『もし海面が3775m上昇した時に、日本はどうなるのか』(1899年の映画)
| 監督 | 鍛冶頭 伊織(かじがしら いおり) |
|---|---|
| 製作年 | 1899年 |
| 上映時間 | 84分(原版、再編集版は91分とされる) |
| ジャンル | 海洋災害パニック/疑似科学映像 |
| 主要題材 | 海面上昇の仮想シナリオ |
| 想定上昇量 | 3775m |
| 上映形態 | 屋内スクリーン+地図スライド |
| 当時の公開場所 | 東京・日本橋周辺の常設館(複数会場) |
『もし海面が3775m上昇した時に、日本はどうなるのか』(もし かいめん が さんせんななごメートル じょうしょうした とき に にほん は どうなるのか、英: If the Sea Level Rose by 3775 m, What Would Happen to Japan? (1899 Film))は、に製作されたとされるのパニック映画である。海面上昇という仮想条件を細密な測量図とともに提示し、視聴者に「国家規模の避難計画」を想起させた作品として知られている[1]。
概要[編集]
『もし海面が3775m上昇した時に、日本はどうなるのか』(以下『3775mの日本』)は、海面が上昇した場合のの地理的変化を、「図版連動型」の演出で描いたとされるの映画である。内容は単なる破滅風景にとどまらず、上昇水位に対応する高さの目盛り、港湾の機能転換、避難居住の区画など、疑似科学的な手順書としても読める構成が特徴とされる[1]。
当時の批評では、作品の価値は「観客の不安を煽る力」よりも、むしろ「国家が備えるべき算段を視覚化した点」に置かれたとされる。一方で、作中では東京上空の通過気流を「海水蒸気由来の偏東風」として説明するなど、科学の体裁を借りた詩的な誇張が織り込まれているとも指摘されている[2]。なお、上昇量は天文学的距離の比喩として選ばれたという制作側の説明が伝わっているが、その真偽は不明とされる[3]。
概要(選定と制作の背景)[編集]
作品の企画は、近代測量の普及と、港町の防災意識が高まった時期の空気に乗って生まれたとされる。特に、系の「災害統計」文書が市井の印刷物へ流通することで、災害を“数字の物語”として理解する土壌ができたと解釈されている[4]。
監督の鍛冶頭 伊織は、海面上昇を描くにあたり、海洋計測ではなく「地形断面の誤差伝播」を主題化したとされる。すなわち、水位がどれだけ上がるかというより、「どこまでを安全と呼ぶか」を観客に考えさせる設計だった、という言い方が記録に残っている[5]。ただし実際の上映では、各地図スライドの前に場内アナウンスが入る“解説付き投影”だったともされ、映画というより公開講座に近かったとの証言もある[6]。
撮影はの臨時スタジオと、を見下ろす高台での疑似水面実験に分けて行われたと説明される。細部として、スタジオ内の水槽には海塩濃度を「乾燥重量比で3.41%」に揃えたという記録があるが、現物の保存が途絶えているため裏取りは難しいとされる[7]。この“細かすぎる数字”が、当時の観客には逆に説得力を与えたと考えられている。
歴史[編集]
前史:海面上昇という仮説が「国家の比喩」になった経緯[編集]
海面上昇をめぐる議論は、当初は気象学ではなく航海暦の改訂で登場したとされる。具体的には、末期の港務官僚が、潮位の“平均”よりも“物語としての変動”を重視する運用を始めたことが起点になったとする説がある[8]。この運用は「平均潮位を毎月更新せず、変動の大きさだけをランク付けする」方式で、当局の手間を減らす一方、一般向けには理解しやすい形で広まったとされる。
その後、演出家と測量技師が組み合わさり、「もしも」を数式で見せる文化が映画に流入した。鍛冶頭伊織の資料では、海面上昇は“物理量”より“避難計画の骨格”として扱うべきだとされ、上昇量は「標高の閾値を最も混乱なく可視化できる値」として選ばれたと記されている[9]。ただし、閾値がなぜなのかは、推定の域を出ないという指摘もある。
製作:地図スライドと「測量風の語り」が結びついた瞬間[編集]
製作チームには、映画技師のほかに「図化担当」と呼ばれる専門職が置かれたとされる。図化担当のは、地形図を断面化する際、縮尺を「1/40,000」としつつ、川幅だけは「1/38,200」に換算したという不可思議な仕様書が残っている。これは、川が氾濫するときの見かけの流速を“画として成立する速度感”に合わせるためだったと説明されるが、科学的整合性は薄いと批判されてもいる[10]。
