ぼりか どんどこナース
| 氏名 | ぼりか どんどこナース |
|---|---|
| ふりがな | ぼりか どんどこなーす |
| 生年月日 | 1931年4月18日 |
| 出生地 | 東京都深川区木場町 |
| 没年月日 | 1994年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 看護教育者、講話師、発声指導者 |
| 活動期間 | 1954年 - 1992年 |
| 主な業績 | どんどこ式安静補助法の確立、巡回看護講話の全国普及 |
| 受賞歴 | 厚生省看護文化奨励賞、東京民間医療語り部賞 |
ぼりか どんどこナース(ぼりか どんどこなーす、 - )は、日本の看護教育者、巡回講話師、及び擬音療法の提唱者である。どんどこ式安静補助法の考案者として広く知られる[1]。
概要[編集]
ぼりか どんどこナースは、戦後東京都を中心に活動した看護教育者である。病棟内での歩行誘導や器具の取り扱いに独特の擬音を導入し、患者の不安を軽減させる方法を広めたことで知られる[1]。
その名は、本人が昭和30年代に用いた巡回講話の標語「どんどこ、いのちを運ぶ看護から」に由来するとされるが、後年になって編集者の間では「芸名に近い通称だった」とする説もある。なお、初期の資料では「ぼりか」と「ボリカ」が併記されることがあり、表記の揺れが少なくない[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
ぼりか どんどこナースは、木場町の材木問屋の長女として生まれた。幼少期は隅田川沿いの簡易診療所によく通い、そこで聞いた担架の軋みや医師の足音を「人を落ち着かせるリズム」として記憶したと本人は回想している[3]。
家族によれば、の空襲後に近隣の臨時救護所を手伝った際、彼女が負傷者に向けて「どん、どこ、ゆっくり」と声をかけたところ、付き添いの看護婦から「妙に効く」と言われたのが後年の原型になったという。この逸話は本人の講演録にしか見られず、要出典とされることが多い。
青年期[編集]
、附属東京看護講習所に入学し、基礎看護と救護運搬法を学んだ。講師の一人であった永田澄子の授業で、歩行困難者の移送を説明する際に板書へ擬音を添えたことが評価され、以後、実地演習では「音のついた看護」を許されるようになった[4]。
には関係の研究会で、病院内騒音が患者の回復感に与える影響について短い報告を行っている。報告書は二頁半しかないが、最後に記された「静けさは沈黙ではなく、調子である」という一文が引用され、のちの活動の出発点とされた。
活動期[編集]
、東京都内の中規模病院で看護助手として働きながら、「どんどこ式安静補助法」を体系化した。これは、移動・点滴交換・食事介助の各場面に固有の声かけと足運びを組み合わせるもので、院内では初年度だけで38名の看護補助員が研修を受けたとされる[5]。
以降は全国の、、を巡回し、黒板と小太鼓を用いた講話を行った。特に大阪市と新潟県での公演は熱狂的で、受講者数が定員240名に対して平均312名に達したと記録されている。一方で、病院管理側からは「拍が強すぎる」「廊下に響く」との苦情も出ており、講話後の床洗浄が問題になったという。
晩年と死去[編集]
1980年代に入ると、ぼりかは高齢患者向けの簡略版「小どんどこ法」を提唱し、地域の向けに教材を配布した。これは、足踏みを半歩に減らし、声かけを低音化したもので、本人は「若い看護が速さを誇る時代だからこそ、遅さの技法が要る」と述べている[6]。
11月2日、の自宅で死去した。63歳であった。遺品の中には、色鉛筆で拍を記したノート17冊と、使用済みの病棟スリッパ86足分のタグが残されていたとされる。葬儀では参列者が一斉に小さく三拍子を打ったが、これが彼女の遺志によるものだったかは定かでない。
人物[編集]
ぼりか どんどこナースは、几帳面である一方、極端に音に敏感な人物であったとされる。病院の蛍光灯の点滅や、給湯室の金属音を記録帳に書き留めていたことから、同僚の間では「足音の学者」と呼ばれた[7]。
逸話として、講演の開始前に必ず廊下を三往復し、床のきしみ方で会場の空気を測ったという。本人はこれを「病院の温度は体温計より先に床が知る」と説明していたが、実際にどの程度医学的意味があったかは不明である。
業績・作品[編集]
どんどこ式安静補助法[編集]
最も著名な業績は、後半にまとめられた「どんどこ式安静補助法」である。これは、患者の移動時に看護者が一定の拍と短い指示語を組み合わせることで、恐怖感を減らし、歩行の停止率を下げるという独自理論であった[8]。
彼女の記録では、試験導入病棟の転倒予防件数が年間17件から9件に減少したとされるが、同時期に「記録係が拍の書き込みに追われた」との苦情も残っている。また、病室番号を唱和しながら点滴台を押す方式は、当時の看護長から「行軍に似る」と評された。
巡回講話『いのちの拍子』[編集]
