軟禁コースター
| 名称 | 軟禁コースター |
|---|---|
| 種類 | 軟禁型レール遊具兼記念施設 |
| 所在地 | 霧桟運河東岸地区 |
| 設立 | 昭和44年(1969年) |
| 高さ | 約17.6メートル |
| 構造 | 鋼鉄フレーム+旋回トンネル部(ガラスタイプ) |
| 設計者 | 霧桟都市遊戯公社 建築技師・ |
軟禁コースター(なんきんこーすたー、英: Nankin Coaster)は、にある[1]。
概要[編集]
現在では軟禁コースターは、来園者を「物語上の安全」に誘導する体験型の遊具施設として知られている。遊具であるにもかかわらず、館内説明では「参加者が自発的に“静止の時間”を受け入れる」ことが強調され、観光と教育の中間に位置すると整理されている。
施設は全長約640メートルの軌道を持ち、途中に4つの“控室”に相当する区画が設けられている。なお、控室は実際には待機スペースではなく、車両の速度を段階的に落とすための機構として説明されているが、命名の由来は別の文脈で語られることが多い。[2]
この施設の最大の特徴は、レールが単に曲がるのではなく、霧がかった照明の中で観客の視線が同心円状に収束するよう設計されている点にある。とくに終盤、旋回トンネル部では車両の進行方向が観客側から“戻っているように”見える錯視が採用されているとされる。
名称[編集]
軟禁コースターという名称は、当初「軟性制動コースター(なんせいせいだんこーすたー)」が口頭で省略されたものだとする説が残っている。しかし、霧桟市史編纂室の資料では、通称として「軟禁」という語が意図的に選ばれ、広報紙に先行掲載された経緯が記されている。[3]
霧桟運河東岸地区の再開発が進んだ昭和40年代初頭、地域では“沈静化キャンペーン”が話題になっていた。そこで同公社は、来園者に「待ち時間の受容」を体験させる装置として宣伝戦略を組み、名称もその象徴として設計したと推定されている。
一方で、命名に政治的含意があるとする指摘もあり、施設の説明板ではあえて「歴史的文脈とは無関係」といった柔らかな言い回しが用いられている。もっとも、実際には複数のパンフレットに“控室”の比喩が登場し、読者が文脈を想像しやすい作りになっている。
沿革/歴史[編集]
企画の誕生(交通安全と“物語の静けさ”)[編集]
は、当時多発していた観光客の転倒事故を減らすため、乗り物の動きそのものを“衝動の少ない速度曲線”に置き換える方針を掲げた。ここで参考にされたのが、港湾荷役に用いられる微速制御とされる技術であり、同社の技師・が制動ログを独自に解析したとされる。
計画段階では、車両の最高速度を時速22.4キロメートル、制動区間の平均減速度を0.36Gに設定したと記録されている。数字の細かさは広報にも流用されたが、同時期の別文書では「減速度0.34Gで試作した」ともあるため、年次で調整された可能性が指摘されている。[4]
論争と改修(“控室”の解釈が揺れた)[編集]
軟禁コースターは開業後しばらく、説明スタッフが「控室」という語を比喩として用いていたことから、解釈が観客に委ねられる状態になった。とりわけ子ども向けツアーでは“ここで心が落ち着く”という説明がなされ、大人向け資料では“参加者が自分を拘束するように感じる”という説明が混じったという証言がある。
この点について、霧桟市議会の一部では「用語が重すぎる」との指摘が出た。市は昭和47年に掲示文を改定し、控室を「やすらぎ区画」と呼び替える案も検討したが、現場では「説明の現実味が薄れる」として、最終的に名称は据え置かれたとされる。[5]
なお、改修では旋回トンネル部の窓ガラスが“曇りガラス”から“層構造フィルム”へ変更され、視線収束の錯視が強まったと報告されている。これにより、観客がより落ち着いて乗車するようになったとする評価もあるが、同時に“戻っている錯覚”が強くなったという不満も一部で見られた。
施設[編集]
に所在する軟禁コースターは、レール部と体験展示部から構成される。レール部は全周でなく、往復はせず“決められた終着”へ向かうループ設計とされる。車両は2両連結で、座席定員は合計16名、1回運行の計測では平均12.7名が乗車したとされる(天候補正を含む統計)。[6]
施設内には“速度を落とす4つの控室”が設定されていると説明されている。控室は実際には設備区画の名称であり、暗黙の待機空間ではないが、照明の点滅パターンが「入室→呼吸→静止→再出発」を模す構成とされる。
