くしゃみ前線
| 名称 | くしゃみ前線 |
|---|---|
| 英語 | Sneeze Front |
| 分類 | 症候性前線・民間気象 |
| 提唱年 | 1968年ごろ |
| 提唱者 | 遠山 恒一郎 |
| 主な観測機関 | 気象庁季節現象研究班 |
| 関連現象 | 花粉移流、寒暖差くしゃみ、逆風性鼻炎 |
| 代表的観測地 | 東京都杉並区、宮崎県延岡市 |
くしゃみ前線(くしゃみぜんせん、英: Sneeze Front)は、花粉やの移動に伴って、特定地域でくしゃみの発生率が急上昇する境界線を指す気象・公衆衛生上の概念である。主として日本の気象庁周辺研究から発展したとされる[1]。
概要[編集]
くしゃみ前線とは、空気中の花粉、乾燥、気温差、そして心理的予兆が重なったときに成立するとされる仮想的な境界である。地図上では天気図の前線に似た曲線として描かれ、通過直後にくしゃみ件数が増えることから、通勤圏の健康管理や学校行事の判断材料として扱われてきた。
この概念は、気象庁の非公式観測ノートと、東京都内の耳鼻咽喉科医らのメモが混線して生まれたとされる。のちにの一部会合で半ば冗談として紹介されたが、1970年代後半には一部の地方紙が「花粉の通り道」として採り上げ、独自の社会的地位を得た[2]。
成立の経緯[編集]
起源はの冬、気象庁予報課に臨時勤務していた遠山 恒一郎が、とで連続して観測されたくしゃみ多発を、前線通過と同じ形式で記録したことにあるとされる。遠山は本来、の前身機関に提出する気象記録の補助をしていたが、観測紙の余白に「SNZ-FR」とだけ書き込み、後にこれが「Sneeze Front」の略号として再解釈されたという。
1969年春には、の同窓会誌に掲載された短文「鼻腔圧と前線移動の相関について」が、研究史上の初出とみなされる場合がある。ただし同論文は、実際には宴会後の感想文を整えたものであるとの指摘もある。なお、同年のNHKラジオ天気解説で「関東南部、くしゃみ前線が接近」と言ったアナウンサーがいたという証言が残るが、映像記録は見つかっていない[3]。
1973年には、気象庁内の非公開勉強会で、前線の「強さ」を花粉濃度、風速、鼻水率で三段階評価する案が示された。これにより、のちの「くしゃみ前線指数」が成立したとされる。
指標と観測法[編集]
くしゃみ前線指数[編集]
くしゃみ前線指数は、A級からD級までの4段階で示される。A級は「目視で前線が確認できるが、本人はまだ否認している状態」、B級は「一回の会話につき2回以上のくしゃみが挟まる状態」、C級は「駅のホームに入った瞬間に周囲が黙る状態」、D級は「マスクの装着が会話の主語になる状態」と定義された[4]。この分類は、実務上は非常に便利であったが、医学的妥当性については当初から疑義が多かった。
1978年版の『季節性鼻症候観測便覧』では、指数算出にの靖国通り沿いで採取した空気を標準とする規定があり、地方局からは「東京鼻圧中心主義」と批判された。
観測機器[編集]
観測には、鼻腔の反応を音圧で拾う木製集音器「くしゃみ鏡」、風向を香りで補正する「花粉羅針盤」、および紙片が舞う方向を記録する「ティッシュ風杯」が用いられたという。とくに富士市の試験設置局では、屋上に24本の洗濯ばさみを等間隔で並べ、地域住民のくしゃみ回数を半自動で推計する方式が採用された。
この方式は一部で好評であったが、強風の日に全ての洗濯ばさみが同じ方向を向き、結果として「前線が東海道新幹線に沿って停滞した」と誤判定された事件がある。
歴史[編集]
1970年代[編集]
1970年代は、くしゃみ前線が最も純粋な学術用語として扱われた時代である。の研究室では、花粉情報と前線図を重ねた透明シートが作成され、講義では「鼻の低気圧」と説明された。1976年の春には埼玉県で前線の停滞が記録され、同市の商店街が「くしゃみ祈願スタンプラリー」を開催したことが、社会実装の初例とされる。
一方で、同時期の朝日新聞地方版に「前線は本当に移動しているのか」とする投書が掲載され、編集部は翌週「前線はあくまで比喩である」と補足した。しかし、その補足が逆に話題を呼び、用語は一気に拡散した。
1980〜1990年代[編集]
1980年代に入ると、の花粉対策資料に似た形式で引用されるようになり、行政語彙へ半ば吸収された。1984年には名古屋市内の鉄道会社が、沿線駅ごとのくしゃみ前線通過予想を掲示板で試験表示し、乗客から「遅延情報より役立つ」との声が寄せられた[5]。
1990年代には、テレビ東京系の深夜番組で「くしゃみ前線予報士」が登場し、天気図の上に鼻の断面図を重ねる演出が定番化した。これにより、若年層のあいだでは前線の概念が半ばネタとして定着したが、同時に花粉症啓発の入口として機能したともいわれる。
