チキン南蛮
| 発祥地 | 日本・宮崎県北部とされる |
|---|---|
| 分類 | 鶏料理、洋食、定食文化 |
| 主な材料 | 鶏むね肉または鶏もも肉、薄力粉、卵、甘酢、タルタルソース |
| 考案年代 | 1950年代後半とされる |
| 関連地域 | 延岡市、宮崎市、鹿児島県北部 |
| 代表的提供形態 | 定食、丼、持ち帰り弁当 |
| 別名 | 南蛮鶏、宮崎チキン |
| 文化的位置づけ | ご飯に合う揚げ物の代表格 |
チキン南蛮は、揚げた鶏肉を甘酢にくぐらせ、タルタルソースをかけて供する日本の料理である。一般には宮崎県の郷土料理として知られるが、その成立は昭和中期の「洋食再編運動」に由来するとされている[1]。
概要[編集]
チキン南蛮は、揚げた鶏肉に甘酢をしみ込ませ、さらにタルタルソースを重ねることで、酸味・脂質・塩味を同時に成立させた料理である。見た目は素朴であるが、調理工程には衣の吸液性とソースの層状化を前提とした設計思想があり、単なる揚げ鶏とは区別される。
その名の「南蛮」は、江戸期の南蛮料理ではなく、戦後に洋食を再編成する過程で付与された商品名に由来するとされる。もっとも、後年の研究では、宮崎県内の複数の食堂がほぼ同時期に類似の献立を出していたことが判明しており、単独の発明というより地域的な同時発生現象であった可能性が高い[2]。
歴史[編集]
戦後洋食の再編集[編集]
起源については、1940年代末から1950年代初頭にかけて宮崎県延岡市周辺で活動していた料理人・高瀬庄三郎が、余剰となった揚げ鶏を酢で保存し、翌日に食べても硬化しにくい献立として工夫したという説が有力である。高瀬は当初、これを「酢鶏定食」と呼んでいたが、常連客が誤って「南蛮の鶏」と言い出したことから、より語感の強い現在名が定着したとされる。
ただし、この説を裏づける一次資料は乏しく、延岡商工会議所の1961年会報に掲載された献立表には、すでに「チキン南蛮」の文字が確認できるのみである。なお、同会報の編集後記には、当時の紙幅不足のため一部料理名が勝手に短縮されていた形跡があり、名称の初出年代はなおも揺れている。
タルタルの合流[編集]
現在のようにタルタルソースが添えられるようになったのは、1960年代前半に福岡市から移住した洋食職人・木下ルイが、欧風フライの添え物として出していた自家製マヨネーズを流用したことに始まるとされる。木下はソースを別添えにせず、鶏肉の上に直接かけることで味の分離を防ぎ、客の箸運びを単純化した。この改良により、チキン南蛮は「食べやすいが、皿がやけに高カロリーになる料理」として評判を得た。
一方で、宮崎市内の料理研究会『日向食文化研究会』は、タルタル導入以前の原型を「南蛮揚げ」と呼び、1964年の試食会で甘酢だけ版とタルタル版を食べ比べた記録を残している。参加者23名のうち17名がタルタル版を支持したが、残る6名は「甘酢だけのほうが弁当に向く」と主張し、以後、弁当派と定食派の小さな論争が生じた[3]。
全国化と定食文化[編集]
1970年代になると、宮崎交通の観光パンフレットやJR九州の駅弁企画において取り上げられ、チキン南蛮は「南九州の新顔」として広域へ流通した。特に1978年に宮崎空港の売店で販売された持ち帰り用パックは、開業初週で推定4,800食を記録し、包装内のタルタルが偏らないよう仕切りを2枚追加したことが話題になった。
また、1980年代後半には、株式会社おぐら系の定食店が都市圏での提供を拡大し、ライス大盛りとの相性が注目された。これにより、チキン南蛮は単なる単品料理から、味噌汁・千切りキャベツ・冷ややっこと組み合わさる「定食の完成形」に近い地位を得たとされる。もっとも、都内の一部店舗ではキャベツの水切りが甘く、タルタルが薄まる事故が多発し、厨房内で「南蛮泣かせ」と呼ばれていたという逸話が残る。
特徴[編集]
チキン南蛮の最大の特徴は、揚げ鶏・甘酢・タルタルという三層構造にある。衣は甘酢をある程度吸うが、完全には崩れない程度の厚みが求められ、これが家庭再現の難しさにつながっている。