また、作中で周辺が「孤島型の高所居住帯」として再定義される場面では、避難民の人口密度を「1km²あたり612人」と細かく描写する。さらに、海水が到達するまでの猶予を「平均で6日と13時間」とする字幕が出るが、なぜその時間が選ばれたのかは、台本上では“劇的な呼吸を合わせるため”とだけ記されている[11]。この点は、科学ではなく演劇として作られた証拠であるとする見方がある一方、当時の観客はそれを“科学の味付け”として受け止めたとされる。
受容:上映後に起きた「地名の言い換え運動」[編集]
公開後、『3775mの日本』は単に不安を煽った作品ではなく、言葉の再編を促したとされる。作中で、低地の居住地が「下層部」「浮上圏」などの新しい呼称で区分されたため、当時の新聞の一部では、地名を“安全階層”に合わせて言い換える試みが起きたと報告されている[12]。
例としての一部地域が、現実の地名とは別に「第3避難層」と呼ばれる記事が増えたという。ただし同時期に「これは誇張である」との反論も出ており、言い換えは一部地域に限られたとされる[13]。このように、映画は都市行政そのものへ波及したというより、行政が語るべき言葉の枠組みを観客側が先に覚えてしまった、という現象として記憶されている。
批判と論争[編集]
『3775mの日本』は、疑似科学の体裁を強くまとっていたため、のちに“根拠なき数字の氾濫”として批判されることになった。特に、作中で海水が到達する速度を「毎時17.3cmの段階降下」と説明しつつ、場面転換では数日単位で一気に水没するため、観客の論理が破断すると指摘されたのである[14]。
一方で擁護論では、この作品は現実の予測ではなく、「予測という様式を借りた啓蒙」だったとする見解がある。実際、当時の図化技師が後年に残した手紙では、「推定の筋を通せば、誤差は物語として許される」と述べたと伝えられている[15]。ただしその手紙の写しは出回っており、原本の所在が確認できていないため、真偽には揺れがある。
さらに、第三者機関による照合では、の作中の“浮上圏境界”が現実の標高と合わない可能性が指摘された。照合の報告書では、境界線が「約0.82kmずれている」と結論づけられているが、資料が映画のセット図からの換算であるため、当初から誤差込みだったのではないかとも推測されている[16]。このあいまいさが、作品の信憑性を逆に補強したという見方も存在する。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鍛冶頭 伊織「『もし海面が3775m上昇した時に、日本はどうなるのか』撮影記録(断章)」『図画撮影年報』第3巻第2号, 1899年, pp. 41-63.
- ^ 榎並 貞彦「断面図の視認性と観客の反応:187日間の試写結果」『測量映像論叢』Vol. 1, No. 4, 1900年, pp. 12-29.
- ^ 阿久津 凪子「パニック映画における“数量の説得”」『演劇化された科学』冨士書院, 1902年, pp. 77-95.
- ^ Watanabe, R. & Hallström, E. “A Fictional Sea-Level Model Used in Early Japanese Cinema,” 『Transactions of the Coastal Imagination』Vol. 7, No. 1, 1903, pp. 1-18.
- ^ 志田 典丈「海塩濃度3.41%問題とスタジオ実験の系譜」『海洋実験室通信』第12号, 1901年, pp. 201-214.
- ^ Caldwell, J. “On ‘Forecasts’ in Public Screenings,” 『Journal of Spectator Engineering』Vol. 2, Issue 3, 1904, pp. 50-69.
- ^ 田村 逸作「地名の避難層化:新聞記述の変化をめぐる一考察」『都市言語史研究』第5巻第1号, 1905年, pp. 33-58.
- ^ 松下 義綱「映画と行政語の相互翻訳」『官報文化史』第9巻第6号, 1906年, pp. 410-436.
- ^ ブルーノ・ハルトマン「海面数値の文学的最適化」『The Rhetoric of Flood Numbers』London: Everleigh Press, 1907年, pp. 214-233.
- ^ (誤植とされる)矢吹 光「3775mの選定理由:天文学由来の閾値」『天測映画雑誌』第1巻第1号, 1898年, pp. 5-9.
外部リンク
- 海図フィルムアーカイブ
- 明治測量図面コレクション
- 都市言語研究ネットワーク
- 早期災害映画データベース
- 幻の上映記録(日本橋会場)