odd eyes
| 名前 | odd eyes |
|---|---|
| 画像 | odd_eyes.jpg |
| 画像説明 | 2019年の路上ライブ撮影 |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像補正 | auto |
| 背景色 | #1E1E3A |
| 別名 | オドアイ/虹彩軍 |
| 出生名 | —(バンド名義) |
| 出身地 | 東京都台東区(結成地は浅草周辺) |
| ジャンル | オルタナティブ・ロック/シティポップ要素 |
| 職業 | 歌手・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ヴォーカル/ギター/ベース/ドラム |
| 活動期間 | 2013年 - (断続的活動休止を経て継続) |
| レーベル | Eidolon Records/硝子坂レーベル |
| 事務所 | 硝子坂音楽事務所 |
| 共同作業者 | 、 |
| メンバー | 渡辺精一郎(Vo/Gt)・(Gt)・(Ba)・(Dr) |
| 旧メンバー | (Dr)(2014年まで) |
| 公式サイト | https://oddeyes.example |
odd eyes(おっど・あいず)は、日本の4人組ロックバンドである。所属事務所は。レコード会社は。2013年に結成、2017年にメジャーデビュー。略称および愛称は「オドアイ」。公式ファンクラブは「虹彩通信」。
概要[編集]
odd eyesは、言葉の“視差”をテーマにした楽曲が多い4人組ロックバンドである。初期は路上録音に近いインディーズ音源として拡散し、のちに音響解析を取り入れた制作体制へと移行したとされる。
バンド名のoddは「偶数」ではなく、当時流行した錯視教育番組に由来する造語として知られており、対になるeyesは“聴覚で見る”という宣伝文句と結びついて、ライブ観客に独自の合図を定着させたとされる[1]。
メンバー[編集]
渡辺精一郎はボーカルおよびギター担当である。東京都下町育ちの作家肌として、歌詞の引用元をノートに27行書き残す癖があるとされる。
石榑ユリはギター担当であり、和音の“ずれ”をあえて一定間隔で残す奏法が特徴とされる。2016年の会報では、チューニングを実測値で「A=432.8Hz、ただし第3弦のみ0.9セント低く」と記して話題になった[2]。
早川凪はベース担当である。録音の際、同じ音程でも“息継ぎの長さ”が違うテイクを並べ、後から切り替える制作手順を採ったとされる。
槙田律はドラム担当である。彼はリズムを“右耳優先”で聴かせることを重視し、ステージ上のスピーカー角度を毎回3.2度単位で記録していたと、後年のドキュメンタリーで語られた[3]。
バンド名の由来[編集]
バンド名odd eyesは、視覚教育をめぐる研究会で用いられた「奇数の視差」と「両眼の誤差」を掛け合わせた呼称だと説明されることが多い。実際には当初、メンバー間の口癖で「今日は偶然に頼らない、奇数側で聴け」と言い合っていたことが直接の起点になったとする証言がある。
この“起点”は浅草の学習塾跡を改装した小スタジオの打ち合わせノートに残っており、そこには「odd=誤差、eyes=耳で見る」と手書きされたともされる[4]。
一方で、当時のインディーズ仲間のあいだでは“奇数目の観客”を指す合言葉だったという別説もあり、編集者によって説明の比重が揺れる部分である。
来歴/経歴[編集]
結成(2013年)[編集]
odd eyesは2013年、東京都台東区の路上ライブを契機に結成されたとされる。最初の活動記録は、雨天中止ではなく“雨音の周波数帯”を採取する目的で延期されたことから始まったという逸話がある。
結成当初の楽曲制作は、渡辺精一郎が毎朝6時7分に更新する歌詞ブログ(閲覧者数は初月で約184人)から始まり、のちに各メンバーが「耳鳴りのメモ」へと拡張させたとされる[5]。
初期(2014年)[編集]
ドラムのは2014年まで在籍したとされるが、急な卒業理由として「バスドラの減衰が数学的に気に入らなかった」旨がファンの掲示板で話題になった。ただし事務所側は当時の公式発表を行っておらず、真偽は定かでない。
インディーズの自主制作盤『視差の練習帳』は、手売り中心で販売数が累計で2,130枚に達したとされる。売上の内訳が「通販1,014枚、ライブ手渡し1,116枚」と細かく示された点が、後年の音楽サイトでしばしば引用された[6]。
地方展開(2015年)[編集]
2015年は、全国へ段階的に活動領域を広げた年として整理される。特に大阪府や愛知県では、ライブ終了後に“合図の拍手を3回、間を0.7秒”と統一する運用が広がったとされる。
この運用は、観客の拍手が残響により複数パターン化されることを利用した“参加型ミキシング”の実験だったと説明される。もっとも、ファンの間では「それがないと“odd eyes”が開かない」などの半ば迷信的な解釈も生まれた。
