これまでに軍人でない民間人が行った航空爆撃の事例リスト
| 対象 | 軍人でない民間人による航空爆撃事案 |
|---|---|
| 成立 | 1934年頃(後年再編) |
| 分類 | 航空史・治安史・民間防衛史 |
| 掲載基準 | 公的記録、新聞報道、保険請求書類、個人飛行日誌のいずれかに痕跡がある事案 |
| 主な調査主体 | 国際航空史資料室 |
| 掲載件数 | 14件 |
| 注目点 | 小型機、試験用投下装置、私設飛行クラブの関与 |
| 編集方針 | 軍事行為と事故の境界にある事案を優先 |
これまでに軍人でない民間人が行った航空爆撃の事例リストは、またはそれに準ずる飛翔体を用いて、ではないが実施したとされる爆撃事案を年代順に整理した一覧である。一般にはの逸脱記録として知られているが、成立の経緯にはとの共同調査が深く関与したとされる[1]。
概要[編集]
この一覧は、の以後に増加した私人飛行の記録を母体として、後年の航空法研究者たちが整理したものである。元来は「爆撃」とは言い難い農薬散布、鉱山測量、火山観測用の投下装置が多く含まれていたが、のロンドン会議で「意図的な投下による地上影響」が広義の航空爆撃に含まれることとなったとされる[2]。
もっとも、実際には軍事目的よりも、資産回収、抗議活動、広告実演、婚礼の余興などが混在しており、編集者間では「爆撃」という語の妥当性をめぐって長年論争があった。このため、後世の研究では「民間航空投下事件」「非軍事爆撃」などの別称も用いられるが、本項では便宜上、原資料に最も近い表現を採用している。
選定基準[編集]
掲載対象は、にない者が、固定翼機、気球、滑空機、あるいは自作の揚力装置から、爆発物・焼夷物・煙幕・可燃性液体を意図的に投下した事案である。なお、単なる落下事故や、気象観測用の試料投下は除外されたが、以降の記録ではこの線引きがしばしば曖昧になっている。
また、の前身資料によれば、被害の大小よりも「第三者が爆撃と認識したか」が重視されたとされる。これにより、実害が軽微でも新聞見出しが過剰だった事案が収録され、逆に死傷者が出ていても保険会社が「事故」と整理した例は除かれている。要出典。
一覧[編集]
1920年代[編集]
### 1923年 - ハーグの煙幕投下事件 ・の海岸で、郵便飛行を行っていた商用操縦士が、競合社の広告を妨害する目的で煙幕筒12本を投下した事案である。火薬量は1本あたり38グラムとされ、海風で煙がそのまま観光客席へ流れ、翌日の『』紙が「空からの礼儀なき演説」と報じた[3]。
### 1927年 - セントルイスの砂糖菓子爆撃 アメリカ合衆国・のセントルイスで、私設航空クラブの会員が、結婚式の祝砲代わりに砂糖菓子入りの紙包み21個を低空投下したものである。包装の一部に小さな雷管が混入していたため、地上では「炸裂する菓子」として記憶され、後に市史編さん委員会が事故扱いへ修正した。なお、投下前に彼が『風向きがよければ合格だ』と述べたという記録が残るが、信憑性は低い。
1930年代[編集]
### 1931年 - 札幌雪灯籠燃焼投下 北海道・札幌市で行われた冬季航空博覧会において、無免許の宣伝飛行士が、町内会の依頼で製作した発火灯籠を試験投下した事案である。着地時に雪面へ埋没し、火勢が増したことで会場の氷彫刻3基が損壊した。主催側は当初「光の演出」と説明したが、翌年の保険審査で航空爆撃の範疇に入る可能性が議論された[4]。
### 1934年 - マルセイユ港貨物倉庫事件 ・で、元機械工が自作の二重投下架を装着した複葉機で、労働争議中の倉庫上空から木箱詰めの油脂石鹸を落とした事件である。石鹸は爆発物ではないが、箱内に誤って同梱されたマグネシウム粉末が白煙を生み、港湾当局が「準爆撃」と認定した。これが後のの直接の契機になったとされる。
### 1938年 - 横浜倉庫街ビラ燃焼投下 神奈川県・横浜市の倉庫街で、見習い写真師のが、撮影会の宣伝のために可燃性ビラを投下したところ、ビラ束の芯に隠してあった閃光粉が風で散り、複数のドラム缶を発火させた事案である。地元紙は当初「空中からの新しい広告」と持ち上げたが、警察の報告書では「広告の形式を借りた攻撃的投下」と記された。
1940年代[編集]
