アタリメ兄貴
| 別名 | 兄貴、アタリメさん、アタリメの段 |
|---|---|
| 成立時期 | 概ね1970年代後半〜1980年代前半 |
| 分野 | 都市伝承 / 方言的俗称 / 大衆芸能 |
| 発祥とされる地域 | 北海道・小樽市周辺 |
| 主な伝播媒体 | 地域ラジオ番組、町内会ビラ、寄席の口上 |
| 象徴される対象 | (スルメ等の乾製品) |
| 関連概念 | 兄貴礼法、干物カウント、港の七韻 |
| 典型的な使用文脈 | 人情・威勢・粋な忠告を込めた語り |
アタリメ兄貴(あたりめにいき)は、昭和末期から語り継がれるとされる「港町の口伝ヤクザ」由来の呼称である。物真似師や地域ラジオのDJを中心に、の象徴的存在として扱われることが多いとされる[1]。
概要[編集]
アタリメ兄貴は、見知らぬ相手に対しても“角が立たない強さ”で忠告するとされる人物像(と、その呼び名)として語られることが多い。特にが残した食文化の記憶と、港の労働歌が重なる土地で、乾き物の香りとともに話題化されたとされる[2]。
一方で、当初から実在の人物名として扱われたわけではないとする説もある。たとえば「乾き物の鍋蓋を叩く回数」から導かれた“機嫌の暗号”が、のちに兄貴という役割語に転用された、という見方がある[3]。このため、同じ地域でも語り手によって年季や所作の細部が微妙に揺れる点が、民間伝承としてのリアリティを補強しているとされる。
成立と語の誕生[編集]
「干物カウント」起源説[編集]
成立のきっかけとして、小樽市の倉庫街で行われていたとされる「干物カウント」が挙げられることがある。伝承では、アタリメの天日干しを始める前に、倉の柱に木札を掛ける“儀式”があり、初日・二日目…という日数ではなく「叩き回数」で進捗を伝えたとされる[4]。
その叩き回数は、毎朝の風向が一定でないことから「7回→9回→12回→…」のように“増える階段”になっていたという。さらに、12回目にだけ低い音が混じるため、それを“兄貴の声”と呼んだのが、のちにアタリメ兄貴という呼称へ発展した、という物語が流布したとされる[5]。
ラジオ台本転用説[編集]
別の説では、の前身局であると語られる放送媒体が、町内便りを読み上げるコーナーを持っていたことが起点とされる。ある台本には「乱暴な注意は禁物、兄貴の言い方で」といった指示があり、投稿の筆名として「アタリメ兄貴」が登場したのだとする[6]。
この台本転用が面白がられ、リスナーが実際のあいさつに混ぜるようになった結果、アタリメという食材が“口調の象徴”として定着した、とされる。なお、台本に記された放送回数は「第1回・第27回・第109回」の3回だけであり、編集者が“縁起の悪い数字”を避けたのではないかと推測されている[7]。
港の七韻と兄貴礼法[編集]
アタリメ兄貴の呼び方には、単なる愛称以上の“型”があったと説明されることが多い。とりわけ、口伝では「港の七韻(しちいん)」と呼ばれる語尾の連続が定番であるとされる。具体的には、注意をする段階では語尾を柔らかくし、感情を押し付けないために韻だけを残す、という。たとえば「そのまま行くな、波が笑うぞ」等の例文が、寄席の講談師の手によって整えられたとされる[8]。
兄貴礼法では、最初に沈黙を1拍(約0.6秒)置き、次に紙ナプキンで指先を拭う所作を入れるとされる。これは乾き物の匂いが強い季節に、相手が“嫌な臭いを押し付けられた”と誤解しないための配慮だった、と説明される[9]。ただし、当時の衛生観念とは合わないとして「演出が先行した」とも指摘されている。
また、兄貴は「金の話をしない」とされるが、代わりに“干物の値段の見立て”をする役回りであったとも言われる。例えば「今朝の風なら小粒が妥当、札束より口が立つ」といった表現が、地域の市場会議で引用されたという。いずれにせよ、食文化とコミュニケーションの間に橋が架けられた点が、社会的な影響として語られている。
実在しなかったようで実在した(当事者たち)[編集]
アタリメ兄貴に関わった人々として、当初から「実在の兄貴」が語られたわけではないが、関係者の名だけは具体的に記憶されることがある。たとえば小樽市の「新小樽市場連盟」に属していたとされるは、“兄貴の言い回しを禁止にしない”という方針を掲げた人物として言及される[10]。
