鼻毛ダンス
| 別名 | 鼻毛振動舞、ノーズリズム |
|---|---|
| 起源 | 1978年ごろ |
| 発祥地 | 東京都台東区・浅草周辺 |
| 考案者 | 小松原 恒一郎ほか |
| 主な媒体 | 舞台芸術、地域祭礼、深夜バラエティ |
| 基本動作 | 吸気・微笑・頷きによる三拍子 |
| 関連団体 | 日本鼻部芸能協会 |
| 代表的大会 | 全日本鼻毛ダンス選手権 |
| 特徴 | 極小の動きに対して過剰な演出が付随する |
鼻毛ダンス(はなげダンス、英: Nose Hair Dance)は、鼻腔内の毛を振動させることで拍節を視覚化する、日本発祥の身体表現である。昭和後期の下町で生まれたとされ、のちにの周辺で「非言語民俗芸能」として半ば公認の扱いを受けた[1]。
概要[編集]
鼻毛ダンスは、鼻毛の動きそのものではなく、呼吸と顔面筋の連動によって生じる微細な揺れを「踊り」と見なす身体表現である。一般には冗談文化の一種と理解されやすいが、成立史をたどると、、、さらにはの議論が複雑に絡んでおり、単なる珍芸として片づけるには惜しい体系を持つ。
起源は末、の長屋で行われていた即興芸にあるとされる。当初は花粉症対策の所作を誇張した余興にすぎなかったが、やがて「鼻腔に風を通す角度が拍子になる」と主張する演者が現れ、独自の技法が整理された。なお、初期の研究者の中には、これをの面体運用と比較する者もいたが、現在ではむしろとの親和性の方が高いとされている[2]。
歴史[編集]
創成期[編集]
鼻毛ダンスの創成期は、の夏に浅草の喫茶店「ルミナール」で開かれた即席芸大会にさかのぼるとされる。そこでが、アイスコーヒーを飲んだ直後にくしゃみをこらえた動作を「一拍目」、鼻をすする動作を「二拍目」として即興で踊ったことが記録の始まりである。観客27人中19人が笑い、3人が真顔でメモを取り、残る5人は単に料理を待っていたという。
この芸は当初「鼻毛を揺らすだけの寸劇」として扱われたが、の若手裏方が「意外に尺が持つ」と評価したことで、口伝的に広まった。初期の演者は鼻毛の長さを2.8ミリから4.1ミリの範囲に保つことを推奨したが、これは演者ごとの鼻腔環境により大きく変動し、必ずしも標準化されなかった。
制度化と選手権化[編集]
にはが設立され、鼻毛ダンスは「鼻部微動芸」の一分類として整理された。協会は東京都文京区の古い貸会議室で発足し、設立総会の議事録には「鼻毛の先端が観客の情緒に及ぼす影響を実証的に検討する」と明記されている[3]。
この頃から、動作を採点するための基準が導入された。主な評価項目は、吸気時の左右対称性、頬の緊張、眼球の遊離度、そして「観客の気まずさの量」である。1987年に始まったでは、初回優勝者のが1分間に14回の「微鼻振」を記録し、審査員が採点を続ける前に泣き笑いしたことが伝えられている。
テレビ露出と全国拡散[編集]
に入ると、鼻毛ダンスは深夜番組の罰ゲームとして定着した。系の番組『夜明け前の余白』で、タレントの鼻の動きに合わせて小型扇風機を当てる演出が話題となり、視聴者の間で「家でも真似できるが、真似すると家族が黙る」と評された。
一方で、地方への広がりは意外に堅実であった。群馬、愛知、広島の祭礼保存会が独自の流派を作り、特にの沿岸部では、潮風を利用して鼻毛を揺らす「海辺式」が確立されたとされる。ただし、潮風は技法上の安定性を欠くため、現在ではほとんどが室内用に改変されている。
技法[編集]
基本型[編集]
鼻毛ダンスの基本型は、「吸う」「止める」「見せる」の三工程からなる。演者はにより鼻腔へ空気を送り、上唇をわずかに上げ、鼻毛の先端が左右に1〜2回ぶれる瞬間を観客に提示する。このとき最も重要なのは動きの大きさではなく、動いていないように見せるための顔全体の静止である。
熟練者はこの静止を「白壁」と呼ぶ。白壁を保てる者は、鼻毛が実際には2ミリも動いていなくても、照明の反射と観客の想像力によって5センチほど踊って見えるという。なお、協会の内部資料によれば、初心者の失敗の8割は鼻ではなく眉間に出る[4]。
流派と変種[編集]
主な流派には、浅草式、関西即興式、北陸静止式がある。浅草式は古典的で、扇子や小鈴を併用することが多い。関西即興式は台詞回しを重視し、鼻毛の揺れそのものより「揺れそうで揺れない間」を笑いに変える傾向がある。北陸静止式は雪国の乾燥した室内環境に適応したもので、鼻毛の保温性を重視するという、やや説明の難しい理屈で発展した。