メジャーデビュー(2017年)[編集]
2017年、Eidolon Recordsからメジャーデビューシングル『虹彩が先に泣く』をリリースした。オリコンチャートでは初週推定で約14,200枚を記録し、同年の“視差系”ロックの代表格として扱われた[7]。
メジャー化後はテレビ番組での露出が増えたが、彼らはスタジオ生演奏を拒み、必ず“疑似環境音”を重ねた上でのパフォーマンスを行ったとされる。この姿勢が賛否を呼び、のちの音楽業界の制作論へ波及することになる。
活動休止と再始動(2020年-2021年)[編集]
2020年、公式には「録音室の光学系の入替」による短期中断として告知されたが、実際にはメンバー個別の作家活動が重なった時期だったと推測されている。
2021年には『誤差のダンスフロア』で再始動した。配信初日のストリーミングが約3,480,000回再生を突破したと発表されたが、同日のリスナー内訳を「20代前半41%、20代後半33%、30代26%」のように示すなど、数値の提示方法が妙に細かった点が“計算して作った数字では?”と疑われる要因になった[8]。
音楽性[編集]
odd eyesの音楽性は、オルタナティブ・ロックを基調にしつつ、都市の生活音を和音へ変換する手法が特徴とされる。特に間奏で“音の距離”を左右へ振るミキシングは、耳で見る比喩と結びつき、ファンがライブで合図を揃える文化を支えた。
歌詞面では、固有名詞をあえて曖昧にし、代わりに時計や天気記号、郵便番号の断片を散りばめる。たとえば楽曲『浅草 3番地の影』では、歌詞の中で郵便番号「111-0032」を明記しているとされるが、当該部分はのちに“表記が揺れる写経”として語り直された[9]。
サウンド面では、ギターの歪みを一定の“過剰音域”に固定する方針があり、ライブ機材の設定表が毎回公開されていたとも報じられた。
人物[編集]
渡辺精一郎は音楽プロデューサー的な役割も担い、作曲と編曲を一括で管理する傾向があるとされる。彼は「曲は恋ではなく観測だ」と語ったとされ、インタビューでは“測定器の名前”を3つ挙げたことがある[10]。
石榑ユリは、ギターの立ち位置と客席の視線方向を関連づける議論に熱心である。ある回の雑誌連載では、客席の中心角度を「距離=18.6m、角度=31.4°」と書き、以後、会場スタッフが計測に協力したと伝えられた。
早川凪は作詞面で比喩の硬さを担当し、槙田律はドラムに“聴覚の誤差”を埋め込む。結果として、曲単位で聴き取りが変わる構成が生まれたと説明される。
なお、彼らは互いの発言を最終稿に反映する際、必ず「反対1回以上の議論」を規定にしていたとされる。これが“ねじれの正当化”につながったとする見方もある。
評価[編集]
国民的なロックバンドと称されることもあるが、評価は分かれている。音楽評論家のは、odd eyesを「観客参加の設計としてのロック」と評した。一方で、音響面の工学的アプローチが“音楽の情緒を薄める”と指摘する声もあった。
特にメジャー以降、ライブでの“合図運用”が過剰に体系化され、初見客が置いていかれるとの批判が出たとされる。ただし運用は後に緩和され、合図を任意として告知する方針へ転換したとされる。
それでもストリーミング面では伸びが続き、代表曲『虹彩が先に泣く』は累計で約1億回再生を突破したとされる。なお、公式発表では“地域別の再生密度”まで掲載され、視差的な語りをさらに強化したと見る向きもある[11]。
受賞歴/賞・記録[編集]
2020年に『誤差のダンスフロア』が日本レコード大賞の企画賞相当部門を受賞したとされる。また、オリコン年間ランキングではアルバム『視差の蒸気』が年間アルバムチャート第1位を獲得したと報じられた[12]。
さらに、ライブ動員に関しては“合図運用の参加率”が記録として残されている。2022年の渋谷区公演では参加率が「推定78%」と発表され、当時としては珍しい指標として話題になった。
記録の出所はファンクラブ集計とされるが、監査が公表されていないため、数値の客観性については議論があるとされる。
ディスコグラフィ[編集]
シングルとしては『虹彩が先に泣く』(2017年)、『浅草 3番地の影』(2018年)、『右耳の雨』(2019年)、『誤差のダンスフロア』(2021年)、『偶然を畳む』(2023年)などがある。
CDシングルおよび配信限定シングルとしては『虹彩通信(限定リミックス)』(2017年)や『視差の練習帳(短尺)』(2016年)などが挙げられる。
アルバムとしては1st『視差の練習帳』(2016年、インディーズ)と、メジャー1st『視差の蒸気』(2018年)、2nd『耳の地図』(2020年)、3rd『偶数の隙間』(2024年)が知られている。
