りで配布された。
(1978年)- 重工業都市の威勢を象徴する名称として候補に挙がったが、ファンレターの宛先が「球団事務所予定地」となっており、実際の郵便受けが存在しなかったことが判明して破棄された。
1980年代以降[編集]
(1982年)- 東北初の都市型球団を目指し、仙台市役所内に準備室が置かれた。だが正式ロゴの星が六角形か五角形かで会議が紛糾し、最終的に「星形の権利関係が複雑」とされて撤回された。
(1985年)- 旧球団名の再利用に見えたが、実態は観光キャンペーンの一部であった。応募ハガキが12万通集まったため話題になったものの、企画担当者が異動し、後任が「継続資料を見つけられない」と報告した。
(1990年)- 南九州の拠点化を目指した構想で、球場予定地に火山灰対策の特別芝が導入される予定だった。試験栽培は成功したが、スポンサー一覧に同名の天文誌が混在していたため、商標整理が進まず凍結された。
(1994年)- 観光需要を見込んだ球団案で、夏季開催を基本とする特例運営が提起された。観客に日焼け止めを配ることまでは決まったが、リーグ側が「移動日が季節感に左右されすぎる」として保留し、そのまま忘却された。
代表的な破棄事例[編集]
もっとも有名なのはとである。前者は都市間競争の象徴として語られ、後者は役所文書の端に残った「星印の配置要再考」が半ば伝説化した。
また、は実体が薄いにもかかわらず資料が多く、パンフレット、名刺、未使用の入場券が完全な形で残っている点で研究対象となっている。逆には資料が少なく、地元ラジオの録音テープに「球団をやるらしい」という談話が一度だけ残るのみである。
この分野では、破棄の経緯よりも「どこまで進んだか」が重要視される。愛称公募の応募数が1,000件を超えれば準備は本格化したとみなされ、1万件を超えると後世の研究者が「半成立」と呼ぶ傾向があるが、明確な基準は定まっていない[5]。
社会的影響[編集]
計画破棄された球団は、実際には試合を行わなかったにもかかわらず、地方紙の号外、応援歌のデモテープ、商店街の横断幕などを通じて地域の期待を可視化した。とりわけ名古屋とでは、幻の球団を契機に球場周辺道路の改良が進み、結果として別目的の再開発に転用された例がある。
一方で、企業側からは「球団名だけが独り歩きする」ことへの警戒も生まれた。1980年代には、準備室を設置しただけで地元金融機関から融資条件が変わる事態があり、経済誌はこれを「期待先行型地域ブーム」と呼んだ。なお、最も影響が大きかったのは印刷業界で、未使用のポスターが倉庫を圧迫したことが複数の回顧録に記されている[6]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、構想を公表した企業や自治体が、実現可能性よりも宣伝効果を優先したのではないかという点にある。特に後半の案件では、球場候補地の地権者への説明が後回しにされ、地元住民から「まず試合より会議が多い」と反発を受けた。
また、一覧の収録基準についても議論がある。口頭提案まで含めるべきか、記者発表まで必要かで学説が分かれており、の会報では「ユニフォーム発注の有無」を基準にすべきだとする異説が出されたが、実務上はほとんど採用されていない。
さらに、一部の案件は現在でも「破棄」ではなく「延期」であるとの主張があり、毎年オフシーズンになると復活説が流れる。をめぐっては、球団愛好家が2020年代まで復活署名を集めたが、提出先が旧住所であったため返送されたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中川清三『未成立球団年鑑』東洋スポーツ出版, 1959.
- ^ 佐伯辰夫『球団構想と都市の夢』南風書房, 1968.
- ^ Margaret A. Thornton, "Abandoned Franchises in Postwar Japanese Baseball", Journal of Sports History, Vol. 12, No. 3, pp. 201-228, 1984.
- ^ 渡辺精一郎『球団名の社会史』中央競技資料社, 1976.
- ^ K. Fujimoto, "When Names Came First: The Paper Teams of Japan", Baseball Studies Quarterly, Vol. 8, No. 1, pp. 44-67, 1992.
- ^ 『地方都市とナイター照明の政治学』西日本企画研究所, 1981.
- ^ 高瀬由紀子『幻のユニフォーム史』スポーツ文化新書, 1998.
- ^ Hiroshi Kanda, "The Economics of Teams That Never Played", International Review of Baseball Administration, Vol. 5, No. 4, pp. 310-329, 2001.
- ^ 日本プロ野球史研究会編『球団計画破棄資料集 第3巻』東京野球史料館, 2011.
- ^ 『球場より先に来た応援歌』関西新聞文化部, 1979.
- ^ 小田切一馬『プロ野球と地域振興の幻想』北斗アカデミア, 2006.
- ^ Eleanor T. Briggs, "A Very Brief History of the Almost-Clubs", Studies in Franchising, Vol. 2, No. 2, pp. 77-90, 2015.
外部リンク
- 幻球団アーカイブ
- 未成立野球研究所
- 地方紙スポーツ面デジタル庫
- 球団構想史料館
- ペーパーフランチャイズ年表