体験展示部では、軌道模型と制動ログが併置され、訪問者は「軟性制動」の概念を学ぶことができるとしている。模型は1/50スケールで製作され、旋回トンネル部の半径が7.9メートル、ガラス層の厚みが0.28ミリメートルと記されているが、これは“当時の規格表”に由来する数値であるとされる。もっとも、この数値は展示パネルでも更新履歴付きで掲載されており、解説担当者の手元資料と差異があるとも指摘される。[7]
建築的には、鋼鉄フレームが主構造となり、外装は海霧対策の塗装で仕上げられているとされる。屋上の点検通路は、幅0.8メートルで通行できる設計とされ、海風による塩害に備えて定期交換可能なボルト方式が採られたとされる。
交通アクセス[編集]
中心部からはより臨時シャトルバスが運行され、所要時間は約9分とされる。徒歩の場合は運河沿いの遊歩道を経由し、距離は約1.3キロメートル、所要は約17分と案内されている。[8]
自家用車利用では、施設に隣接する来園者駐車場が「東岸P3」として整備され、収容台数は112台(身障者用7台を含む)と記載されている。なお、開業当初は台数108台とされていたが、導線改修で4台が増えたといわれる。
臨時観覧時期(海霧祭・収穫感謝週)には、入場ゲートが3系統に分けられると説明されている。1系統目は“学習コース”、2系統目は“ゆらぎコース”、3系統目は“自由視聴コース”として運用され、混雑緩和のために乗車枠の発券が10分刻みで行われるとされる。
文化財[編集]
軟禁コースターは、施設の開設経緯と建築的特徴が評価され、の登録文化財(機械・遊具部門)として登録されている。登録年月は平成19年(2007年)とされ、当時の文書では「錯視設計を含む移動体制御の展示価値」が主な理由として記されている。[9]
建築史の文脈では、遊具と建築の境界を曖昧にした点が注目され、昭和中期の“体験型都市インフラ”の象徴として扱われている。もっとも、登録理由は美術館的側面にも寄っており、旋回トンネル部の視線収束構造が「半円筒の心理誘導装置」として言及されている。
保存の観点では、ガラス層の交換が議論になった。交換が必要になった場合でも、視線錯視の再現性を保つため、交換用フィルムが同一ロットで製造されることが求められたとされる。ここで、メーカー名が伏せられた“同等材”条項が採用され、のちに研究者から「曖昧な調達」だと指摘されたという経緯が残っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 霧桟市史編纂室『霧桟市史(東岸編)』霧桟市役所, 2005.
- ^ 矢吹 亘『軟性制動曲線の経験則:遊具設計への応用』霧桟都市遊戯公社技報, 【昭和】46年.
- ^ 山田ロジカル『体験型インフラの広報文体に関する研究』『交通宣伝研究』第12巻第3号, 1982, pp. 41-58.
- ^ 藤原ナギサ『港湾荷役制御の転用と観光安全』『機械制御史論叢』Vol.7 No.2, 1971, pp. 99-121.
- ^ 霧桟市議会『議事録(第221回)』霧桟市議会, 1973.
- ^ 【霧桟港駅】運営委員会『シャトル運行の需要推計:天候補正を含む乗車率分析』霧桟港駅運営委員会, 2016.
- ^ 佐伯ユウ『旋回トンネルにおける視線収束錯視の建築的条件』『観光建築学会誌』第34巻第1号, 2009, pp. 12-27.
- ^ Kobayashi, R. & Thornton, M.A. "Soft Braking and Narrative Seating: An Applied Illusion Study" International Journal of Leisure Engineering, Vol.3 No.4, 1999, pp. 201-219.
- ^ García, L. "Cognitive Queueing in Seated Loops" Museum Engineering Review, 第2巻第1号, 2004, pp. 5-18.
- ^ 市原ハル『登録文化財としての遊具保存』『保存技術年報』第18巻第2号, 【平成】21年, pp. 77-90.
外部リンク
- 霧桟市 文化財データベース
- 霧桟都市遊戯公社 公式アーカイブ
- 海霧祭 実施要項(旧版)
- 軟性制動ログ公開ページ
- 霧桟運河東岸地区 ガイドマップ