スモークサーモンの日
| 正式名称 | スモークサーモンの日 |
|---|---|
| 別名 | 燻鮭記念日、オーロラ切り身祭 |
| 日付 | 11月7日 |
| 由来 | 1934年に北海航路の保存食会議で提案されたとされる |
| 対象 | スモークサーモン、関連する燻製食品 |
| 制定者 | 日本燻製流通協議会(通称JKS) |
| 初回実施 | 1958年 |
| 主な活動 | 試食会、色調判定、切り落とし競技 |
スモークサーモンの日(スモークサーモンのひ)は、されたの加工食品を記念するである。主にの保存食文化と日本の百貨店催事が結びついて成立したとされ、現在では毎年に静かに祝われている[1]。
概要[編集]
スモークサーモンの日は、スモークサーモンの保存性と香気を称えるための記念日である。日本では東京都中央区の百貨店と食品卸売業界を中心に普及し、のちに家庭用の文化と結びついて独自の年中行事となったとされる。
記念日の趣旨は単純であるが、その成立過程は複雑である。元来は船員の航海安全祈願に由来する「煙で守られる魚」の儀礼だったものが、戦後の銀座催事で再解釈され、1980年代には「朝食の高級化」を象徴する日として定着した、との説が有力である[2]。
歴史[編集]
北海保存食会議と起源[編集]
起源は1934年、で開かれた「北海保存食会議」に求められるとされる。この会議では、の缶詰業者ヨハン・E・ラウリッツェンが、塩漬け魚の流通日数を短縮するための「低温煙霧法」を提唱し、これが後のスモークサーモンの基礎になったという。
ただし、当時の議事録には「鮭」ではなく「紅い回遊魚」としか記されておらず、研究者の間では後世の編集が加えられた可能性が指摘されている。なお、このとき提案された記念日候補は、、の3案で、最終的に「魚の脂が最も落ち着く」とされた11月7日に決定したと伝えられる。
日本への伝播と百貨店時代[編集]
日本での普及は、1958年にで開催された「北欧の燻香展」が契機である。食品売場の主任だった佐伯みつ子は、売上不振のと組み合わせることで試食導線を作り、同展の最終日にスモークサーモンが1日で売れたと記録している[3]。
これを見たは、翌年から11月7日を「スモークサーモンの日」と呼称し、百貨店各社に対し「切り落としを花弁状に並べること」「赤身と白身の境界を3層以上に見せること」など、独特の陳列基準を配布した。これが今日の“映える前史”であるともいわれる。
制定をめぐる逸話[編集]
制定にはの仲卸や農林水産省の一部部署も関わったとされる。特に、当時の水産局内に存在したとされる「燻製魚類慣習調整班」は、記念日に伴う需要変動を予測するため、毎年11月第1週の平均気温とサーモンの断面角度を照合していたという。
また、1950年代後半には、東京都内の喫茶店で「スモークサーモンの日限定モーニング」を出す動きが広がったが、パンの焼き加減と魚の塩分が合わず、3店に1店が途中でに差し替えたとされる。これにより、記念日の本来の趣旨がやや曖昧になったとも評される。
行事と慣習[編集]
スモークサーモンの日には、家庭や飲食店でスモークサーモンを用いた軽食が供されるほか、各地で独自の催しが行われる。特に北海道の一部地域では、切り身を木片の上に並べて風向きを確認する「煙見(けむりみ)」の儀式が残っているとされる。
周辺では、洋食器の上でサーモンを18度傾けて提供する「傾斜盛り」が慣習化しており、皿の傾きがを超えると「過剰に海を感じる」として年長者から注意される。なお、実際には誰がその基準を定めたのか不明であるが、港町の食文化史ではしばしば引用される。
一方、大阪市の食品街では、試食を受け取った客が必ず一度だけ「これはサケか、マスか」と問い返す暗黙の風習があるとされ、店側はその返答速度を競う。最速記録はで、達成者はのちに「燻香応答士」と呼ばれたという。
社会的影響[編集]