### 1942年 - ダブリン慈善飛行物資誤爆 ・で、慈善団体のパイロットが戦時下の病院へ毛布を送るはずの飛行で、誤って硝酸アンモニウムを積んだ区画を開放した事件である。死傷者は出なかったが、近隣の鴨池で泡が立ち、周辺住民が「空からの洗濯」と呼んだことから新聞に残った。のちに装置の解錠レバーが子どものいたずらで改造されていた可能性が指摘されている。
### 1947年 - メルボルン競馬場照明弾事件 オーストラリア・では、元海軍整備士のが、未申告の花火を応用した照明弾6発を競馬場上空に投下した。賭けの失敗に対する抗議とされるが、彼は一貫して「観客席の照度補正」だったと主張した。照明弾はコース外に落下したものの、馬3頭が驚いて発走をやり直したため、競馬史では珍しい「非武装によるレース中断」として引用される。
1950年代以降[編集]
### 1953年 - リマ花火配給機事件 ・で、遊覧飛行会社の客室乗務補助だったが、独立記念日の余興として搭載した花火箱を誤って旧市街へ投下した事案である。花火の一部は湿気で不発だったが、残りがの噴水に反射し、観覧者が「天候を操る市民的爆撃」と評した。
### 1961年 - ケープタウン抗議封筒投下 ・で、廃業した航空写真家が、政治集会に向けて中綿入り封筒を投下した事案である。封筒には爆薬ではなく塩化アンモニウムが入っていたが、着地時に粉塵が舞い、当局は航空危険物として扱った。本人は「爆撃ではなく視線の分散である」と供述したとされる。
### 1978年 - アテネ観光ゴンドラ落下事件 ギリシャ・アテネの観光用軽飛行機で、操縦士見習いのが、修学旅行生向けに投げた模型建築物の箱に小型火薬が混入していたため、考古学博物館の中庭に損傷を与えた。後年、博物館側が修復費用の一部を「教育的空中投下展示」へ転用したことが、一覧の中でも特に奇妙な逸話として知られている。
1980年代以降[編集]
### 1989年 - ブリュッセル広告気球爆発 ・で、広告代理店の無線操縦士が、巨大気球から発泡粉末を撒布したところ、劣化した電池が発火して投下物が半焼した事件である。空中では「爆撃」ではなく「演出」とされたが、地上の清掃費がに達したため、市議会資料では軍用語に近い扱いとなった。
### 1996年 - サンパウロ倉庫上空の粉体散布事故 ・で、食品会社の品質管理担当が、害虫駆除のための粉体を積んだ小型機から、誤って発火性試験片を散布した事件である。工場は軽微な火災で済んだが、翌週に労組が「民間爆撃の安全基準」を要求し、地方紙が一面で扱った。
### 2008年 - レイキャビク温泉霧爆事件 ・では、観光用ヘリの操縦士が、地熱採取のための可燃性霧化液を誤って温泉地帯へ放出した。噴気孔の反応で白煙が立ち上り、観光客が一斉に避難したことから、後に「北大西洋の最も静かな爆撃」と呼ばれた。
歴史[編集]
初期の編纂[編集]
この一覧の原型は、にスイスの法律家が作成した「空中投下と損害責任の覚書」に求められるとされる。彼は、民間航空の発達により「爆弾」と「展示物」の区別が曖昧になると予見し、保険契約書の注釈欄から事例を集め始めた。
その後、の内部委員会がに標準化を試みたが、会議録には「娯楽目的の火薬投下は暴力か演出か」という文言が44回も現れる。結果として、軍事史ではなく社会史の付録として残されたことが、かえって資料の生存率を高めたとされる。
法規制への影響[編集]
のでは、民間人による空中投下のうち、地上で3分以上煙が継続したものを「準爆撃」と分類する案が出された。しかし、煙の持続時間をどう測るかで委員会が紛糾し、草案は採択されなかった。代わりに、各国の民間航空局が独自の通達を出す形となった。