ほかにも、の地下街で生まれた「反射鏡式」や、の冬季イベントに由来する「息白式」がある。いずれも派手な演目に見えるが、実際には鼻を触らないことが最重要とされ、熟練者ほど手持ち無沙汰に見える。
社会的影響[編集]
鼻毛ダンスは、当初は滑稽芸として消費されたものの、以降は「人前で顔の微細な変化を許容する文化」として再評価された。学校教育の場では、学級活動のアイスブレークに採用された例があり、内の一部中学校では「呼吸と表情の協調」を学ぶ保健補助教材として試用された[5]。
また、美容業界にも影響を与えた。美容院向け業界紙『ヘア・アンド・ミラー』は、鼻毛ダンスの流行により「鼻周辺の陰影が前髪の印象を左右する」とする特集を組み、鼻毛用トリマーの売上が一時的に12%増加したと報じた。ただし、この数値は協会側の自己申告であり、要出典とされることが多い。
さらに、地域振興との結びつきも強い。の温泉街では、宿泊客向けの体験講座が年42回実施され、参加者の約6割が「思ったより真面目な文化だった」と回答したという。もっとも、残る4割は「帰宅後に鼻を気にしすぎるようになった」と述べており、文化的効用は一様ではない。
批判と論争[編集]
鼻毛ダンスをめぐっては、衛生面と芸術性の両面から批判が繰り返されてきた。とくにの冬、旧庁舎前で行われた公開演舞が「鼻腔に不要な自己主張を与える」として一部の医師団から抗議を受けた。これに対し協会は「鼻毛はあくまで風の可視化であり、装飾ではない」と反論した。
一方で、演者の間でも理念対立がある。保守派は鼻毛の自然な伸長を尊ぶが、革新派は人工繊維や細線香を用いる拡張表現を提案している。1999年の理事会では、樹脂製の模造鼻毛を用いた作品が「もはや鼻毛ではなく針金細工である」として否決されたが、否決されたにもかかわらず翌年の地方公演で大成功を収めた。なお、この件は鼻毛ダンス史上もっとも長い議事録として知られている。
また、の番組で紹介された際、ナレーションが「鼻毛を整えながら踊る新感覚芸」と言い換えたため、原理主義者が強く反発した。これがいわゆる「整毛論争」であり、現在でも年1回、浅草の会館で公開討議が行われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小松原 恒一郎『鼻腔と拍子: 鼻毛ダンス初期史』東京余白出版, 1989.
- ^ 佐伯 みどり「鼻部微動芸の成立と都市笑芸」『芸能民俗研究』Vol.12, No.3, pp. 44-63, 1992.
- ^ H. Thornton, “Rhythm and Follicle: A Study of Nose-Centric Performance,” Journal of Applied Folklore, Vol. 18, No. 2, pp. 101-129, 1995.
- ^ 日本鼻部芸能協会編『全日本鼻毛ダンス選手権 公式記録集 第1回-第10回』協会出版局, 2001.
- ^ 渡会 正樹「浅草式鼻毛振動の位相解析」『東洋舞踊学報』第7巻第1号, pp. 5-28, 2004.
- ^ Margaret L. O'Neil, “The Social Utility of Micro-Movement Entertainment in Japan,” Pacific Cultural Review, Vol. 9, No. 4, pp. 211-239, 2006.
- ^ 田所 由紀『風を見せる技法: 身体芸と視覚錯誤』北海社, 2011.
- ^ 川島 仁「『整毛論争』における用語政策」『メディア芸術批評』第14巻第2号, pp. 77-88, 2014.
- ^ K. Arai, “Public Health and Nose Hair Performance in Urban Japan,” Review of Performative Hygiene, Vol. 3, No. 1, pp. 13-35, 2017.
- ^ 日本鼻部芸能協会監修『鼻毛ダンス入門 きほんのき』出版企画シロクマ, 2019.
- ^ 山内 透『鼻毛ダンスの夜明けとその周辺』幻灯書房, 2022.
- ^ C. Becker, “Why Did the Mirror Stage Smell Like This?,” Proceedings of the Symposium on Minor Arts, Vol. 4, pp. 55-58, 2023.
外部リンク
- 日本鼻部芸能協会 公式資料室
- 浅草微動芸アーカイブ
- 全日本鼻毛ダンス選手権 記録ページ
- 鼻毛ダンス研究会オンライン
- 都市笑芸データベース