道草部(競馬)
| 読み | みちくさぶ(けいば) |
|---|---|
| 発生国 | 日本 |
| 発生年 | 1908年 |
| 創始者 | 和泉 朗(いずみ あきら) |
| 競技形式 | 記憶走と“寄り道ゲート”獲得競走 |
| 主要技術 | 走路地図暗記、寄り道の最短復帰 |
| オリンピック | オリンピック正式競技(妥協的枠組み) |
概要[編集]
道草部(競馬)は、競走馬の飼育競技に起源を持つとされるが、のちに人のチーム競技へ転化されたスポーツ競技である。競技者は決められた走路を走るだけでなく、途中に設置されたを“安全に”通過し、通過順と復帰最短経路を競う[1]。
競技の肝は、あらかじめ配布された走路メモに基づき、寄り道によって失う距離をどれだけ回収できるかにある。結果として道草部は、単純な速度競技ではなく、判断速度と記憶容量が観客の関心を引き、学校部活動としても定着したとされる[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
道草部の起源は、北海道大学の馬糧(ばりょう)実験施設で、和泉 朗が“運動計画の最適化”を目指したことにあるとされる。和泉は、厩舎から測定地点までの往復が直線でないことに着目し、寄り道を「ロス」ではなく「学習区間」として扱う提案書を出した[3]。
提案書には、寄り道区間を「人と馬の歩調を同期させるための“道草”」と記し、さらに寄り道ゲートの標準仕様として「門幅 1.20メートル、反射帯 32本、夜間視認距離 18.7メートル」を記載していたとされる。これらは当時の札幌の積雪事情に合わせた“机上の工学”であり、最初の公開練習では参加者の 3分の2が復帰経路を誤って記録が塗り替えられたという[4]。
国際的普及[編集]
道草部は、第二次世界大戦前後の競技人口の断続的な増減を経て、1939年に札幌市から東京府へ巡回指導が行われたことで広まったとされる。特に戦後の復興期には、学校体育の中で「走る前に地図を見る時間」を制度化する教材として採用され、寄り道ゲートの代替として黒板による“仮想ゲート”まで登場した[5]。
1954年には、の前身にあたる「道路記憶競技協議会」が発足し、海外選手向けにルール翻訳が行われた。翻訳版では「寄り道は義務、しかし回収は任意」という文言がそのまま残り、後に英語圏では Michikusa-bu として定着したとされる[6]。なお、この国際普及の過程で“寄り道ゲート通過の採点”が過度に複雑化し、審判員の訓練時間が平均 240時間を超えたとする資料が残っている[7]。
ルール[編集]
試合場は、認定走路(長さ 400〜600メートル)と、走路に接続する寄り道枝路から構成される。寄り道ゲートは枝路の入口と終端に設置され、競技者はメモカードに従い、指定ゲートのみを通過しなければならない。指定から外れたゲートを通るとペナルティとして「復帰再試行 1回」が加算される[8]。
試合時間は 1チームあたり 12分(予備 2分を含む)である。チームは 3名で構成され、先頭が主記憶者、中央が速度者、最後尾が寄り道確定者として役割を分担する。勝敗は、(1) 正規ゲートの通過順一致率、(2) 復帰経路の最短度、(3) 累積ペナルティ時間 の合算スコアで決定される[9]。
勝敗の判定が面白いのは、同点時に“道草の質”が問われる点である。具体的には、指定ゲート以外に誤って触れた物体(看板、縄、簡易柵)により起こった物音の種類が記録され、静音側のチームが次点を得るという。これはユーモアを狙ったルールとして紹介されつつ、公式記録にも実装された経緯があり、「静音性が勝利を連れてくる」と説明された[10]。
技術体系[編集]
道草部における技術体系は、単独の走力よりも“読み替え”と“復帰”に基づく。競技者は走路メモを視認してから最初の 60秒以内に寄り道枝路の接続関係を頭の中で結線し、以後は視線を最小限に抑えて走ることが推奨される[11]。
主要技術としては、(a) 、(b) 、(c) チーム内のコール&レスポンス(復帰宣言)を同時に訓練する。とくに寄り道最短復帰では、枝路ごとに“戻り角の標準誤差”が設定され、たとえば戻り角 30度の誤差許容が 2度以内と規定されることがある[12]。
技術の分類は、初学者向けに「白線覚え」「門番号読み」「枝路感覚」の3段階が用意され、上級者では“無音コース生成”が導入される。これは競技者がコース上の音響反射を利用し、夜間でも復帰経路を推定する練習であると説明されるが、実際には体育館の残響条件で成績がぶれるため、指導者の間で論争が生じたとされる[13]。
用具[編集]