ただし、実名性に関しては揺れがある。町内会資料に載る人物名はあるが、別の町内会資料では同じ人物が「徳次郎(敬称略)」としか記されていないため、同一人物かどうかは不明とされる[11]。さらに、寄席で兄貴を演じたとされる物真似師は、声が似ているため“本物”扱いされたという。
このような混線は、伝承の強度を高める。編集者によっては「当事者の実名が細部まで残るのは、口伝が単に噂ではなく、場を運営する仕組みだった証拠である」と整理している例もある。ただし要旨の根拠資料が少なく、「兄貴は結局なにものか」という疑問が残る構成になっているとも評価されている。
社会的影響:食の言語化と地域アイデンティティ[編集]
アタリメ兄貴は、単なる珍名ではなく、地域の会話を“食の知識”として整える効果を持ったとされる。たとえば漁師の引退勧告や、親方の叱責の言い換えとして使われ、角が立ちにくいと評価された。市場の掲示板には「兄貴方式で断ること」という貼り紙があったとされ、これが町外にも波及したという[12]。
また、乾製品が“日持ちするから偉い”という単純な説明だけでなく、季節・温度・匂いの差を語る材料として扱われた点が、教育的効果として言及されることがある。学校の給食委員会で「兄貴の七韻を応用した味覚アンケート」が試行されたという記録も、断片的に伝わっている[13]。
ただし、その試行は長続きしなかったとする見方もある。理由として、兄貴礼法が“言語演技”として定着しすぎて、味の検証が形式化したのではないかという批判が、当時の関係者から出たとされる。とはいえ、その一度だけでも、地域の食をめぐる言葉が整えられたことは確かだと、後年の座談会で語られている。
批判と論争[編集]
アタリメ兄貴に対しては、後年になって疑義も呈された。最もよく問題にされるのは、「暴力的な強さを食の権威で包んでいるのではないか」という観点である。兄貴礼法が“沈黙1拍”などの演出に依存し、結果として相手に圧を与える構造ではないか、という指摘がある[14]。
また、成立時期についての議論もある。1970年代後半に始まったとされる一方で、ラジオ台本転用説では1973年の1クール目と結び付けられている。しかし別資料では1982年の地域放送で初出とされており、年次が食い違う。編集者のあいまいな書きぶりが、かえって“それっぽさ”を生んでいるとも評される[15]。
さらに、語尾の韻や叩き回数の細かさが、どこから来たのかをめぐって論争が起きた。ある研究会では、叩き回数の数列(7→9→12…)が“換算表”に由来するのではないかとされるが、換算表の所在が示されないため、要出典とされることがある[16]。一方で「示せないからこそ口伝らしい」と擁護する意見もあり、論争は収束しないまま文化として残ったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐久間徳次郎『小樽の口上:兄貴方式の実務』新小樽市場連盟出版部, 1986.
- ^ 花守ユリヱ『七韻と沈黙1拍:アタリメ兄貴の演技論』港都芸能社, 1991.
- ^ 中島春灯『乾き物の記憶と言葉の圧:民俗言語学的考察』第3巻第2号, 1998.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Tidal Towns and Prescriptive Speech: A Linguistic Folklore Study』Vol.12 No.4, 2004.
- ^ 鈴木一斗『ラジオ投稿の変換規則と匿名性』放送史研究会, 1979.
- ^ 北海民俗学会『口伝データベース(未整形版)』pp.51-73, 2002.
- ^ 伊達良介『市場掲示の微細史:貼り紙文化と規範形成』第1巻第9号, 2010.
- ^ 田村梓『食の教育実験と失敗の記録』北海道教育文化論叢, 2015.
- ^ 岡部真琴『アタリメ兄貴:なぜ笑えるのに真顔になるのか』第7巻第1号, 2018.
- ^ Catherine V. Morrow『Regional Identity Through Snack Rhetoric』Vol.3, 1996.
外部リンク
- 港都口伝アーカイブ
- 小樽ラジオ台本研究室
- 乾製品言語化資料館
- 兄貴礼法愛好会
- 北海民俗学会データポータル