エル・ドランド賞
| 正式名称 | El Dorando Prize |
|---|---|
| 分野 | 金属工芸、都市景観設計、記念建築学 |
| 主催 | 国際エル・ドランド賞評議会 |
| 開始年 | 1898年 |
| 授与地 | ロンドン、バルセロナ、横浜ほか |
| 賞のモチーフ | 金箔と風洞装置 |
| 最多受賞国 | 日本 |
| 直近の授与 | 2024年 |
| 特記事項 | 受賞者には金色の羅針盤と記念メダルが授与される |
エル・ドランド賞(エル・ドランドしょう、英: El Dorando Prize)は、との境界領域で功績を挙げた人物・団体に与えられる国際賞である。19世紀末にで始まったとされる「黄金反射運動」を母体として成立した[1]。
概要[編集]
エル・ドランド賞は、主として、、およびその周辺に位置する実験的景観設計の業績を表彰する賞である。名称は「エルドラド」に似ているが、実際にはマニラ近郊で行われた金箔加工の共同研究に由来するとされ、創設時から「黄金を探すのではなく、光を配る」ことを理念として掲げてきた[2]。
賞の特徴は、審査対象が作品そのものだけでなく、「周囲の都市の反射率をどれだけ改善したか」という、きわめて独特な評価軸を含む点にある。そのため、受賞者には彫刻家、測量技師、橋梁設計者、さらには百貨店の屋上庭園設計者まで含まれており、選考会では毎回、工学と美学のどちらが主であるかをめぐって軽い混乱が生じるとされている。
歴史[編集]
黄金反射運動の成立[編集]
起源は、統治末期のマニラで、金箔を樹脂板に圧着する作業中に偶然発見された「角度依存光沢」にあるとされる。これを観察していた軍医のと、印刷工のが、街路に同じ加工を施せば夜間照明を半減できると主張し、後に「黄金反射運動」と呼ばれる小規模な実験を開始した[3]。
にはの余興展示として、金色の防眩板を並べた歩道模型が出品され、来場者の半数以上が「都市がやや神殿に見える」と記したという。これがのちの賞の精神的原型であるといわれるが、同博覧会の公式記録には該当記述がなく、後年の回想録に依存している部分が多い。
賞の制度化[編集]
、ロンドンのにおいて、都市照明と装飾金属を横断的に顕彰する制度として「エル・ドランド記章」が仮設的に設けられた。これを提唱したのが英国人建築批評家で、彼は「夜の街路は金貨の裏側のように管理されるべきである」と演説したことで知られる[4]。
その後1932年、不況下で金属需要が不安定になるなか、賞は純粋芸術の側面を強め、審査委員会もへ改組された。評議会の初代書記であるは、議事録の余白にしばしば金粉で印をつけたとされるが、これは当時の湿気対策であったという説明と、単なる趣味であったという説明が併存している。
選考基準[編集]
選考基準は毎年改訂されるが、基本的には「反射率」「都市への調和」「耐候性」「歩行者の心理的高揚」の四項目で採点される。なかでも「心理的高揚」は極めて曖昧で、1970年代までは選考委員が会場で出された紅茶の濃度を見て判定していたという証言がある[6]。
また、審査では作品の規模よりも、街区全体に及ぼした余波が重視される。たとえばの受賞作であるの「中洲可変金網プロジェクト」は、建築そのものより、周囲の屋台が一斉に看板の色を変えたことが評価された。なお、こうした「波及効果」の定義は毎年やや変動しており、同じ作品が年によって受賞相当とされる一方、翌年には「眩しすぎる」として減点されることもある。
著名な受賞者[編集]
個人部門[編集]
()は、雪面に合わせて金属板の表面粗さを変える「可逆反射工法」を確立したとされる。彼の設計した試験歩廊は、晴天時よりも曇天時のほうが明るく見えるため、地元では「曇りの日専用の観光地」と呼ばれた。
()は、ベルリンの旧倉庫群を金色の換気塔で再編した功績で受賞した。リンデンは就任後、換気塔の先端に鳩除けの微細な起伏を加えるよう要求し、結果として鳩が減ったのではなく、鳩の飛来角度だけが変わったと記録されている。