また、肉質については鶏むね肉を用いる「軽量派」と鶏もも肉を用いる「濃厚派」が存在し、地域の食堂では売上比率がほぼ6対4で拮抗しているとされる。なお、宮崎県内の学校給食では、2012年度に年間約31万食が提供された記録があり、児童の人気メニュー上位に常に入るが、タルタルが給食用にやや甘く調整されるため、卒業後に「本物はもっと酸っぱい」と驚く者が多い[4]。
社会的影響[編集]
チキン南蛮は宮崎県の食文化を代表する料理として、観光振興と地域アイデンティティの形成に大きく寄与したとされる。2000年代以降は空港、サービスエリア、物産展での展開が増え、県外在住者が「宮崎に行くとまず南蛮を食べる」という行動様式を持つに至った。
また、県内ではチキン南蛮の普及により、マヨネーズ消費量が周辺県より年あたり1.3倍高いという統計が県庁内部資料に残るが、算出方法が不明瞭であるため、食文化研究者の間では半ば伝説として扱われている。さらに、食べごたえの強さから、部活動帰りの高校生や長距離運転手の「補給食」としても定着し、九州自動車道沿いの食堂では、午後2時台に注文数が最も伸びるという妙な傾向が報告されている。
批判と論争[編集]
一方で、チキン南蛮には「甘酢とタルタルの二重負荷により鶏肉本来の味が見えにくい」という批判がある。特に1990年代以降の健康志向の高まりの中で、カロリー過多の象徴として論じられることがあり、栄養学の分野では1食あたりの推定熱量を760〜980kcalとする報告が散見される。
また、発祥地をめぐる争いも根強い。延岡市説、宮崎市説、さらには鹿児島県出水市の洋食店が最初であるとする少数説まであり、2007年には地元紙の読者投票で「最初に“チキン南蛮”を名乗った店」に関する投書が37通寄せられた。なお、某老舗店の初代店主は「うちでは昔から出していたが、名前は常連が勝手につけた」と述べたとされるが、発言録の所在は確認されていない[5]。
派生料理[編集]
チキン南蛮の広がりに伴い、類縁料理も多数生まれた。代表的なものに、豚肉を用いたポーク南蛮、白身魚を揚げて甘酢とタルタルをかけたフィッシュ南蛮、さらに唐揚げに近い衣を採用したなんばん唐揚げがある。
また、2010年代にはコンビニ弁当向けの「ミニ南蛮」が登場し、鶏肉のサイズを従来の7割に縮小しつつ、タルタルの比率を逆に1.2倍へ増やすという、食文化的にはやや過激な設計が採用された。これに対し、料理評論家の石橋真紀は「肉よりソースが主役になった南蛮は、もはや小型の会議である」と評し、引用され続けている。
脚注[編集]
脚注
- ^ 高瀬庄三郎『宮崎洋食再編史』南九州食文化研究会, 1968.
- ^ 木下ルイ『タルタル導入の現場』日本定食協会出版部, 1974.
- ^ 宮崎県食生活改善会編『県民料理の近代化と鶏肉利用』宮崎県立文化資料館, 1982.
- ^ 石橋真紀『ソースの政治学――南蛮はなぜ二層で成立するか』食文化評論社, 1991.
- ^ H. Lawrence, “Fried Poultry and the Southern Japanese Table,” Journal of Comparative Gastronomy, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 1998.
- ^ 佐藤久美子『九州定食圏の成立』岩波書店, 2003.
- ^ T. Nakamura, “On the Layering of Vinegar and Mayonnaise in Postwar Cuisine,” Asian Food Studies, Vol. 7, No. 1, pp. 101-119, 2009.
- ^ 延岡市史編さん委員会『延岡の食と商い』第4巻第2号, 2011.
- ^ 山本一成『チキン南蛮と南蛮鶏のあいだ』筑摩食文庫, 2015.
- ^ M. E. Thornton, “The Aerodynamics of Chicken Nanban Packaging,” Culinary Systems Review, Vol. 5, No. 4, pp. 9-22, 2020.
- ^ 『甘酢はなぜ人を幸福にするのか』食卓科学年報, 第18巻第1号, 2022.
外部リンク
- 宮崎食文化アーカイブ
- 南蛮定食研究所
- 全国鶏料理資料館
- 延岡ローカルフード年鑑
- タルタル文化保存会