ベスト・アルバムとしては『odd eyes compilation:虹彩通信録』(2022年)があり、映像作品としては『LIVE 31.4°:視線の誤差』(2021年)がリリースされたとされる[13]。
ストリーミング認定[編集]
日本国内のストリーミング認定では、代表曲が複数段階で表彰されているとされる。たとえば『虹彩が先に泣く』は、シングル累計で“ストリーミング5億回相当”の区分に到達したと発表された。
一方で、認定の基準が国や媒体で異なるため、細かな到達時期は報道によって差があるとも指摘されている。とはいえ、彼らの楽曲が“視差の再生文化”と結びついたことは広く共有されているとされる。
なお、公式サイトでは再生回数だけでなく、再生時間帯のグラフ(深夜2時台の比率など)が掲載されていたとも報じられた[14]。
タイアップ一覧[編集]
タイアップとしては、『右耳の雨』がNHK系の短編番組『夜の観測所』のテーマソングに起用されたとされる。また、『浅草 3番地の影』が東京都の観光キャンペーン「虹彩散歩」のBGMに採用されたとの情報がある。
このほか、スマートフォン向けアプリの“視差学習”機能のプロモーションに合わせて、限定音源『oddのまばたき』が配信されたと報じられた。
もっとも、タイアップの詳細は年度により表記が変わることがあり、公式一次資料の整理には抜けがあるとの指摘もある。
ライブ・イベント/ライブ・コンサートツアー[編集]
ライブ・コンサートツアーとしては、2018年の『視差の蒸気 TOUR』、2019年の『右耳の雨 TOUR』、2021年の『LIVE 31.4°』、2022年の『虹彩通信 追補公演』などが知られている。
ステージ演出では、開演前のアナウンスで“拍手3回”を案内し、会場の反響を測定すると説明されていた。これが功を奏し、ライブ音源の再現度を高めたという見解がある。
ただし、一部のフェスでは運用が規制され、合図の代替としてサイリウムの色変更が提案された。ファンの反応は割れたが、結果として“参加の自由度”が広がった面もあるとされる。
出演(テレビ/ラジオ/映画/CM)[編集]
テレビ出演としては、2018年の音楽特番『夜更けの等位相』に出演したとされる。また、ラジオでは系の『交差する耳』でレギュラーコーナーを持っていたとされる。
映画面では、マイナー劇場で上映されたドキュメンタリー『虹彩の観測(仮)』に本人たちが“音だけで”出演したと報じられた。
CMでは、東京都の防災アプリのキャンペーンで『偶然を畳む』が使用されたとされるが、こちらは放送枠の時期により別曲差し替えがあったとの指摘もある。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
odd eyesは、2023年にへ初出場したとされる。出場曲は『偶然を畳む』であったと報じられ、演出では“視差フィルム”を用いた疑似残像の表現が話題になった。
ただし、当日の生放送において楽器のセッティングが一部変更されたという噂もあり、事務所は詳細を明かしていない。いずれにせよ、視差テーマを公共放送の大舞台へ持ち込んだ試みとして評価されることが多い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐倉綾人『観客参加のロック論:視差はなぜ流行るのか』音響出版, 2019.
- ^ 渡辺精一郎『測定器のように歌う』硝子坂書房, 2021.
- ^ 石榑ユリ「奇数側のチューニングは恋を再現する」『日本音楽技術紀要』第12巻第3号, pp.45-62, 2018.
- ^ 槙田律「残響を設計するドラムの誤差」『リズム研究レビュー』Vol.7 No.1, pp.10-29, 2020.
- ^ 星ノ宮サウンド研究所『ライブ・ミキシング再現アルゴリズム(簡易版)』星ノ宮出版, 2022.
- ^ Katherine M. Lister “Auditory Parallax in Urban Rock: A Case Study of Odd Titles” in Journal of Popular Sound, Vol.19 No.4, pp.101-130, 2021.
- ^ 山城カナメ『オリコンの数字が踊る日』草原文庫, 2023.
- ^ 河合タクト『日本の音響ドキュメンタリー史(第3版)』Eidolon Academic, 第3巻, pp.220-241, 2018.
- ^ 森川ユウ「NHK番組演出と視差表現の受容」『放送芸術研究』第5巻第2号, pp.33-58, 2024.
- ^ 小さな嘘で作る大きなデータ:『視差の蒸気』数字集(誤植版)『奇数統計評論』, 2020.
外部リンク
- 硝子坂音楽事務所 公式アーカイブ
- Eidolon Records スペシャルページ
- 虹彩通信(ファンクラブ)掲示板
- 星ノ宮サウンド研究所 ライブ再現レポート
- odd eyes 年表サイト