団体部門[編集]
()は、みなとみらい地区の歩道と街灯に異なる金属メッシュを使い分け、潮風による劣化をむしろ見せる設計で注目された。会期中、現地で配布された小冊子の三分の一は「反射は管理するものではなく、説得するもの」と書かれていた。
()は、古い岸壁の補修材に金色顔料を混ぜたことで受賞したが、審査員のうち2名が「やりすぎだが嫌いではない」とコメントしたことが記録に残る。この事例以降、審査会では「やりすぎだが嫌いではない」が半ば最高評価のひとつとして扱われている。
社会的影響[編集]
エル・ドランド賞は、単なる美術賞ではなく、都市行政と民間デザインの接点を作った点で影響が大きいとされる。特に以降、港湾都市では「金属を見せること」が観光政策の一部として採用され、やでは、倉庫外壁の色調調整に専門委員が置かれた[8]。
一方で、賞の流行により各地で過剰な金色化が起こり、の大阪では市議会で「公共空間の七割が眩しい」との苦情が提出された。これを受けて評議会は「眩しさ抑制指針」を公表したが、文面が抽象的すぎたため、実務ではほとんど役に立たなかったといわれる。
批判と論争[編集]
最大の批判は、審査基準が美学、工学、都市政策の間を往復しすぎており、何をもって受賞とするのか曖昧である点にある。とくに1998年の「港湾と神殿の境界論争」では、受賞作の一部が宗教施設に見えるとして抗議が起きたが、委員会は「見え方は受け手の都市教養による」として判断を変えなかった[9]。
また、授賞式で金粉を大量に用いる慣習については、環境負荷をめぐる批判が続いている。もっとも、評議会は2016年以降、金粉の代替として再生アルミニウム微粒子を導入したと説明しており、公式には「環境に配慮した黄金感」であるとされている。なお、この代替素材は晴天時にだけ金粉より強く光るため、問題が解決したのか悪化したのかは評価が分かれる。
脚注[編集]
脚注
- ^ アーサー・W・ベインズ『Urban Gilding and Civic Light』Royal Institute Press, 1912.
- ^ ミレーヤ・サントス『議事録余白における金粉使用の実践』Instituto de Estudios Portuarios, 1934.
- ^ S. Enriquez, "On the Angle-Dependent Luster of Leaf Metal," Journal of Applied Ornament Vol. 7, No. 2, 1899, pp. 41-58.
- ^ Lucia de la Cruz『マニラ街路反射試験報告書』マカティ印刷研究会, 1901.
- ^ 北村宗一『雪国の可逆反射工法』北海道景観技術叢書, 第3巻第1号, 1980, pp. 12-39.
- ^ Dorothea Linden, "Ventilation Towers as Civic Jewelry," Architectura et Polis Vol. 18, No. 4, 1987, pp. 201-233.
- ^ 横浜臨海景観研究会編『臨海部金属メッシュ設計年報』港湾美学出版, 1995.
- ^ 国際エル・ドランド賞評議会『眩しさ抑制指針 2016年版』評議会内部刊行物, 2016.
- ^ 中洲可変金網プロジェクト実行委員会『歩行者心理高揚と看板反射』都市余白研究, 第12巻第3号, 2013, pp. 77-95.
- ^ P. Varela, "The Theology of Shimmer: Prize Cultures in Coastal Cities," Review of Decorative Infrastructure Vol. 5, No. 1, 2008, pp. 9-28.
外部リンク
- 国際エル・ドランド賞評議会 公式資料室
- 港湾金属美学アーカイブ
- 都市反射率研究センター
- エル・ドランド賞受賞者名鑑
- 黄金反射運動史料館