なお、1980年代後半には、観光用ドローン以前の無線操縦模型機が増えたことから、一覧に含めるべきかどうかが再び議論された。とくにのローマ事案では、投下主体が16歳の高校生であったため、少年法と航空法のどちらで扱うべきかが決着しなかったという。
社会的影響[編集]
民間航空爆撃の記録は、広告業界、保険業界、地方自治体の危機対応に独特の影響を与えた。たとえば東京の一部広告会社では、1960年代に「空中投下リスク係数」を算出する内部文書が作られ、紙吹雪の厚さ1ミリ単位で審査が行われたとされる。
一方で、軍事技術とは無関係なはずの民間人が「爆撃」という語を用いたことで、戦後の言語感覚に混乱を与えたとの批判もある。だが、資料編纂者のは「人は空から落ちてきたものを、意味より先に危険として理解する」と記しており、この見解が現在も広く引用されている[5]。
批判と論争[編集]
本項そのものについても、研究者の間で「軍事的な爆撃と、投下事故や演出失敗を同列に置くのは誤りである」との批判がある。また2011年の会議では、一覧の3割以上が「社会不安を伴う気球事故」に過ぎないとする報告が提出された[6]。
ただし、反対派も完全に無視することはできず、保険業界の内部資料では本一覧が危険物輸送史の索引として用いられた形跡がある。特にの事案との事案は、いずれも「爆発そのもの」より「事後の会計処理」が長引いたことで有名である。
一方で、資料の一部には明らかに誇張が含まれており、1934年の事件の投下箱数が、初版では17箱、改訂版では19箱、別冊では「目視不能」とされている。こうした差異は、編者が実際の損害よりも「爆撃らしさ」を優先したためと考えられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Ernst Weiler『Aerial Deposits and Liability Notes』Geneva Press, 1930.
- ^ 藤村紀子『空から落ちたものの社会史』東京航空資料出版, 1967.
- ^ H. M. Calder『Civilian Bombardment and Municipal Accounting』Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, Journal of Aeronautic Regulation, 1974.
- ^ Jean-Paul Moreau『Traité des charges volantes civiles』Éditions du Pont, 1936.
- ^ 『ハーグ航空投下協定草案資料集』国際法文庫, 1964.
- ^ Margaret A. Thornton『The Quiet Bomb: Smoke, Paper, and Public Panic』Vol. 8, No. 1, pp. 5-29, Review of Flight History, 1988.
- ^ 『民間人空中投下事案年報 第7巻第2号』国際航空史資料室, 1997.
- ^ 渡辺精一郎『広告と爆風の境界』南海書房, 1959.
- ^ Luca Ferri『A Study on Partially Combustible Leaflets』Vol. 4, No. 2, pp. 113-140, Mediterranean Journal of Applied Aviation, 2001.
- ^ 『ブリュッセル市議会危機対応記録集 1989年度版』市政記録社, 1990.
- ^ Evelyn C. Shaw『When Balloons Went Wrong』Vol. 19, No. 4, pp. 201-233, Northern Sky Quarterly, 2013.
外部リンク
- 国際航空史資料室
- 空中投下事案アーカイブ
- 民間航空危機年表館
- 飛行広告と事故の博物誌
- 保険事故語源研究所