この記念日は、単なる食品販促にとどまらず、日本の朝食観にも影響を与えたとされる。後半以降、ホテルの朝食ビュッフェにスモークサーモンが常設されると、「平日の特別感」を演出する食材として位置づけられた。さらに、の都内消費者調査では、回答者のが「スモークサーモンを見ると会議の成功を想像する」と答えたという、きわめて奇妙な結果が残っている[4]。
また、日本航空の国際線機内食に採用されたことで、海外渡航者のあいだでは「空の上の高級朝食」として認知が広がった。ただし、機内では湿度の影響で香りが1.7倍に感じられるとの報告があり、これを理由に“食べる前に窓を少し曇らせる”乗客が増えたともいう。
批判と論争[編集]
批判の中心は、記念日が実態としては百貨店主導の販促に過ぎないのではないか、という点にある。にはが「魚の日を名乗りながら魚の切り身の配置まで規定するのは過剰演出である」として抗議文を提出した[5]。これに対し協議会側は、スモークサーモンの価値は味だけでなく“静けさ”にあると反論した。
また、燻製の強さをめぐる「軽燻派」と「深燻派」の対立も根強い。軽燻派は色味の明るさを重視し、深燻派は舌に残る余韻を礼賛するが、1993年の「第12回スモーク濃度選手権」では審査員5人のうち2人が途中でサンドイッチを食べ始め、結果が無効になった。この出来事は、今なお議論の象徴として語られている。
関連する文化[編集]
スモークサーモンの日は、料理そのものよりも“切り方”の文化を育てた記念日でもある。特に京都市の洋食店では、薄さ0.8ミリ前後に揃えた「雲切り」が美徳とされ、包丁を研ぐ回数を1皿ごとに記録する店もある。
また、札幌市の冬季イベントでは、氷の台座にサーモンを載せる「冷香展示」が行われ、来場者は魚を食べる前に手袋のまま3回うなずくのが礼儀とされる。こうした慣習は、食材を食べる対象から“観賞と会話の媒介”へと変えた点で特異である。
近年では、SNS上で11月7日に「今年の一枚」を投稿する習慣が生まれ、赤身の艶を競う投稿が流行している。もっとも、画像の加工で実際よりも燻香が強そうに見えるため、専門家のあいだでは「香りの視覚化問題」と呼ばれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯みつ子『北欧燻香展の記録』日本橋食品文化研究所, 1961年, pp. 41-58.
- ^ Johann E. Lauritzen, "Low-Temperature Smoke and the Preservation of Red Fish", Journal of Maritime Food Studies, Vol. 12, No. 3, 1935, pp. 119-137.
- ^ 田所義春『百貨店催事と鮭の演出史』中央流通出版, 1978年, pp. 203-229.
- ^ Margaret A. Thornton, "Seasonal Consumption and Symbolic Breakfasts", Nordic Gastronomy Review, Vol. 8, No. 1, 1989, pp. 5-26.
- ^ 日本燻製流通協議会 編『燻製魚類慣習調整班資料集』協議会内刊行物, 1959年, pp. 12-19.
- ^ 長谷川翠『港町における香気の礼法』港湾食文化叢書, 1994年, pp. 77-104.
- ^ Émile Fortier, "On the Inclination of Salmon Platters", Revue des Arts Alimentaires, Vol. 21, No. 4, 1972, pp. 88-95.
- ^ 消費者団体連絡会『食品記念日への意見書』東京市民資料室, 1979年, pp. 1-8.
- ^ 高橋玲子『燻香応答士の社会学』東都大学出版会, 2003年, pp. 56-83.
- ^ 山村健一『魚の日と都市の時間感覚』港北書房, 2011年, pp. 141-166.
外部リンク
- 日本燻製流通協議会アーカイブ
- 北海保存食会議記録デジタル館
- 百貨店催事年表データベース
- 燻香礼法研究センター
- 港町食文化フォーラム