用具は比較的軽量で、と呼ばれる短い帯状マーカー、記憶メモカード、審判用の通過センサーが中心である。競技者はメモカードを専用ホルダーに入れ、走りながら角度 15度以内で読み続ける訓練を行うことが推奨される[14]。
靴は滑走系ではなく、枝路内の簡易柵に引っかからないためのサイドフレア構造を持つとされる。さらに、チームごとに色分けされた“復帰宣言バンド”(視認用)が義務化された時期があり、当初は選手の好みで色を変えた結果、観客席から誤認が頻発したとされる[15]。
なお、選手が誤って触れた物体の記録に用いるため、静音計測センサーが審判側に配置される。静音計測は「皮膚接触 0.4秒以内」「金属反射音 30ミリ秒以内」など細かな閾値が設定され、ルールブックに“誰も読まないくらいの注釈”として載っていたとされる[16]。
主な大会[編集]
主な大会としては、毎年春に開催されるがあり、開幕前に必ず“寄り道地図の配布”が行われる。大会の目玉は、風向きが変わる時間帯を想定してメモカードの視認性を調整する実演である。観客には「最短復帰が正義とは限らない」という説明が添えられ、しばしば現地のガイドが“道草こそ賢さ”を口にする[17]。
夏にはがあり、海風が強い会場で静音性を競う形式が採られる。地方予選を勝ち上がったチームが 2日間で 6試合をこなすため、選手は記憶疲労対策として“逆順暗唱”(通過順を最後から読む)を行うとされる[18]。
また冬には、が開催され、積雪で枝路の見通しが悪いことを前提に、簡易の反射帯ゲートを追加する。反射帯は通常 32本だが、この大会では“36本版”が用いられた年があり、その年だけ観客席でゲート番号が読めると評判になった[19]。
競技団体[編集]
道草部を統括する組織としては、競技連盟の系譜にあるがあり、国内ではが大会運営の実務を担うとされる。特に日本寄り道体育協会は、学校部活動の指導書を年 2回改訂し、寄り道ゲートの標準寸法を更新してきた歴史がある[20]。
審判教育では、審判員が「復帰最短度」を誤差付きで記録する訓練を行い、採点の再現性を高める方針が採られている。なお、審判団の中に“静音性を過大評価している”とする声があり、採点委員会が夜間大会では補正係数を追加した経緯があるという指摘もなされている[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 和泉 朗「道草の科学—寄り道枝路の同期設計」『札幌体育工学年報』第3巻第2号, pp. 41-76(1909年).
- ^ 田中 鈴音「記憶走の採点体系と復帰最短度」『スポーツ計測研究』Vol. 18, No. 4, pp. 112-156(1958年).
- ^ Matsudaira, K. and Thornton, M. A.「Thermal Snow Gates and Quiet-Contact Scoring」『International Journal of Pedestrian Sports』Vol. 9, No. 1, pp. 1-29(1962年).
- ^ 山端 章「寄り道ゲート標準仕様の変遷(門幅1.20メートルをめぐって)」『北海道競技史研究』第7巻第1号, pp. 88-104(1974年).
- ^ Sato, H.「From Stables to Schools: The Transformation of Michikusa Competition」『Journal of Recreational Athletics』Vol. 22, pp. 201-233(1981年).
- ^ 鈴木 慶太「“静音性が勝利を連れてくる”という審判文化」『競技倫理と運営』第12巻第3号, pp. 55-93(1993年).
- ^ 国際道草記憶競技連盟「審判員訓練指針—復帰宣言バンド運用」『公式審判マニュアル』第1版, pp. 10-47(2006年).
- ^ 日本寄り道体育協会「学校部活動としての道草部—逆順暗唱の実装」『体育指導叢書』pp. 33-61(2012年).
- ^ García, L.「The Gate Number Illusion in Coastal Stadiums」『Coastal Sport Review』Vol. 6, No. 2, pp. 77-98(2017年).
- ^ Nakashima, R.「A Note on the 36-Reflector Version and Spectator Readability」『Proceedings of Snow & Sport Symposium』pp. 9-21(2020年).
外部リンク
- 国際道草記憶競技連盟公式アーカイブ
- 日本寄り道体育協会資料室
- 札幌記憶走競技会アーカイブ
- 東京港南ゲートカップ公式レポート
- 名古屋雪道草選手権記録館