2000年代以降[編集]
2000年代には、携帯電話向けの簡易通知サービス「前線メール」が登場し、神奈川県内の登録者数は2007年時点で約14万8,000人に達したとされる。登録者の7割が通知を見てから窓を閉める行動を取ったという調査もあり、生活習慣への影響は小さくなかった。
2011年以降は、SNS上で「今日はD級らしい」「鼻が東から来ている」などの比喩表現が流行した。なお、2020年春の全国同時観測では、花粉飛散と在宅勤務の増加が重なり、前線の概念が再び注目されたが、実際には人々が自宅でくしゃみを数え始めただけであるとも言われる。
社会的影響[編集]
くしゃみ前線は、学校行事、屋外スポーツ、建設現場の工程管理にまで影響を及ぼしたとされる。とくに東京都の一部小学校では、春季運動会の実施可否を「前線通過後」にずらす慣習が生まれ、保護者からは概ね歓迎された。
また、の調査を装った地域アンケートでは、前線図を見た住民の43.2%が「気象より先に鼻が分かる」と答えたという。もっとも、この数値は集計担当者が「鼻の自覚率」と「自己申告のくしゃみ回数」を混同した結果であるとの記録が残る。
経済面では、ティッシュ、空気清浄機、加湿器の売上に間接的な寄与があったと推定されている。とりわけの老舗紙問屋では、くしゃみ前線の南下が報じられるたびに高級ティッシュの卸売が増える傾向があり、社内ではこれを「紙の季節風」と呼んでいた。
批判と論争[編集]
学術的には、くしゃみ前線の実在性をめぐる批判が絶えなかった。最大の論点は、前線の位置が観測者の主観に強く依存することであり、同じ日でも千葉県では「到来済み」、では「まだ海上」と判定が割れたのである。
1989年には、の研究者が「鼻症状と前線の因果は逆転しており、くしゃみが前線を呼ぶ可能性がある」と発表し、会場がざわついた。これに対し遠山の弟子を自称するは、前線の本質は物理現象ではなく「人が春をどう受け取るかの社会的装置」であると反論した[6]。
ただし、反対派の中にも「前線図を掲げると住民の注意喚起に役立つ」ことは認める者が多く、最終的に多くの自治体は、科学ではなく広報の問題として扱うようになった。
関連文化[編集]
くしゃみ前線は、民間信仰や都市伝説とも結びついた。宮城県の一部では、前線が峠を越えるときに塩を撒くと鼻症状が軽くなるとされ、仙台市の薬局街では春先に小袋の粗塩が品薄になることがあった。
また、アマチュア無線家のあいだでは、前線通過を「鼻電波」と呼び、受信状態の悪化と同時にくしゃみが出る現象を楽しむ文化が生まれた。これらの周辺文化は、科学的根拠の有無よりも、季節の移ろいを身体で測る詩的な感覚に支えられていたとみられる。
なお、北海道では「くしゃみ前線」よりも「鼻凍結帯」という別概念のほうが古いとする説があり、両者の境界は現在も研究者のあいだで一致していない。
脚注[編集]
脚注
- ^ 遠山 恒一郎『季節性鼻症候観測便覧』気象資料社, 1978年.
- ^ 牧野 仁志「くしゃみ前線の社会的受容」『鼻科学研究』第12巻第3号, pp. 41-58, 1986年.
- ^ S. H. Kato, “Frontogenesis of Sneezing in Urban Basins,” Journal of Applied Pollenology, Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 1991.
- ^ 日本鼻科学会編『花粉と都市生活の記録』南風堂, 1994年.
- ^ 田所 みゆき「前線メール利用者の行動変容」『公衆衛生情報』第18巻第1号, pp. 9-22, 2008年.
- ^ M. A. Thornton, “The Sneeze Boundary and Seasonal Mobility,” Weather & Society Review, Vol. 21, No. 4, pp. 201-219, 2013.
- ^ 気象庁季節現象研究班『症候性前線の観測指針』内部資料, 1973年.
- ^ 佐伯 直人『鼻と気圧のあいだ』白鷺出版, 2001年.
- ^ L. Ferris, “A Brief History of Rhinitis Fronts,” Annals of Quasi-Meteorology, Vol. 5, No. 1, pp. 1-17, 1979.
- ^ 『くしゃみ前線と都市の春』第2版、東都気象文化研究所, 2016年.
外部リンク
- 日本くしゃみ前線学会
- 気象と鼻の資料館
- 前線観測アーカイブ
- 季節症候研究センター
- くしゃみ前線速報