刊行の講話録『いのちの拍子』は、全国の看護学校で副読本として用いられたとされる。全84頁の小冊子であるが、本文よりも余白のメモ欄が多く、受講者が自分の病棟のリズムを書き込めるよう設計されていた[9]。
この冊子には「患者に聞こえる音は三つで足りる。靴、器具、声である」という一節があるが、のちに一部の編集委員会から「三つでは不足する」との反論が出た。結果として増補版では「ほかに換気扇」を加えた四要素説が採用されている。
教材・録音資料[編集]
には、日本医療音声研究会の協力で、病棟声かけの模範テープ12巻を制作した。収録には神奈川県藤沢市のスタジオが使われ、効果音として実際のワゴン車の軋みが採録されたという[10]。
この録音資料は、県立病院の研修で200本以上複製されたが、再生機によっては彼女の「どんどこ」が「どぼどぼ」に聞こえ、看護学生の間で発音競争が起きた。ぼりか本人は「聞き違いもまた療養の一部」と述べ、訂正を拒んだとされる。
後世の評価[編集]
ぼりか どんどこナースの評価は分かれている。支持者は、病院を単なる治療空間ではなく、患者が音と動きによって安心を学ぶ場に変えた先駆者として評価している[11]。
一方で、現代の看護教育の観点からは、再現性に乏しい、教育効果の測定が曖昧であるなどの批判がある。それでも後半以降、地域包括ケアの文脈で「声かけのリズム」を再評価する動きがあり、北海道や長野県の一部施設では今も小規模な研修が続いているという。
系譜・家族[編集]
ぼりかの家系は木場の材木商を営んでいたとされ、父・ぼりか重蔵、母・ますえの二人のもとで育った。兄にぼりか進一、妹にぼりか静江がいたとされるが、家族写真の表記が不一致で、兄妹の順序については複数説がある[12]。
に結婚し、相手は都立病院の事務職員・高村信吉であったと伝えられる。子は二人で、長女は看護教員、長男は鉄道関係の技師になったという。なお、孫が地域の太鼓保存会に所属していたことから、ぼりか家の「拍の遺伝」が語られるようになったが、これは後年の脚色とみられている。
脚注[編集]
[1] ぼりか本人の講演録に基づくとされるが、原本の所在は未確認である。
[2] 『東京看護史資料集成 第14号』では「ボリカ・ドンドコナース」とも記される。
[3] 木場町自治会記念誌には同様の証言があるが、戦災記録との整合性に疑義がある。
[4] 日本看護協会内報、1952年春号。
[5] 研修記録では38名、病院年報では41名とされ、数値に揺れがある。
[6] この発言は晩年の録音テープにしか残っていない。
[7] 同僚回想録『白衣と足音』による。
[8] どんどこ式の定義は後年の整理であり、本人の初期メモでは「拍つき介助」と記される。
[9] 増補版は第3刷で誤植が36か所に達した。
[10] スタジオ名は複数資料で異なり、藤沢市内の小規模録音施設だったとみる説が有力である。
[11] 厚生省内の座談会記録では「思想家に近い」と評された。
[12] 戸籍資料の公開範囲が限定的であるため、家族構成は確定していない。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 永田澄子『病棟に響く声―戦後看護教育の周辺』医歯薬出版, 1978, pp. 44-71.
- ^ 佐伯宏『どんどこ式安静補助法の形成』日本看護史学会誌 Vol.12, No.3, 1986, pp. 15-29.
- ^ 牧野一郎『東京看護史資料集成 第14号』東京看護文化研究所, 1991, pp. 102-118.
- ^ H. K. Williams, “Rhythm and Reassurance in Ward Practice,” Journal of Comparative Nursing Vol.8, No.2, 1974, pp. 201-219.
- ^ 高村信吉『白衣と足音―ある家族の記憶』私家版, 1998, pp. 9-34.
- ^ 中沢理恵『いのちの拍子とその周辺』看護教育新報社, 2003, pp. 58-96.
- ^ Margaret L. Henson, “Auditory Cues in Patient Mobilization,” Nursing Methods Quarterly Vol.19, No.1, 1981, pp. 1-17.
- ^ 深川区郷土史編纂委員会『木場町の戦後と診療所』, 1969, pp. 77-83.
- ^ 田所朱美『病棟のリズム学』青丘社, 2010, pp. 133-158.
- ^ S. Ito and R. Kameda, “The Dondoko Method: A Curious Case of Therapeutic Sound,” Asian Journal of Nursing Folklore Vol.4, No.4, 1995, pp. 88-104.
外部リンク
- 東京看護文化アーカイブ
- 日本巡回講話研究会
- 深川医療民俗資料室
- 病棟音声史データベース
- どんどこ式普及委員会